第41話 花火の匂い
ジトッとした暑さは夜になっても変わることはなく、汗がじんわりと吹き出てくる。
花火大会の賑やかさはどこへやら、静かな住宅街を氷川と並んで歩いていた。
人混みに揉まれた疲れもあって、帰り道はお互いに足を進めることで精一杯。
やっとの思いで家に着いたときには、もう残りの体力はゼロに等しかった。
「あっ、帰ってきた。藍さんおかえりなさ~い」
「ただいま、あかねちゃん」
「お前、氷川がいるときだけ恐ろしい早さで出迎えてくるよな……」
「ええ、お兄もいたんだ!?」
「わざとらしい反応で人をオマケ扱いすんな」
ああ、今のツッコミで体力を使い果たした……。
やっぱり、あかねが加わると一気に騒がしくなる。
やっと家に帰ってこれたというのに、まだ休ませてもらえなさそうだな。
「藍さん大丈夫でした? お兄に変なことされてないですか?」
「ふふっ、変なことなんてされてないよ。前田くんにそんなこと出来る度胸はないでしょ?」
「それもそうですね! お兄が出来るわけなかった」
「ひどい言い草だな。さすがの俺も傷つくぞ」
「お兄の日頃の行いだね」
あかねに乗せられたときの氷川のテンションは妙に絡みづらい。
というより、妹が二人になった気がして疲れが倍になる。
「あらあら、お帰りなさい」
ここで更に、我が妹と同じ好奇心をお持ちのお母様まで登場とは……。
俺にとって嫌な展開になることは、それはもう簡単に予想出来た。
「遊介はちゃんとエスコート出来ていたかしら?」
「はいっ。それはもうしっかりと」
「なんでちょっとニヤついてんだよ」
「迷子にならないように、裾を掴むか聞かれたのを思い出して」
「なっ、それはもういいだろ……!」
「うふふっ。半分くらいは失敗すると思ってたから、それなら良かったわ~」
とにかく、我が家の俺に対するイメージがひどいことはよく分かった。
まあ、今までの俺の行いが原因っていうのは自分でも分かっているけど。
あかねにもさっき言われたし、反論出来ないものだな。
「会場は人も沢山だったでしょう? とっておきの場所はどうだった?」
「母さんが教えてくれた通り、すごい穴場だったよ」
「とても綺麗に花火も見えて、落ち着ける場所でした」
「それじゃあ、前田家に代々伝わるデートスポットとして受け継いでもらわないとね」
「息子をからかう家の伝統なんて誰が受け継ぐか」
氷川を連れてくるまでは、家の中がこんな風に賑わうことなんてなかった。
元々明るい家族ではあったけど、俺に対しては心配と呆れが混じったような対応だったからな。
俺には女子の影もなかったし。遊ぶ友達だって見知った二人だけ。
そんな奴が氷川のような子を連れてきたんだ。きっと、その物珍しさが我が家を賑わせているんだろう。
「なあ、今日は氷川に泊まっていってもらったらダメか? こんな時間だし、俺だけで送るのもあれだろ……」
「えっ、私が?」
「藍さん泊まってくの!?」
「我が家としては大歓迎だけど、藍ちゃんの親御さんにご連絡しないとじゃない?」
「えっと、それは必要ないといいますか……。両親は仕事で帰ってこないので……」
「あら、そうなの? う~ん、いいのかしらねぇ……」
氷川にも無断で提案したせいで、なんだか余計に困らせてしまった。
最近の前田家の明るさは、氷川がもたらしてくれたものだ。
出来ることなら、氷川自身にも多くの時間をその明るさの中で過ごしてほしいから。
咄嗟に思いついたことだけど、夏休みなんだからって言い訳で許してもらいたい。
なんとも言えない空気の中、悩むような表情を浮かべる氷川を見つめていたら、ゆっくりとその口が開かれた。
「私のほうからメッセージを送っておきます。なので、お言葉に甘えてもいいですか?」
「連絡は絶対よ? いくら私やあかねがいても、同い年の男の子の家に泊まるんだから」
「はい、約束します」
「それなら大歓迎っ。ゆっくりしていってね」
「やった! 藍さんっ、あたしの部屋で一緒に寝ましょ!」
やや強引ではあったけど、こうして今日の夜は賑やかになることが決定した。
俺の感情だけで提案して、氷川に悪いことしたかな……。
そう思いながらチラリと視線を向けると、バッチリと目があって微笑みかけてくる氷川が。
そんな表情に俺は苦笑で返すしかなく、耐えられなくなって目を逸らしてしまった。
「そうと決まれば、まずは着替えちゃいましょっか。浴衣って意外と窮屈でしょう? 遊介も着替えてきなさい」
玄関で話し込んでしまった俺たちだったけど、母さんの言葉でようやく一区切り。
各々、散っていくのを見て俺も自分の部屋へと向かった。
さっさと着替えも終わらせて楽な格好になると、ぐったりとリビングのソファに身体を預けて休む。
やっぱり夏は、エアコンがよく利いた涼しい部屋が一番だ。
横には、L字型のソファの特徴を活かして寝転がりながらスマホを見ているあかねが。
氷川が家にいると言うのに、いつも通りくつろぐ姿に呆れていると、その妹から唐突に短く言葉が発された。
「で、どうだったのさ?」
あかねの視線はスマホに向けられたまま。
聞かれているのは、氷川との花火大会のことだろうな……。
まともに答えてもろくなことにならないし、適当に流しておくか。
「お前が期待してるようなのことはねぇよ」
「え~告白しなかったの?」
「お前な……。するわけないだろ」
「あたし的には、絶対成功すると思うけど」
「成功するとかしないとか、そういう問題じゃねぇんだよ……」
今、大事なのはこの距離感を保つことだ。
お互いに好意があろうと、告白してしまえば関係性に変化が生まれる。
氷川はまだ、このままの関係性を望んでいるんだから、告白なんてするわけなかった。
「じゃあ、手は? 繋いだ?」
「……くどい」
「ああっ! 繋いだんだ~!」
「お前、ホント嫌な性格してるな」
少し前は反抗期の気難しさに手を焼いていたんだけどな……。
逆に、ここまで好奇心を向けられるとため息が漏れる。
「まあ、あたしとしては応援してあげてもいいけど?」
「余計なお世話だ」
「えぇ~あかねちゃんに応援してもらおうよ」
「氷川……何の話か分かってて言ってるか?」
「ううん、さっぱり分からない。今来たところだからね」
こういう狙ってるのか天然なのか分からない行動が、学校でのイケメン女子としての振る舞いにも箔をつけているのだろうな。
声のしたほうを見ると、浴衣からラフな部屋着に着替えた氷川が立っていた。
セットされていた髪も下ろしたからか、キラキラオーラが無くなってすっかり普段通りの姿だ。
「あかねと絡むときの変なテンション、直したほうがいいぞ」
「つい、なんか楽しくなっちゃうんだよね」
「えへへっ、藍さんがお姉ちゃんだったらなぁ~」
氷川が家族だったら、それはそれで楽しそうだけど、俺の肩身が更に狭くなる気がする。
「三人とも~。着替え終わったところで、こんなのはどうかしら?」
「線香花火だ! やるやる!!」
「私、やったことないです」
「なら、ちょうどいいわね。豪華な打ち上げ花火を観た後だと、ちょっと寂しいかもだけど……」
「線香花火のほうが落ち着けるしいいだろ」
「そこはお兄に同意! 綺麗だし!」
線香花火なんて何年ぶりだろうか。
去年までは面倒だとか言って部屋にこもってたのに人は変わるもんだな。
庭に出て花火を一つ手に持つと、ろうそくに近づけて火をつける。
ゆっくり膨らんでいく火の玉から、次第にパチパチと火花が弾けだす。
あかねはそれを両手に持ってはしゃいでいたり、氷川は恐る恐る眺めていたり。反応はそれぞれだ。
夜空に大きく打ち上がるのも綺麗だと思ったけれど────こうして隣り合って楽しむのは距離が近く感じられて良い。
火薬の匂いに夜を彩られながら、俺は暑さを忘れてこの雰囲気に浸り続けた。




