第42話 変わったこと
昨日は、花火大会なんて慣れてない場所に行ったからだろう。
おかげでぐっすり眠ることが出来たけど、それでも疲れは取れなかったのか、普段より寝起きも悪かった。
それゆえに忘れていたのだ。
脳みそが寝ぼけたままリビングに行くと、バッタリ鉢合わせてしまった。
「わっ、すごい寝癖だね……」
「しまった……」
氷川の見開かれている目が行き着く先は、派手に爆発してる俺の頭。
「これが前田くんの素の姿ということか」
「この記憶は消してくれ」
両手で顔を覆いながら、俺はそそくさと洗面所へ逃げ込んだ。
氷川が泊まってたことが、すっかり頭から抜けてしまっていた。そのせいで、あんなだらしないところを見られるなんて……。
こういう日に限ってしつこい寝癖にイライラしながらも、なんとか恥ずかしくない程度の清潔感に仕上げる。
「お兄、朝から張り切ってるね。寝癖だけじゃなくて顔まで洗っちゃって」
そんな嫌味混じりに、洗面所の入り口からひょこっと顔を覗かせてくるあかね。
「……お前には言われたくない」
「あたしはいつも通りでしょ」
「どこが!? いつもはもっと地味だろ」
完全に外出するとき用にセットされたツインテールの髪と、くつろぐには向いてなさそうなガーリーな服。
家モードとはかけ離れた身なりの、どこがいつも通りというのか。
「地味ってなにさ! お兄、デリカシーなさすぎ」
「事実を言ったまでだ。だいたい、昨日は氷川と一緒に寝てるんだから、普段のお前が地味だってとこも見られてるだろ」
「地味地味うっさい! 女の子は出来るだけ可愛くいたいの!」
「そこら辺でやめておいたら……?」
「ひ、氷川……。どうしたんだ?」
「リビングまで丸聞こえだったから、止めるようにお願いされちゃって」
「母さんか……」
「むぅ、藍さんが言うなら。お兄は感謝するんだねっ」
もっと愛想よくとは言わないが、せめて昔の素直だった頃の欠片でも戻ってきてくれないもんかな……。
リビングに行ってしまった妹へそんな思いを馳せる。
氷川もいなくなった後で、最後に鏡を見つめて自分の姿と向き合う。うん、とりあえず大丈夫か。
「朝からずいぶん賑やかというか、キラキラしてるね……」
「藍ちゃんが来てくれるだけで、こんなにも華やかになるなんて。毎日でも来てもらおうかしら」
リビングに戻れば、会話を聞いていたらしい父さんが戸惑いの表情を浮かべていた。
朝は家族四人で集まることすら珍しいのに、今日はそこに氷川までいるんだから賑やかにもなるだろう。
しかも、普段はだらしない子ども二人が真っ先に身だしなみを整えてるんだし……。そりゃ父さんもそんな反応になるか。
「お仕事前に騒がしくしてすみません……」
「いやいや、騒がしいのは遊介とあかねなんだから。藍さんは気にすることじゃないよ」
「あたしじゃなくて、お兄だけ」
「一番響いてるのはお前の声だぞ」
朝食を済ませていた父さんは、すでにスーツ姿で鞄を手にしている。
時計を見ると、もう父さんが家を出る時間らしい。
「仕事前にこんな賑やかなお見送りがあるのは初めてだな」
「行ってらっしゃい、あなた」
「気をつけて」
「いってらっしゃ~いっ」
「ああ。藍さんもゆっくりしていくんだよ」
「はい、ありがとうございます」
俺自身も、仕事に行く父さんをこうして見送るのは小さい頃以来だと思う。
夏休み中だからこそ出来ることでもあるけど、こういうときの特別感は好きだったりする。
見送った後はリビングに戻って、母さんが用意してくれた朝食を皆で食べた。
「せっかくなんだから、どこかデートでもしてくればいいのに」
「花火大会でもう十分だろ……」
「女の子の前でそんなこと言っちゃダメよ。ねぇ、藍ちゃん?」
「いえ、私も昨日で体力を使い果たしたみたいで……。普段からあまり外に出ないせいですかね……」
「二人して似た者同士ねぇ」
食事中は、母さんからの質問攻めがとにかく止まらなかった。
学校でのことや、昨日の花火大会のこと。話題によっては、あかねまで興味津々に加わってくるからもう散々……。
そんな中でも氷川は、学校での様子のことだけは上手くかわしていた。イケメン女子として演じていることを、しっかりと隠すように。
俺としては、この家では氷川らしくいてほしいからいいんだけど……。やっぱり線引きとして知られたくないのだろうか……。
帰るのは暑さが和らいでからという母さんの提案を受けて、朝食の後は涼しい部屋で休みを満喫する。
負けず嫌いのあかねに付き合ってゲームをしたり。おやつの時間だとかいって、スコーンを作ることになったり……。
それでも、ずっと楽しそうに笑ってる氷川を見たら俺も釣られて笑ってしまった。
「今日も泊まっていってくださいよ~」
「あはは……。さすがに迷惑だからね」
「むぅ……藍さんがお姉ちゃんだったらいいのに」
「おい、なんてこと言うんだ」
こうして、あかねの明るい表情が見られるのも氷川のおかげだな。兄に対してはずいぶんと冷たくなったけど。
ただ、反抗期で話す回数も減ったからこそ、前みたいに妹と話せるだけでも兄としては嬉しいのだ。
「何から何までありがとうございました。浴衣の件だけじゃなくて、ここまでお世話になってしまって……」
