第47話 その素肌は、意外と柔らかかった……
やはり、プールに入っても何をすべきなのかいまいち分からない。
人が多いから泳げないし、ただ歩いていても楽しくないし。
だけど、笑顔を浮かべている人がほとんどだから、俺の楽しみ方が下手なだけなのだろうか……。
「お兄くらえっ!」
「ぶわっ」
「あははっ! 変な声~」
「こいつ…………」
プールサイドに座って、ボーッと人混みを見つめていると、突然顔に水が飛んできた。
声の時点で誰の犯行かは分かっていたが、イタズラな笑みを浮かべているあかねを見てイラッとする。
「荷物にならなかったら、水鉄砲持ってきて撃ってたんだけどなぁ」
反省どころか、手加減してやったとでも言いたげなあかね。
「そもそも、プールサイドにあんな無防備でいたら撃ってくださいって言ってるようなもん────」
「くらえっ!」
「んわっ!」
「仕返しだ。無防備でいるほうが悪いんだもんな?」
「ぐぬぬ……」
攻撃したあとに油断して自分語りする馬鹿は、隙だらけにも程がある。
これだけの人だし、俺が近づいたってあかねが気づくわけもなく。
やり返してやったことに満足していると、突然後ろから肩を叩かれた。
「ん? どうかし────」
「えいっ!」
「ぶっっ!!」
「あははっ、藍さんナイスアタック~!」
「ふふっ、ごめんね前田くん」
「くそ、氷川も共犯かよ……」
振り返った瞬間、氷川の姿を捉えるのと同時に大量の水に視界が埋め尽くされる。
今度は完全に俺が油断したな……。さっきまでの手遊びの水鉄砲とは違い、氷川の攻撃は両手で水をかきあげたもんだから量がすごい……。
つい数分前までは外から眺めてるだけだったのに、気づけばなんだかんだ楽しんでいる自分がいた。
「はぁ……。せっかく髪セットしたのにびちょびちょだよ。お兄、最低……」
「プールは濡れるもんだろ」
「これはお兄に崩されたようなものだから。そういうわけだし、今からあたしに付き合って」
「どういうわけだよ……」
「あたし、あの滑り台やってみたかったんだよね~」
「話を聞けって」
あかねが指差した先にあったのは、かなり長い滑り台だった。
その終着地点を見てみると、浮き輪に乗って流れてくる人たちが。
「これまたずいぶん大きいな……」
「お兄、ヒビってるの?」
「全く。あれくらい余裕だろ」
「それじゃあ、早く並びに行こ~」
滑り台のスタート地点へと上がる階段には、順番待ちをしている多くの人の列が遠目からでも見える。
一瞬のスリルのために、何十分も並ぶなんて……。
普段は絶対に付き合わないけれど、これも旅行だ。
「氷川、どうかしたか?」
「えっ? う、ううん。大丈夫」
後ろで少し遅れ気味の氷川に声をかけると、学校で見せるような綺麗な笑みが返ってきた。
そうして三人で滑り台に並んだわけだけど、話し相手がいるからか時間の流れは意外と早くて。
そんな苦でもないうちに俺たちの順番が回ってくる。
一人乗りと二人乗りが選べるのか。あかねは氷川と乗るだろうし、俺は一人で……。
「じゃあ、お兄。あたしは一人で行くから。あとで乗り心地教えてね~」
「あっ、おい……」
相変わらずマイペースだな、あいつは……。
ちょっとした注意事項を係の人から聞いたあかねは、怖がる素振りすら見せず楽しそうに流れていってしまった。
「行っちゃったね……」
「はぁ……俺たちも一人ずついくか」
「へっ? あ~えっと、出来れば一緒だと嬉しいかなって……」
「はっ!? ど、どうして……」
俺としては二人乗りなんて頭の片隅にもなかったもんだから、間の抜けた声が漏れてしまう。
まさか、氷川のほうからそんな提案をしてくるなんて……。
そんな意外性を感じたところで、ふと氷川の様子が少しだけおかしいことに気づく。
「……氷川、こういうアトラクションって苦手か?」
「絶対に無理ってわけじゃないんだけど。一番前とかはちょっと苦手……」
さっきから、やたらと完璧な作り笑いを浮かべているのはそういう理由だったか。
あかねのやつ、もしかしてこのことを知ってて一人で先に行ったんじゃないだろうな……。
「お次の方~」
そうこうしている内に呼ばれてしまったので、仕方なく俺は覚悟を決めることに。
「行こうか、氷川」
「あ、ありがと……」
「お兄さんが前ですね? そうしたら、腕を広げるように脇を少し開けてもらえますか?」
「こうですか?」
「はい、お姉さんはその隙間に足を差し込んでくっついてください~」
おいおい、それってなかなかにマズい体勢じゃ……。
「ご、ごめんね。前田くん」
そんな呟きとともに氷川の身体がくっついてくるのを背中で感じた。
こういうときほど感覚は繊細になるもので。これほど背後を取られて落ち着かないことは、おそらく今後二度とないだろう。
「お兄さんは脇を締めたら、そのまま後ろに少しもたれ掛かる感じでお願いします~」
「もたれ掛かる!?」
「お姉さんのお腹の辺りにです。前のめりだと危険なので~」
「わ、分かりました……。ごめん、氷川。少し重いかもだけど」
「だ、大丈夫だから。気にしないで」
ゆっくり身体を倒していくと、あるところで、ふにっとしたものが俺の頭を受け止めてくれた。
これが、氷川のお腹……。
細身だけど意外と柔らかさもあるんだな、とか気持ち悪いことまで考えてしまう。
二人乗りの浮き輪に乗ってから、後ろの氷川の姿は見てないけれど、この距離感は絶対ダメだ……。降りたとき、どんな顔して向き合えばいいんだよ……。
呼吸が伝わってくるほどの密着した状態。
俺も、緊張して早くなっている心臓を落ち着かせようと必死だった。
「それじゃあ、離さないでくださいね~? いきますよ~?」
心の準備なんてもう今さらだろう。
だって、こんな密着状態に対しての準備が出来ていなかったんだから。
明るいカウントダウンとともに浮き輪が押されると、俺たちは水に乗って流された。
「ひっ……」
そんなか細い声が後ろから聞こえてきたら、俺は無意識のうちに脇を少しだけ強く締める。
離れないように、そこにいることを直接肌で感じながら。
滑り台のスリルなんて感じる余裕もない。
きっと、時間にしては一分もないだろう。
たったの数十秒。それでも、出口が見えるまでの時間はかなり長く感じて。
熱暴走をおこしそうなほど熱くなった頭だけど、冷やすように終着地点のプールへと打ち付けられた。
「だ、大丈夫か?」
「う、うん……。ちょっと怖かったけど大丈夫。足が離れないようにしっかり締めてくれてたから」
余裕がなさそうに思えたけど、気づかれてたのか……。
密着した後に初めて見る氷川の顔は、きっと俺もこんな感じなのだろうと想像がつくくらい赤かった。




