【映画 ラブライブサンシャインover the rainbow】感想と考察
【登場人物】
高海千歌 CV伊波杏樹
桜内梨子 CV逢田梨香子
松浦果南 CV諏訪ななか
黒澤ダイヤ CV小宮有紗
渡辺 曜 CV斉藤朱夏
津島善子 CV小林愛香
国木田花丸 CV高槻かなこ
小原鞠莉 CV鈴木愛奈
黒澤ルビィ CV降幡 愛
渡辺 月 CV黒沢ともよ
鹿角聖良 CV田野アサミ
鹿角理亞 CV佐藤日向
【感想】
映画を見終わった後、最初に感じたのは視聴して本当に良かったという満足感だった。
しかし正直のところ、最初はそこまでワクワクしていなかった。一番最初のダンスパートで背景にいる市民たちもモーションキャプチャーでしっかり動かしていたり、幼少期の千歌や曜ちゃんが登場していたりはしたが、何をこの映画は見せるのだろうかという疑問が胸に張り詰めていて楽しめなかったというのが大きな理由だ。
1時間40分ほどの映画で、ラブライブサンシャインAqours9人は映画として何を残すのか、そこに注意が行きすぎていて、単純に楽しむということができていなかったのかもしれない。
その蟠りを覆してくれたのは些細な一幕だった。
渡辺曜のいとこである渡辺月がイタリアのローマに昔住んでいて、3年生組を探しにきたAqoursの6人のイタリアでのガイド役になるというシーンだった。
ここでついに私は物語がやりたいことが少し明確になり、そして筋道が整理されたと思った。それから純粋に物語の中に入り込むことができるようになり無事楽しめたというわけだ。
というのも全体を通して渡辺月でないといけなかった理由がわからなかったからだ。
しかしガイド役で来ているという大義名分で納得することができた。
実際、彼女は沼津の高校の生徒会長で統廃合の内容について詳しく関連するのだが、そこが最初は曖昧だったからこそ劇場版特有の映画専用キャラと思ってしまっていた。
最終的に素晴らしいポジションのキャラで大きく意味があったと今では強く思っている。
ここから詳しい描写における分析や、私なりの考察を書いていこうと思う。
【考察】
①まず、最初のシーンについて。
最初、千歌と梨子と曜ちゃんの3人の幼少期の姿であの三津海水浴場の砂浜で紙飛行機を飛ばすシーンがあった。
これは本編の後半でも回収されることはほぼなく、一番最後に回収されたのだが、初めにこのシーンが挿入された意図を考えてみよう。
いわゆる梨子ちゃんと実は会っていたというシーンなのだが、なぜこのシーンが最初にあったのだろうかという話である。
本編では梨子ちゃんは何度か沼津には来ていたので、そのシーンが実際に描かれたということなのだが、始まりに置いた理由にはならない。
そして初めを考えるには、全体を考えないといけないのだが、その全体とはこの映画のテーマだ。
3年生が引退した後、浦女が統廃合になって、分校という形で高校生活を送るようになる千歌達。6人になった新しいAqoursでの悩みや問いと、卒業した3人の新しいところへ羽ばたく際の鞠莉達が抱える問題。姉が卒業してしまって新たなアイドル活動を目指す理亞ちゃんへの試練。元浦女の女子生徒達の努力。
それらに共通するのは、アニメ本編から時間が進んだ後の地続きのAqours達が抱えるそれぞれの想いである。
具体的な描写を思い出して考えよう。
紙飛行機を飛ばす千歌。
「もっともっと飛ばそう。」と言う曜。
「これ、あなたの?」と尋ねる梨子。
紙飛行機が鳥になって虹を越える。そして遠くから砂浜に刺さった優勝旗を映してシーンは変わる。その後、浦女が映る。校門の扉は開いたまま。アニメ本編の続きのような始まりから音楽から始まる。
「0から1へなんて大変なんだろう。だけどそれが繋がりになったよ。」
最初は2年生組の3人。そこから一年生組が加わる。アニメ本編での懐かしい風景をバックに千歌たちが踊る。奥で、沼津の方達が踊っている。三年生組も加わる。大勢の地元の人々も踊っている。そんな中を駆ける紙飛行機。
最初のシーンはこの映画本編とアニメ本編を繋いでいるのだと感じた。作品の世界観の中で言うならば、過去を振り返ることで3年生が卒業した今との差異を強調する意図があったのではないだろうか。幼少期を最初に置いたのは紙飛行機が飛ぶシーンがあるから。
最後で明らかになるのだが、紙飛行機に使われていた紙が、アニメ本編でのライブの結果である「0」の紙。悔しさを初めて感じて、それをバネにした重要な紙。始まりの紙。
それが紙飛行機となって飛んでいたのだ。物語は全て地続きで、あの日の始まりを忘れておらず、それを青空へ飛ばしていること。これを示すために最初に幼少期の千歌が紙飛行機を飛ばすシーンを入れたのだ。
なぜ幼少期の千歌が紙飛行機を飛ばすシーンを最初に持ってきたのか?
