3章の10
「更紗っ!」
振り返る、が、いつの間にか彼女の姿は消えていた。
一歩足が出かけた。しかし最後に言われた言葉を思い出して踏みとどまる。
その時、耳に鈍い音が聞こえた。姿は見えないがもう一人、戦闘に身を捧げている少女が存在することを知らされる。
「……っ」
何もするな、大人しくしていろ。
俺はただの役立たずだ。久澄が言う価値ある人間であるなんて、全然思えない。
晴道は俯き、自責を嘆息に吐き出した。
そして悄然とした思いで、銃撃の空間へと目を向けた。
……
そこには珠希の後ろ姿と、高柳の立ち姿と、
「――!」
白衣をまとった左腕。
そこに結んだ三角巾が風圧に揺れる、と、同時。
「ぐっ!?」
吃驚混じりのくぐもった呻きが、その光景に示される通り、漏れ出た。
呻いたのは高柳。
その顔面を押さえるは、いっぱいに開かれた更紗の左手だった。
更紗の指の間からのぞく高柳の目は驚愕に見開かれていた。
まぶたを震わせながら向けた視線の先の白衣に、彼は何かを発しようとした。
「細胞時間加速が回復術だと? お前は視覚解析を持ちながらも、突然変異自体の分析には疎いようだな」
「――!」
「私が言うのも不本意だが、久澄くらいの知識があれば、この展開は充分に予測できていたはずだ」
高柳はその疎ましい名を耳にすると、憤りか、憤然と銃を構えようとした。
しかし、
「無駄だ。お前の残り時間はもう終わる」
更紗が冷たく発した瞬間、
「が……あっ!」
銃声の代わりに、高柳は己の絶叫を空気に響かせた。
とても短い叫びだった。
顔面を掴んでいた更紗の手が離れる。高柳の体は支えを失った棒きれのごとく、重力のままに地面へと突っ伏した。
どがっ、と荷物でも放り投げたような音が立つ。
彼は死んだように動かなくなった。
「……」
一瞬のうちに展開された事実。
晴道は呼吸も忘れ、その様に見入っていた。いつの間にか銃声が止んでいたことにも気づかずに。
視界で白衣がひらめいた。
「ふぅ……まったく、ミラ以上に周りが見えていない奴だったな、この男は。視覚解析の情報だけに捉われて、私の姿は全く見えていなかったようだ」
倒れた高柳の背に視線を落としながら、呆れたような呟きを漏らす。
そして、ふいっとこちらに目を向けた。
「お前も、焦りのあまりに私の変異の本質を忘れていただろう?」
いたずらっぽく問うた先は、珠希だった。
珠希は少し黙った後、
「あなたがこういう形で細胞時間加速を発現させる機会は滅多にありませんから。少しばかり失念していただけです」
言い訳じみた答えを返した。
そしてバックサイドホルスターに障害銃を収めると、そのまま振り返った。
「晴道?」
立ち尽くす晴道を怪訝に見る。
晴道の視線は未だ、倒れた男に釘づけのまま。
よく見ると、彼の背はわずかだが規則的な上下を繰り返している。
「生きて……」
「ああ。こいつはまだ生きている」
「更紗さんの決め台詞は誤解を招きやすいと思います」
更紗は悪びれる風も無く、珠希の指摘を流した。
「残り時間を奪ったのは、脳細胞における意識を司る部分だけだ。加速度的な新陳代謝を誘起し、細胞の分裂限界まで追いやったのさ」
ついでのような説明だったが、それで晴道はこの状況を理解できた。
更紗は高柳の脳細胞に対して、細胞時間加速を発現させたのだ。損傷組織を補うのとは段違いの強度で。よって彼の脳細胞は一部を尚早なる死へと追いやられた。
まさに残り時間を奪うという行為。
死を辿ったのは、意識を司る部分のみ。彼が意識を取り戻せるのかわからないが、しかし彼は生を維持している。
つまり、更紗は彼を生かした。
晴道は更紗へ視線を向ける。目が合った瞬間、更紗は「?」という顔をしたが、すぐに笑みへと変えた。
「お前の発現抑制が発動すれば、私の突然変異も抑制されてしまうからな。行動を制限させてもらった。決してお前を無価値だと判断したわけではないぞ」
「……」
その言葉に頷く資格など、晴道は持ち合わせていなかった。
「ミラさんは大丈夫でしょうか」
珠希が空を見まわした。
「そろそろじゃないか?」
「ええ」
二人の言葉と示し合わせたかのように、いきなり空中に人影が躍った。
超速域から吐き出されたその体は、ものすごい勢いで地面に打ち付けられた。