「ううん、また来てちょうだいね。いっぱいご飯を作って待ってるから」
「ゲームもやりにきてくださいね! あと、お洋服も見に行きましょっ!」
「じゃあ、送ってくるよ」
母さんとあかねに見送られて家から一歩踏み出した瞬間、さっそく夏の熱気が俺たちを包みこんでくる。
傾きかけた太陽はまだまだ鋭くこちらを照らしていて、快適とは程遠いものだった。
「うわぁ、まだ暑いな……」
「わざわざ送ってくれなくても、一人で帰れるのに」
「それはあんまりだろ。それに、ちょっと二人で話したいとも思ったし」
「前田くん、積極的だね?」
「そんなんじゃねぇよ。ただ、夏休みの間も遠慮しないで来てくれってだけだ。俺も声かけるから」
「ふふっ、やっぱり前と比べてすごく積極的になってる」
「……そこまで言うならそうなのかもな。最初は氷川がナンパされてるところを、見て見ぬふりしようとしたし」
「それ初めて聞いたんだけど。ひどくない?」
「結果的に助けたんだからいいだろ」
そういえば、ナンパ事件のときのことを氷川と話したことなかったな。
あのときは、助けるだけ助けて氷川を置いて帰ったっけ。
そう思い返すと、俺も成長してるんだなって実感させられる。
だって、こうして氷川の隣を歩いて家まで送っているんだから。
「まあ……あのとき助けてくれたから、私も学校でキミに声をかける勇気が出たんだけどね」
「正直、こんなに氷川と関わるようになるなんて思わなかった」
「それは私も。ちょっとした話相手くらいになってくれたらいいなって……。そんな感じだったから」
「それが今や、浴衣で花火大会だとよ」
「ふふっ、何が起こるか分からないものだね」
変わったのは俺だけじゃなく、もちろん氷川にも言えることで。
出会ったときと比べたら、自然な笑みをこうしてたくさん見せてくれるようになった。
「俺にとっても驚きの連続ではあったよ」
「本当の私は性格が悪いこととか?」
「悪くはないだろ。度胸があるなとは思ってるけど」
「学校で何百って人を騙してること?」
「卑屈な言い方だな……。そうじゃなくて、俺が氷川の立場だったら、とっくに逃げ出してるだろうからさ」
「それは私が臆病なだけ」
「……まあ、すごく不器用ではあるよな」
「キミに不器用は言われたくない」
「氷川の意見に乗ったら言い返してくるのかよ」
そんな冗談を言い合って、どちらからともなく笑い合う。
まだ二ヶ月くらいの付き合いなのに、まるで小さい頃から仲が良かった親友のような距離感で。
「私は……素直な人間になれてるかな」
「色々と話してくれるようになったとは思ってるよ。それでも、まだまだ知らないことはあるんだろうけど」
「前田くんが相手でも、幻滅されないかまだ怖くて……」
「するわけないだろ。もっと信頼してくれていい……って、言うほうは簡単だよな」
前までの俺は、他人に対して興味がなかった。
どんな事情や過去があろうとどうでもいい。知ろうともしなかったし、そもそも人と話すのが億劫だった。
それでも今は、氷川のことを知りたいと思っている。
どんな悩みを抱えて、何を叶えたいのか。そのために俺が力になりたいとも。
「そこはもっと自信を持って言ってくれないと」
「いや、真っ直ぐ伝えるのは俺のキャラじゃない気がして……」
「心が強くなったら、前田くんには話すから。私の本当の気持ち」
「……ああ、いつでも待ってる」
そんなとき、氷川がふと立ち止まった。
何歩か俺のほうが前に出てからそのことに気づき、振り返ると────柔らかく頬笑む綺麗な顔が。
「────ありがとう、私の王子様」
聞いたことがないほど感情の乗った声に、俺の動きが思わず止まる。
王子様なんて言われるくらいの華麗な助け方はしてないし、そんな格好いいものじゃないけれど。
それでも、誰かの力に……氷川の力になれていると知れただけで今は嬉しかった。
「からかうな。俺は王子キャラもやってない」
「ふふっ、本気だったんだけどなぁ」
「うっせ。ほら、もうすぐ家に着くぞ」
熱くなった顔を見られないように、慌てて歩幅を大きくして氷川の一歩先を歩く。
後ろからくすくす笑う声が聞こえてくるせいで、熱を冷まさせてはもらえなさそうだけど。
「すごくゆっくりになると思うけどさ。その分、これからも私に付き合ってよ」
「……氷川もずいぶん積極的になったんじゃないか?」
「かもね。キミに対しては」
そうして、気づけば俺の隣に並んでて。あっという間に追い越されて。今度は氷川が俺の一歩先に。
その勢いで軽やかに振り返ったときの表情は、突き刺す西日に負けないくらい眩しく見えた。
「またねっ、前田くん!」
マンションの中に入っても、何度も振り返っては手を振ってくる氷川。
その姿が見えなくなるまで俺も見送った。
夏の暑さは、やはり好きにはなれなさそうだ。
けど────新たな出会いというのは悪くないのかもしれない。
この二ヶ月で築いた新しい関係性。
眩しい笑顔を見て俺は思った。
あのとき、勇気を出して声をかけて良かったと。
そして、同じように勇気を出してくれた氷川への感謝も。
思わぬ出会いから始まったこの関係だけど────ずっと大切にしていきたいと思えるほど、俺の中では大きなものになっていた。




