第40話 これからの約束を
「────小さい頃の私は、親の仕事の都合で転校してばかりでね。人と深く関わる前にお別れしてきたから、友達の作り方も分からないまま成長しちゃったの」
雲一つない夜空に花火が咲き乱れるその下で。静かに語られるのは、俺の知らない──中学を卒業するまでの氷川の話。
つまり、今の氷川を作り出す原因が詰まっている話だ。
「でも、あるときお父さんが海外に転勤になって環境が落ち着いたんだ。お母さんと日本に残って暮らそうって。それが中学一年生の夏頃」
「じゃあ、今も父親は海外に?」
「うん、長い休みがあると戻ってくるくらい」
あまり家族と関わっていなさそうだとは思っていたけど、そんな環境だったとは……。
両親のどちらも仕事で忙しいと聞いていたし、甘えたり、子どもらしいことは出来なかったんだろうなと思う。
「環境が落ち着いたのは良かったんだけどね。どうせ深く関わらないんだしって、人との関わりはいらないと思って生きてきたから。どうやって馴染めばいいのか分からなくて……」
「まあ、あるあるだな。俺も馴染むのは苦手だし」
「馴染めなくて、中学でイジめられたんだ」
「えっ……」
陰キャ特有の悩みに共感しながら聞いていたところで、突然ぶっこまれた言葉。
聞き間違えたかと思って、俺は動きが固まってしまう。
「席が無くなってたり、私の物がゴミ箱に捨てられてたり。お母さんも仕事で家にほとんどいなかったから、話せなかったし……。誰も私のことなんて見てくれてなかった」
「そんなこと……」
氷川の声色は極めていつも通りだった。
だけど、その声から発せられる言葉はとても悲しく残酷で。
「そんな自分が嫌いだったから。高校は遠くの知らないところに行って、自分を派手に変えてやろうと思って。その結果が、学校での姿なの」
────これが、ひねくれた私が出来るまで。
感情の色が全く見えないまま、氷川の昔話はそこで終わる。
正直、人に期待せず、人から期待されるのが嫌いになるのも納得ではあった。
「……大変な思いをしてきたんだな」
「ごめんね、こんなときに暗い話しちゃって」
「いや、氷川が謝るなよ」
「デートスポットでする話ではないでしょ」
「こういう機会でもなきゃ聞けなかっただろ。その、高校で塗り替えていけるといいな……」
こんな慰めが無意味なのはよく分かってる。
それでも、言葉をかけないとこの空気に俺が耐えられなかった。
「そうしたかったんだけどね。そのイジメてきた子は────キミも知ってる子だったから」
「お、俺も知ってる? そんな通じるようなところあったか……?」
さっきの話からすると、氷川の中学はそれなりに離れていたはずだ。
俺の交友関係は片手で数えられるほどしかないし、高校以前に氷川と関わりがあったやつなんていないだろう。
見当もつかないでいると、その答えは突然告げられた。
「私もさっきビックリしたよ。星野くんの彼女になってて」
「…………はっ?」
そこでようやく、氷川は苦笑するように表情を変える。
しかし、その言葉がなかなか理解できず、俺は間抜けな声を漏らしてしまう。
「すごいよね、間近で見ても私だって気づかないんだから。ある意味、イメチェン大成功ではあるんだけど」
「ちょ、ちょっと待て。あの五十嵐……ってやつで間違いないのか?」
「うん、忘れるわけないよ。五十嵐来実、その名前だけは」
確かに、彼女とは別の中学で知り合ったって星野から聞いたけど……。まさか、そんなところで繋がることになるなんて……。
「星野くんの恋愛相談に乗った結果、皮肉にもイジメてきた子を助けることになるなんてね。今思えば、ああいう風に人を困らせる子だったなぁ」
「なんか、悪い……」
「それこそ、前田くんが謝ることじゃないよ」
「だとしても、結果的に嫌な思いをさせただろ」
「……昔のことを急に思い出したから、少し不安になっちゃったんだと思う。こんな楽しい時間がまた奪われるのかなって」
視線を落として、声を震わす氷川。
か細く訴えられたその言葉をかき消すように、花火がうるさく鳴り響いている。
その姿はあまりにも弱々しかった。普通の慰めや励ましの言葉をもう一度かけたところで、そんなことは学校のやつでも出来るだろう。
氷川が、俺に望んでいるのは────
「俺も、氷川との時間が楽しいって思ってるんだ。この時間がなくなることなんてない。誰かに奪われることなんてない。俺が、氷川と一緒にいたいって思ってるんだから」
多分、俺から触れたのは初めてだと思う。
震えるその手を握って、花火なんてそっちのけで────俺は正直な思いを伝えた。
今まで口にしたことのない、氷川と過ごした時間に対しての思いを。
俺が突然そんなことを言ったからだろう。氷川は目を見開いて、分かりやすく驚いている。
そうして沈黙が流れたまま、見つめ合うこと数十秒。
いよいよ自分のした行動が恥ずかしくなってきて、手を離そうとしたけれど、逆に強く握り返されてしまった。
「ダメ、離さないで」
「いや、これは……勢いでやってしまったというか……」
「周りに誰もいないんだし。今日だけはいいでしょ」
「まあ、氷川がいいなら……」
浴衣姿の氷川に見つめられながらそんなことを言われては、断ることも出来ないわけで。
さっきの空気から、どうしてこうなったのか疑問に思いながらも、結局そのまま手は握り続けることに。
「……私さ、考えてたんだよね。どうして前田くんにだけは、本当の私を見せようって思えるのか」
「氷川に気がないから、じゃなかったのか?」
「最初こそ確かにそう言ったけどさ。でも、最近違うなって思ってきたの」
「イメージが変わるほど、俺は何かをした覚えはないけどな」
「ううん、キミはちゃんと私を見てくれてた。初めてそんな人に出会えたから、前田くんにだけは本当の私で接してみようって気になったんだと思う」
「それは……どうも……」
見つめられながら、まっすぐそんな言葉をぶつけられると、なんだか照れくさくもなる。
俺が言葉に詰まっていると、立て続けに氷川は口を開いた。
「この気持ちが、キミのお母さんとか星野くんが言うようなものなのかはまだ分からないけど……。でも、言われて悪い気はしてないなって気づいたんだ」
「……はぁっ!?」
母さんや星野が言ってたことって、あの関係をからかってくるようなやつだよな……。それを悪い気がしないって……。
あまりにも急展開続きで、俺の脳みそが熱暴走を起こしそうなほど熱くなってきている。
「だからさ、この気持ちが何なのか分かるまで────」
「ちょ、ちょっと待て! もう少し考えを……」
「これからも、前田くんの側にいさせてくれないかな?」
あの流れは、完全に恋人になってみないか……とか言われると思ってたけど……。
俺のとんだ早とちりだったらしい。
まあ、俺たちの今の関係性で付き合うとかはあるわけないな。
「はあ……いちいち言葉にしなくても、同じことを俺がさっき言っただろ……」
「本当に? 私、こんな面倒くさい性格してるんだよ?」
「大抵の人間は面倒くさい。大体、そんな様子を伺うような態度も氷川らしくない」
「それって私が普段は欲望にまみれて生きてるって言いたいの?」
「違う違う。俺の前だけでは、遠慮するなってことだよ……」
今日の俺は、きっと花火大会の雰囲気にあてられているんだろう。らしくないのは俺も一緒だな。
普段は口にしないような思いを出しあって……。
きっと、落ち着いたらお互いに恥ずかしさが襲ってきて悶えることになるはずだ。
それでも最後にもう一つだけ、前までの俺じゃ口に出来なかった約束を氷川としよう。
「だから来年も、またここで一緒に花火を観よう」




