5章の8
ぎり、と奥歯を軋ませた。
「お前も難儀だな。晴道」
「……は?」
不意に掛けられた言葉は、慰めのような響きを抱いていた。
晴道を連れ走っていた更紗は、ようやく足を止めた。
腕が離される。更紗は視線だけを巡らせ、しかし無表情に発した。
「いいか。発現抑制は使うな。お前が私欲のために使えば、きっと誰かが死ぬ」
冷たく言い放った。
私欲。
「……」
「殺したくないのならば……お前が固執する正義とやらを貫きたいのならば、お前は何もするな」
再度念を押し、更紗は駆け出した。向かう先はミラを中心に混戦状態となっている場所だ。
狭間に置かれた晴道。
両側で繰り広げられる戦闘の音声が両耳から突き抜ける。
発現抑制を使えば、この場にある突然変異を止めることができる。即ち細胞傷害、細胞時間加速、超駆動、血球振動。
そうなれば、珠希は断罪銃を抜く。千景は死ぬ。
そしてリコンビナントと戦っている更紗とミラも、どうなるかわからない。
俺が動けば、全てが崩れ去る。
「……は」
晴道は知らず、唇を歪めていた。
何が突然変異だ。社会的脅威だ。
周りがこんな状況になっていても、俺は何もできないじゃないか。
同じ思いを抱く少女を助けることもできない。襲ってくるリコンビナントとの戦闘に手を貸すこともできない。
戦場から逃がされ、一人で安全な所に突っ立っているだけ。
それこそが罪なんじゃないのか。
「オルタは間違ってる、セルも間違ってる。今の俺も、絶対間違ってる……」
これのどこが正義だ。
殺さないという意思を貫く行為は、こんなにも姑息に感じるものなのか。
俺だって守りたい。
何かを成したい。
しかし――許されない。
「俺が何かすれば……同時に本当の罪まで紡がれる」
ぽつねんと呟いた。その傍らを、海からの風が駆け抜ける。
吹きつける風を感じられるのも俺一人だけだろう。
ここは平和だ。俺の周りには平和が取り捲いている。
だって、俺は今、戦場にいる資格すら奪われてしまったんだから。
居心地の悪い平和の中で、正義を抱いて立ち尽くす。行き場の無い思いを精一杯の〝意思〟で抑え、自嘲に顔を歪める。
沖田晴道の存在は、真に罪だ――
「……はは」
天を仰ぎ、薄い笑いを浮かべた。
ふわ
視界の端に、白い布が躍った。
「更紗……?」
思い当った人物の名を呟きながら、半ば投げやりな視線を向けた。
瞬間、目を見張る。
微笑みがそこにあった。
リコンビナントの喧騒は、先程よりも随分とこちらに迫っている。
その輪の影から、まるで躍るように白い影が姿を現した。
微笑みながら歩むのは、白衣の青年だった。
「く、久澄……」
声、瞳、身体。晴道の全てが震えた。
何でこんな所に。自分から殺されに来たようなものじゃないか。晴道は呆然と彼を眺めた。
ぴた、と彼は前進を止めた。
晴道を真正面から見つめ、久澄調は発した。
「孤独だろう?」
いつもと変わらない笑みを浮かべながら、そう発した。




