第52話 挨拶イベント? そんな呑気なものじゃない
一泊とはいえ、慣れない環境だったからか疲れは相当溜まっていたようで。いつも以上にぐっすりと眠った気がする。
やっぱり自分の部屋のベッドが一番落ち着くな……。
一晩、ホテルの布団で寝ただけなのにすごく久しい気さえしてくる。
だが、今日だってずっと寝ているわけにはいかない。
────今日は、氷川の両親と会う予定があるのだ。
にしても、氷川の家か……。マンションの前までは何度も行ったことあるけれど、どんな感じなんだろう。
ボサボサの髪で会うわけにもいかないので、起き上がるなり洗面所に行き顔を洗って髪を整える。
「あら、昨日帰ってきたのに今日も出かけるの?」
「ああ。夕飯までには帰ってくると思うけど」
「お兄が出掛けまくるなんて、頭おかしくなった?」
「喧嘩売ってんのか」
「事実を言ったんだけど~?」
「お前こそ相変わらずの引きこもりっぷりだな」
「うっさい!」
本当に、こいつはどうしてこんな噛みつくようになったんだか……。
氷川と会う予定でも今日ばかりは連れていけないので、ほどよく会話を切り上げて俺は家を出た。
八月の中旬────アスファルトに照りつける太陽と降り注ぐ蝉時雨が、嫌でも夏を感じさせてくる。
こんな昼間に出歩くなんて、正気の沙汰じゃない。一刻も早くこの灼熱地獄から解放されたいけれど、急ぐと余計に暑く感じる。
そんな中を数十分も歩くなんて、タクシーでも捕まえたい気分だ。探せばバスだってあるだろう。
ただ、それこそほぼ出歩かない弊害か、家の近くのことでもあまり詳しくなかった。
そうだ、人の家に行くんだから何か買っていったほうがいいよな……。
買ったことないけど、コンビニで棚の上に売ってる缶のお菓子とかでいいのか……?
涼む目的もかねて途中でコンビニにも寄りながら、俺はゆっくりと足を進める。
やがてマンションが見えてきて、その下では見慣れた姿の人物が手を振っていた。
「やっほ、前田くん。来てくれてありがと」
「いや、これくらい大丈夫……。って言いたいけど、ちょっと暑かったな……」
「まさか歩いてきたの!? ちょっと行ったところにバス停があるのに」
出来ればそれは、家を出る前に聞きたかった……。
「帰りはバスにする……」
「そうするといいよ。熱中症になっちゃう」
「汗かいた状態で会うのはちょっと恥ずかしいんだけどな」
「そんな固い人じゃないから、気にしなくて大丈夫。ほら、お父さんとお母さんはもう来てるから上がって」
言われてすぐは、普通に受け入れてしまったけれど……。
氷川の言い方が引っ掛かったのはマンションのエレベーターに乗っているときだった。
親に対して、ずいぶん他人事っぽく感じるというか。
普通ならしないような言い回しにモヤモヤしたまま、エレベーターは六階で止まる。
「はい、どうぞ」
「お、お邪魔します」
氷川の背中に着いていった先で、初めて上がらせてもらう家の中。
玄関には、大きな靴とそれよりは小さな靴が二足並んでいる。パッと見た印象は、かなり物が少ないなというものだった。
上手く言えないけど、三人家族で住んでる割には寂しいような……。
その印象は廊下を進んでも、そしてリビングを見ても変わることはなかった。
「おお、キミが前田くんか」
俺がリビングの扉を開けて立ち尽くしていると、奥に座っている一人の男性がこちらを見てそんな声をあげる。
「ど、どうも……」
「いらっしゃい。こんな暑い日にありがとうね?」
頭を下げて軽く挨拶をすると、今度はキッチンから背の高い女性が姿を見せてきて。
二人の顔を見れば、すぐにこの人たちが氷川の両親だと分かった。
「お父さん、お母さん。いきなり話しかけて困ってるよ」
「ああ、すまんすまん。父の則文です。いつも藍がお世話になってるね」
「香織です。よろしくね」
「ま、前田遊介です……! こちらこそ、今日はお招きいただきありがとうございます」
「ふふっ、そんなに固くならないで。ほら、テーブルのほうでお話しましょう」
なんというか、学校のときに氷川から感じるものを、ご両親からも放たれているような……。
付け焼き刃でも、氷川が王子様として学校で振る舞えている理由が、なんとなく分かった気がした。




