【魔法少女リリカルなのは】「第二話 魔法の呪文はリリカルなの?」
【登場人物】
高町なのは CV:田村ゆかり
月村すずか CV:清水愛
アリサ・バニングス CV:釘宮理恵
父 高町士郎
母 高町桃子
姉 高町美由希
兄 高町恭也
【あらすじ】
一話に続く黒い影との戦闘と撃破。その後帰路でユーノの背景を知った「なのは」は、自分が魔法使いとしてユーノを助けようという結論に思い至った。そうして深夜に家に帰ると、家族はユーノを受け入れ、学校ではユーノと精神通話をし、そして放課後にさらなるジュエルシードが発動して犬獣が現れる。
「なのは」はピンチをレイジングハートと共に切り抜け、またも撃退する。一部始終を見ていたユーノは「なのは」の底知れぬ才能に驚くばかりだった。
【感想】
『ジュエルシード』という単語を聞いて、魔法少女まどか☆マギカに登場する『グリーフシード』を思い浮かべてしまった。結構、まどマギはこの作品の影響を受けているのかなと思ってもしまう。監督が同じだし、本当にそういうのもありえるかも知れないなと思った。
辛辣な意見になってしまうが、作画に関してはそこまで優れているとは言えないのかもしれない。一話の考察では、作画に緩急がついていると言ったが、二話では緩急の緩の字のみが全体の作画を表していると思ってしまった。つまり、作画はそこまで良くないという感想である。私自身は、ファーストガンダムやアニメ版エヴァで慣れている目なので、特に作画で離脱、なんてことは決してないので安心してほしい。
内容時代も、二話で世界観や背景設定が説明されて、「魔法少女リリカルなのは」としての物語が本格始動したような感触だった。次に考察に移る。
【考察】
主に、四つのカテゴリーに分けて考察するつもりだ。
①二話でのテーマと描写の裏側
②演出面の評価
③他作品との比較
④全体を通してのテーマ性の再構成
以下、順に行う。
【①二話でのテーマと描写の裏側】
この二話では何がテーマとして物語が進んでいたのか、それを考えようと思う。まず、全体を通して特に印象的だったのはまちがいなく「ユーノの背景や魔法少女における設定などを含めた世界観説明の描写の多さ」だろう。
具体的には「ジュエルシードはユーノの世界で発見された古代遺産であり、遺跡発掘を仕事にしていたユーノが偶然それを発見。当局に保管依頼をして移送をしている最中、運んでいた時空間船が爆発事故を起こしてしまう。その際に全部で21個のジュエルシードが、こちらの世界に散らばってしまった。」という説明だ。
こういったユーノの世界についての説明や、敵についての説明などは、魔法少女として「なのは」が活動する際に知っておくべきことでもあり、それらがすでに第二話で共有されているという事実が重要なのは明白だ。
つまりこの作品は、すでに第二話時点で、なぜユーノがこの世界に来たのか、敵は何なのかなどの重要な要素を全て解決させているのだ。だからこそ、未だ解明されていない部分が今後のテーマに深く繋がるのは言うまでもない。
そして私が考えたのは、魔法少女設定の説明に、個人的感情が含まれていないという事実だ。例えば、ユーノは自分の世界の説明をしたが、「なのは」に対して「魔法少女は〇〇な存在なんだ!」という言い方をしていない。
レイジングハートで魔法少女になることや、敵は21個のジュエルシードでそれらはユーノの世界で発見された古代遺産であるなどの背景の情報を伝えただけで、魔法少女はこういう存在で、君は才能があるけれど、僕は君にこういう魔法少女になってほしい、こういうことはしないでほしい、といったユーノの主観的な思いが全く述べられていないという点だ。
第二話で述べられている部分は、「ありがとう。魔法少女になってくれて。」のように感謝の言葉や、「ごめん。なのはを巻き込んでしまって。」などの謝罪の言葉くらいだ。
これらをふまえると、序盤でユーノによって説明が行われていたけれど実際に出会ったり、魔法少女として活躍する中で疑問点やズレが大きくなって、ユーノの説明は正しいのだけれども、実態とは違ったというような展開が待っていそうに思える。また、世界観説明の際にわざと説明されなかった部分が実は超重要な情報で、それを教えてくれなかったから二人の間に大きなすれ違いが生まれてしまうなどの展開も考えられる。
