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4章の2

 空の支配が黄昏から宵に変わった頃、沖田晴道は咲浜医療センターの第一病棟にいた。

 病棟と言っても、その建物は半壊している。晴道がいるのは、鉄筋がむき出しになった瓦礫の山の中。

 まるで爆発事故の現場だった。五階建てだった鉄筋コンクリートの建物は、無残にも元の半分以上が失われている。かろうじて残った部分が、できの悪い模型のように病棟の断面図を晒している。

 大小さまざまな瓦礫が、更地の上に無秩序に積み上がっている。岩山がそびえたような所もあれば、完璧に砕け散ったコンクリートが砂場を作っている所もある。晴道は何とか通れそうな場所を捜し、病棟の跡地に踏み入っていた。

 障害を避けた、縫うような前進は実に遅々としていた。心ばかりが焦る。

「暗くなってきやがった……くそっ」

 行く手を阻む瓦礫の壁に吐き捨てつつ、やっとの思いで迂回路を探り出す。

 暗くなってしまったら、探せるものも探せない。

 晴道が倒壊の二次災害に巻き込まれる危険を冒して、ここ第一病棟跡地へと踏み入ったのには目的があった。

 海を渡る手段を得るためだ。

「ボートでも何でもいいんだよ……浮き輪でも」

 ぶつぶつ呟きながら、瓦礫の狭間を探りまわる。

 やっている事は火事場泥棒そのものだが、晴道は必死だった。

 ここ咲浜医療センターが【セル】の研究施設である事に疑いは無い。咲浜アイランドという人工島も、セルのためにある島のようなものだ。

 セル――リコンビナントという人工生命体を、生物兵器として生産・売却している地下組織。リコンビナントの兵器としての価値を上げるために、常人を逸脱した生体現象を起こす突然変異を導入しようと目論んでいる。

 そして今日、セルの研究者・久澄調は、晴道に「セルに賛同しないか」と持ちかけた。遺伝子を提供することでリコンビナント改良に貢献しないか、という意味で。

 誘われたその時は、久澄の言っている事がよく掴めなかった。

 しかしその後、彼女らの関与によって、晴道の認識は大きく展開した。

 セルの所業を裁くために現れた【オルタ】の三人。

 八ツ坂珠希、三小田更紗、四堂ミラ。左胸に同一のエンブレムを掲げた彼女らはセルの〝悪〟を説き、変異種の〝罪〟を語った。

 彼女らの最終目的である〝断罪〟の意義も。正義と悪の迫間は存在しないということも。

 黒服の少女は、罪人を殺すのだということも。

 彼女が唯一の断罪執行者だということも。

 晴道は目の当たりにした。

 そして、突きつけられた事実から逃げた。

 変異種は、存在自体が罪である。珠希たちがそう主張する理由もわかる。

 わかるけれど、頷きたくない。

 そして、想像すらできない決意を抱く彼女らに否定を返す勇気もない。

 だから晴道は逃げた。八ツ坂珠希の瞳と断罪銃の銃口から。

 銃声は鳴らなかった。晴道は生きていた。

 無我夢中で繰り出す自分の足の向かっていた場所が、元いた病院だったことに気づいたのは、生存の安堵に浸った後だった。

 何で連絡橋に向かわなかったんだ! 

 そう自分を非難したが、もう遅い。

 こうなったら開き直るしかない。

 生き延びるためには、この島を脱出しなければならない。セルのための島に居続けるなど、頼まれてもごめんだ。

 本土に返るためには、連絡橋を渡るのが一番スマートな手段だ。しかし、その前の地点である埠頭には珠希たちがいる。待ち伏せされている可能性は大いにあるから、のこのこと戻るわけにはいかない。

 連絡橋は埠頭から伸びる一本しかない。それなら、晴道はどんな行動に出ればよいか。

 答えは決まっている。海を渡ればいい。

 晴道とて、こんなに簡単な答えが導き出せないわけがない。仮にも高校二年生だ。

 海峡の波は穏やかだ、と更紗は言っていた。確かに、咲浜アイランド周囲の海が荒れた事は、一ヶ月の入院期間の中で一度も無かった。今日間近に見た所でも、さざ波という形容がぴたりと来る波しか窺えなかった。

 こんなに条件が整っているなら、誰だって実行に移すだろう。晴道のように、陽が落ちてしまうまで、まごまごしている事もなく。

 晴道も、叶うなら直球勝負に出たかった。――即ち泳いで渡るという手段。

 しかし、できなかった。

 彼は泳げないのだ。

 何とも情けない理由だったが、晴道にとっては深刻極まりない事態だった。

 海を渡るために、晴道は必死にその手段を捜しまわっていた。願わくは、ボート。百歩譲って救命胴衣。最終手段は浮き輪。

 海上に立つ病院なんだから、緊急用の救命ボートの一つでもあるだろう。晴道はそう期待して、この火事場泥棒行為に出た。第一病棟を標的にしたのは、普通の病棟みたいだったという情報の他、リコンビナント生産施設であった第二病棟や、自分が秘かに調べられていた第三病棟には足が向かなかったからだ。

 第一病棟が爆破されたという事実を思い出したのは、この有り様を目の当たりにしてからだった。がっくりと肩が落ちたが、しかし石ころの中には宝石が眠っている、という言葉もあると自分を鼓舞し、瓦礫の山に踏み入った。

 捜索活動は、晴道の想定よりも遥かに遅々として進まず、いつの間にか辺りは暗くなりつつあった。

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