時の流れの中でのAqoursの9人のメンバーの変化や成長を示したい。映画本編では、3年生組が卒業した後の話を中心にしていた。でも、物語はもっと前からある。それも何年も前から。
あの時から始まりは変わっていないし、忘れてもいない。自分の一部にある。それを示すためにその描写を最初に持って行く必要があったのだと考える。
②終盤の超重要シーン
桜が舞い散る夕焼けの校門前。
「ちゃんと会ってほっとしたづら。」
「あ、開いてる。」
「大丈夫なくならないよ。浦の星も、この校舎も、グラウンドも、図書室も、屋上も、部室も、海も、砂浜も、バス停も、太陽も、船も、砂も、山も、街も、Aqoursも。」
校門を閉じる。
「帰ろう。全部全部ここにある。ここに残っている。0には絶対に無くならないんだよ。私たちの中に残って、ずっとそばにある。ずっとそばで歩いて行く。全部、私たちの一部なんだよ。」
ここまででひとまず考えようと思う。
最初の花丸ちゃんの「ちゃんと会ってほっとしたづら。」には何が含まれているのだろう。
3年生が卒業して6人になったAqoursの最初のライブは失敗した。それは3年生達が忘れられなかったから。
今、新たな学校で9人のライブをしようとしている。そんな時に、少し前までずっと通っていた高校へ戻ってきた。
新たなことをして、新しいものばかりの環境ではどうしても不安になってしまう。それは最初のライブで描かれたことだ。
曜ちゃんの月による説明パートで、「Aqoursはもうようちゃんの一部なんだよ。」と言うのがある。
これは曜ちゃんだけではないと私は思う。花丸ちゃんも、ルビィちゃんも、Aqours全員が思っていたことのはずだ。だから浦女の校門前に行って安心する。花丸ちゃんも、みんなもAqoursの思い出が一番残っている浦女を見て、自分の一部に会いにいって、変わらないその姿を見つけて。
そしてこれは、その後の千歌ちゃんの言葉によって補強される。
「大丈夫なくならないよ。浦の星も、この校舎も、グラウンドも、図書室も、屋上も、部室も、海も、砂浜も、バス停も、太陽も、船も、砂も、山も、街も、Aqoursも。」
これは現実世界で実際に無くなるかどうかの話をしているわけではない。心の中に残り続けるという意味だ。心の中の風景や記憶は無くならない。それを言葉で言っている。そしてこれは「全部、私達の一部なんだよ。」という言葉と深く密接している。心の中の風景や記憶はもちろんその人の心の一部だから。
そして千歌が校門を閉じるシーンも大切。
最初の過去を振り返りながら進むダンスパートでは校門の扉は開いていた。扉が開いている限り、千歌たちは中へ入れる。浦女という過去へ戻れる。けれどそれをこの終盤で千歌は閉じた。
過去への拒絶ではない。過去を整理して新たな環境で頑張る想いを表しているのではないだろうか。
いわゆる一区切り。見納め。そしてそれは浦女だけではない。浦女はAqoursの思い出の地でもある。3年生と一緒だった時のAqoursを心の中に留めておくという意味をこの「扉を閉じる」という表現は意味しているのではないだろうか。
そこから、0についての話が始まる。校門の前で9人が一つずつ語る。
「だから、いつも始まりは0だった。」「始まって一歩一歩前へ進んで積み上げて。」「でも気づくと0に戻っていて。」「それでも一つ一つ積み上げてきた。」「なんとかなるって、きっとなんとかなるって信じて。」「それでも現実は厳しくて。」「一番叶えたい願いは叶えられず。」「また0に戻ったような気もしたけれど。」「私たちの中にはいろんな宝物が生まれていて。」「それは絶対消えないものだから。」
幼少期の千歌に戻る。視界には小さい頃のAqoursのメンバー。梨子ちゃんに振り返って微笑んだ千歌は意を決して紙飛行機を空へ飛ばす。
「青い鳥があの虹を超えて飛べたんだから私たちにもきっとできるよ。」
というシーン。ここからライブへと繋がるのだが。この文章でドキリとしてしまう文章の一つ目はこれだ。
「でも気づくと0に戻っていて。」
これはアニメでの0の結果だとおもう。
練習に励んで、機会も得てライブもしたが結果は0。その時の挫折ではないだろうか。この0というのは単純に失敗を意味しているとも読めるが、この作品ではどちらかというとスタートを示していると私は感じる。理由は0がなければ1になることはないから。0がないなら何も始まらないから。0という結果を突きつけられて始まる物語だったから。
そして、もう一文、似たようなものがある。
「また0に戻ったような気もしたけれど。」
これはこの映画の最初のライブで失敗した6人を振り返るとよくわかる。初めて0を知ったあの日から0を1に変えていった。コツコツ努力してきた。そしてついにラブライブで優勝を遂げた。だから0ではない。けれど、またつまづいてしまた。聖良さんに言われた、ラブライブ決勝でのあなた達を100とすると今は30ほどしかないと。
また0に戻ってしまった。それがよくわかる。ここでの0は失敗ではない。始まりだ。
「私たちの中にはいろんな宝物が生まれていて。」「それは絶対消えないものだから。」
これらは過去の努力や葛藤は無駄にはならないことを示しているように思える。自分の一部にそれらはなり、そしてそれらは自分の宝物になるということ。
校門を千歌は閉じた。もう浦女へ会いに行くことはあっても中に入ることはないだろう。けれどそれは無駄になったことを意味するのではない。校門は心の扉かもしれない。校門を閉じたのは、9人のAqoursの記憶や感動を心の一部に留めておくことの暗喩ではないだろうか。
Aqoursという記憶が彼女達の中にある。それは宝物である。それは絶対消えないものである。そしてこれからも紡ぐ記憶である。
作品のテーマは「時が経つにつれて変化する環境や立場の中で彼女達がAqoursをどう捉えるか」というもの。
私たちに向けたメッセージは「新しいことを始めたり環境が大きく変わったとしても、過去の自分の行いや思い出は無くなったりせず自分の一部として常にあり続けていて、それを受け入れて心の支えとして新たな世界でも楽しみ頑張り続けてよ。」というものなのかもしれない。
【総評】
初めて、100分ほどの長編の考察を行ったのですが、どこを切り取って考えるかが難しかったです。本当は、ライブパートでそれぞれのイメージカラーが1本の光の筋へと収束して行くときに映画のメイン概念でもある虹の色を想起させる演出や、最後の理亞ちゃんの葛藤に対してのルビィとAqoursの他の子の思い入れの差についてなども熱く描きたかったのですが、それらを入れるとあまりにも文量が多くなりそうで断念しました。
ちなみにアニメ本編の考察も各話単位で行っていたのですが、アナログのMPノートに書いていたせいで、掲載は難しかったりもします。私の字が汚すぎて解読に苦労しながら書くのならいっそ、二周目を視聴して新しくデジタル版MPノートを書く方が楽しそうですし、何より隙間なくびっしりと25ページくらい書いた象形文字を全部写すのは骨が折れるので。
実はラブライブ無印の方もすごい好きで、Aqoursもμ'sもcdでよく聴いているので、今度は曲についての考察もしたいですね。でも著作権的に歌詞を載せるのは厳しいのでどうなるかわからないですが。
映画について。
とても面白かったです。元気付けられました。DVDのケースの前面で6人が、背面に三年生組の3人が載っていて、最初なんで分けているのだろうか、とずっと不思議に思っていたけれど、映画本編を見て合点がいったというのも個人的な楽しい思い出のうちの一つです。
作画もすごい丁寧で、各キャラの魅力が最大限引き出されているシーンが多くあり、特に曜ちゃんが不意に千歌ちゃんに手を繋がれてタジタジするシーンや、いとこの月ちゃんづたいに曜ちゃんの千歌ちゃんへの熱量が言葉として見えたシーンではすごいニヤニヤしちゃいました。
大学生になったら諏訪湖で東方の聖地巡礼するだけでなく、沼津にも行くつもりです。写真館で善子ちゃんのトートバッグを買ったり、あの砂浜でAqoursと書いたりしたいですね。
あと、Aqoursのとある同人誌の感想と考察を今度また出すつもりなのでそちらも是非よろしくです。