これらが今後の展開を予言しているものなのか、大きく外れているものなのかはわからないが、現時点でのテーマ予想としては悪くない位置だと思う。
【②演出面の評価】
演出面で光っていたのは、ジュエルシードによって現れたシリアル番号16番の犬獣における演出だ。
「なのは」がパスワードを唱えずにステッキを生み出したシーンや、最初のジュエルシードの敵に比べて、魔法少女になってからかなりあっさりと倒してしまう描写は、「なのは」の魔法少女としての才能の高さを示しているのは言うまでもない。
これは、実際にユーノが「なのは」に対して、驚いている様子が二度ほど繰り返されていることからも明確だ。
しかし私が注目したのはここだけではない。犬獣に驚いて気絶した女性が最後、目を覚まして起き上がると胸元に飛び込んできた彼女の飼い犬である子犬、これに注目したのだ。
一見、普通に気絶から治った飼い主に飛び込んだ可愛い子犬として見れるが、では飼い主が気絶していて犬獣が闊歩していた間、その可愛い子犬はどこで身を隠していたのだろう?
ユーノは犬獣を見た時、「ジュエルシードが現実世界の生き物を取り込んで実体を持った」と評した。その生き物は具体的にどんな生き物とユーノは言っていただろうか?
子犬…である。
つまり、飼い主は自分の飼い犬が犬獣となったことに驚いて気絶したのだ。そして犬獣が封印された後、子犬もまた解放されて飼い主の元へ戻ったのだ。
ここは、本編での説明が曖昧で気づく人も少ないと思うが、こういう整合性がある作りは見ていて楽しい。
「③他作品との比較】
比較する他作品として挙げるものは、やはり「魔法少女まどか☆マギカ」だろうか。
かなり密接に関係しているように思える。しかし、まどマギでは敵は21体も決まって存在しているわけではないし、作中ではワルプルギスの夜がダントツで強いことになっている。
「魔法少女リリカルなのは」では、すでに21体のジュエルシードがいて、恐らく物語が進むにつれ強くなったり、説明されていなかった設定が回収されたりするのだろうが、敵についてはほぼ対称的と言ってもいいほどに別であろう。
また、考えるべきところは、魔法という存在である。まどマギでは魔女も魔獣も出ていたが、魔法という言葉への印象はそこまでない。願いの代償という方が強い、呪い寄りであるように思える。
しかし、「魔法少女リリカルなのは」ではこの魔法という言葉に対して肯定的に受け取られている気がする。
しかし、この肯定的に受け取られていることの根拠が第二話時点ではさほどなく、魔法少女に変身するシーンが鮮やかだったり、「なのは」が魔法少女に肯定的であったり、ユーノが正義感を持っていることなどから直感的に連想できてしまうが、実際にこの作品では魔法は肯定的に扱われているという結論を出すのは難しい。
しかし、「魔法少女まどか☆マギカ」に比べると本作の魔法の扱いはかなり違っているのではないだろうか。年代的にはAIRなどがあり、AIRの霧島佳乃は、「バンダナを外さずに大人になれば魔法が使える」という言葉を信じていたことからも、魔法という言葉が具体的効能や効果を表しているのではなく、なんとなく非日常そのものを表している言葉のような位置付けだったのではないかと考えるのは早計だろうか。
第一話での考察で多用した、「日常と魔法少女という非日常の両立」ということからも、魔法という言葉は日常から非日常へ連れ出してくれるきっかけの言葉ではないのだろうか。
【④全体を通してのテーマ性の再構成】
第一話第二話を統合して考えると、日常を力強く生きる「なのは」が魔法という言葉によって非日常を経験し、自分だけの価値ある何かを見つけるというテーマがあると私は考えている。
【総評】
非常に面白いし、考えがいがあるので引き続き視聴して楽しみたいと考えています。
OP曲が個人的に結構好みです。




