4章の7
「怪我して出血した時とか……痛いよね? 血が出てるのを見ると余計に痛いし。だから『止まってよ!』って命令しちゃうの。そうしたら、ホントにぴたっと止まって、『えっ』って思ったら、また流れ出して。それで気づいたの。私は血を動かせるんだって」
掌を開き、晴道に掲げる。そこには一滴の液体も残っていなかった。
「怪我する度に実験してたよ。自分が流した血以外も動かせるってわかったし、激しく動かすと爆発するって事も」
「……」
千景は手を引き、掌に向けて不思議な笑みを浮かべた。
「変な力だよね。普通の人にしてみれば、かなり不気味なんじゃないかな。使わない限りバレないから放っておいたんだけど。……でも」
ぐっ、と手を握りしめる。
「一之瀬。あいつは言ったよ。『君が常人の中に紛れて生き続けることは許されない』って。この力は遺伝子が元になってるって事と、〝血球振動〟の名前を知らされた後の事は、前に話した通りだよ」
言い、ため息をついた。
晴道も頷いた。
彼女が自分の突然変異を知った経緯は頭に入った。視覚的な効果を伴う形質なら、確かに遺伝子解析を介さなくても自覚できる。
それがどこからか露見し、オルタとセルが同時に目をつけた。コンタクトを取ったのもほぼ同時だったようだ。
「……千景。一之瀬が接触してきたのはいつなんだ?」
「二日前だよ。〝やりすぎ〟て倒れて、目が覚めたらここの病院だったの。高柳って人に『丸一日眠ってた』って言われたよ」
千景は斜め上を見上げながら、
「えぇと、高柳って人は、オルタじゃなくてセルなんだよね」
「ああ」
首肯する晴道。
――彼は結局、どうなったんだろうか。
夕暮れ間近の埠頭。高柳は更紗の細胞時間加速によって意識を奪われた。そしてセルの構成員であるが故に、断罪銃の銃口が向けられた。
珠希は殺したんだろうか――彼と、香田を。
人を。
「沖田くん?」
はっと気づくと、千景が怪訝そうに覗き込んでいた。
晴道は「ごめん、何でもない」と詫びた。千景はわずかに眉をひそめるも、質問を続けた。
「セルって、リコンビナントっていう生物兵器を作ってるんだよね。おまけに、そいつらを強くするために突然変異の遺伝子を集めてる」
「ああ。だから俺も千景も、この咲浜医療センターに連れてこさせられたんだ」
ふぅん、と頷く千景。
そして問いを投げた。
「沖田くんの突然変異は、何? 私みたいなの?」
興味津々な目だ。
晴道は素直に答えた。
「発現抑制。他の変異種の突然変異を抑えるってやつさ」
「他の変異種の……? じゃあ何で自分がその能力を持ってるって分かったの?」
「遺伝子解析されて判明したんだ。だから一カ月も入院するはめになった」
はっ、と千景はなぜか息を呑んだ。そして唐突に慌て出す。
「そう言えば沖田くん、病み上がりだったんだ。こんなに動き回って大丈夫?」
晴道は苦笑した。
「ああ。実際の怪我は最初の二週間くらいで治ってたんだけど、その後は久澄に丸めこまれて……遺伝子解析のために入院させられてたんだ」
「そうなんだ……。久澄って?」
「セルの研究員だ。俺に『セルに賛同しないか』って言ってきた奴さ」
その時が今や遠い過去に感じる。
リコンビナントの襲撃、オルタの接触、セル構成員の出現、――断罪。逃亡。
善悪の睨み合いの中に突然放り込まれた今日。一日が終わろうとしている今、自分の命と精神が正常に保たれているのが奇跡に思えた。
「ねぇ……沖田くん」
ほとんど同じ立場の少女が、視線を斜め下へと流しながら問うた。
「沖田くんは、オルタなの? それともセルなの?」
相反する組織の名を、千景は発した。
その究極の二択を、晴道は否定した。
「どっちでもない。セルが犯罪組織だって事はよく分かってる。だからセルにつく気は毛頭無いけど、一方的な認識で死刑をかざすオルタにも納得できないんだ」
「え、それじゃ」
「俺はどっちにもつかないよ。だからオルタの奴らから……逃げて来た」
千景はぱっと視線を上げ、晴道の瞳をじっと見つめた。
「私もそうだよ。一ノ瀬――オルタは元から気に入らないけど、沖田くんの話を聞くと、セルはますます許せないよ」
力強い口調で、晴道の考えを肯定した。
そして凛々しい笑みと共に、千景は手を差し出した。
「一緒にこの島を出ようよ、沖田くん。どっちの仲間にもならずに、自分たちが良いって思える考えを突き通そう」
オルタでもセルでもない少女は、晴道に対してそう提案した。
彼女の瞳には、何かの意思が宿っている。黒髪の少女の抱くそれとは違った意思が。
晴道は、自分の瞳にも同じ思いが宿っていると直感した。
そしてその瞬間、千景の手を強く握りしめていた。
「ああ」
頷き、握手を交わした。
誰かの手を取るのは二度目だった。
ただ、一度目の時とは決意の深度が違った。
俺は千景と島を出る。
オルタにとって罪人となろうが知った事ではない。俺たちにとってはこれが正しい思想なんだから。
千景は微笑む。
晴道も――微笑んだ。
今日、初めてまともに、心から笑った気がした。




