5章の10
「なっ……つぁっ!」
久澄の向こう側から、更紗の短い叫びが聞こえた。
「あっ!」
晴道は我に返った。
久澄を押しのけリコンビナントの黒山の前へ躍り出る。ひしめき合う生物たちの中で、白い衣が成すすべもなく揉まれていた。
暴走した発現抑制は、洗脳だけでなく更紗の細胞時間加速をも抑制していた。
「更紗!」
そう名を叫んだ瞬間。
「提供者」
笑顔の生物が発した。
「提供者を捕まえようよ」
その言葉と共に、一体のリコンビナントが晴道目がけて躍りかかった。
「ぅ……わああっ!」
バキっ
身をすくめた晴道の耳を、鈍い音が貫く。
しかし衝撃は無かった。この場の突然変異は全てが抑制されていると言うのに。
――――変異がなくてもオレ様はすげぇぜ?
「……ミラ」
晴道は恐る恐る身を起こし、目前に開かれた光景を視認した。
リコンビナントの側頭部にめり込んだままの拳を、彼女は憤然とした動作で引いた。
ぎろり
少女は怒りに染まった瞳で振り返った。
「役立たずが邪魔してんじゃねぇよ!」
怒号と共に放たれた拳。
それは超駆動無しの、純粋な鉄拳となるはずだった。
発現抑制は晴道の制御を完全に失っていた。まるで時間切れとでも言うように、突如としてこの場に満ちていた抑制効果が消失した。
誰も反応できなかった。
「止めろ! 死なすぞ!」
更紗がそう叫んだ瞬間だった。
視界の端に影が躍った。
激しい違和感。その色は白だった。
時間が流速を緩めたように、世界の変化がスローになる。
晴道の目前には、久澄の身体があった。そしてその向こうには、吃驚に目を見開くミラの姿。
クスミシラベ、と、更紗の叫びが聞こえた気がした。
ミラの拳はもう、すぐそこにあった。
拳の当初の目標は、無差別に突然変異を抑制させた役立たずの変異種。
その間に滑り込んだ存在を、誰が予測しただろうか。
そして、失われた発現抑制。
四堂ミラは人を殺してはならない。しかし超駆動を取り戻した拳の軌道は、一直線に久澄の頭部を貫いていた。
ミラが何かを叫んだ。
直後。
空気の爆ぜる音が鳴った。
その音と共に、ミラの身体が視界から消えた。
「……」
何が起こったのかわからなかった。
少し離れた地面へ、恐る恐る視線を向ける。
芝生敷きの地に、彼女は身を伏していた。
「ミ……ラ……?」
横から殴られて倒れたような姿勢だった。受け身を取ることもできなかったのか、無残に昏倒していた。
幾度か呻きを上げつつも、ミラはゆっくりと身を起こした。
身体の下になっていた右腕が露わになる。彼女はそこを、すぐさま左手でぎゅっと押さえた。
そのわずかな間に、晴道は腕に浮かんだ深紅の銃創を認めていた。
誰が撃った。
その答えは、問わずとも明らかだった。
ミラは座り込んだまま、その人物へと笑いかけた。
「いいぜ、珠希」
硬直した晴道の耳を、もう一発の銃声が殴りつけた。




