【魔法少女リリカルなのはA's】「第5話・第6話それは小さな願いなの前編・後編」 感想と考察
【感想】
はやての生い立ちを聞いて泣きそうになった。
しかしながら第6話は特に、八神はやての周りの話が中心でフェイトちゃんがあまり登場しなかったので、少し欲求不満でもある。
欲求不満を晴らすために、今から真面目な文章を書いていこうと思う。
まず、考察の前に、展開予想としての推察を始める。
ちなみに今回は第五話・第六話をまとめて記事にしている。
【推察 謎の仮面の戦士】
このキャラクターは第5話で、シャマルがクロノの追撃によってピンチに陥った時に、シャマルを助けるような形で登場した。
髪の毛はクロノと同じ藍色で、話し声は男だった。成人男性のような体格。
(仮面の戦士という名前は、魔法少女リリカルなのはA's公式ホームページで彼を指す名称である。筆者が名付けたわけではない。)
彼は第6話では登場しなかったので、今私が試聴した範囲で彼について語るならこの第5話の登場シーンを用いるしかない。
彼の少ないシーンのなかでこんなものがある。
それを止めようとするクロノと交戦した仮面の戦士は、クロノに
「いずれ、これが正しいことがわかる」
と謎の言葉を残して去ってしまう。
魔法少女リリカルなのはA's公式ホームページ
未来をある程度知っているかのような口ぶりに、僕は思わずこの仮面の戦士がタイムリープ系の能力を持っていそうだと考えられる。
そして、仮面の戦士が接触した相手はシャマルとクロノであるが、クロノという言葉は古代ギリシャ語で「時間」を表す言葉で、タイムリープ系の仮面の戦士と何かしらの関係がありそうだ。
最初にクロノが登場した時は、"なのは"とフェイトの争いを止めるために、突如、死角から現れた描写が印象的だったが、今回の仮面の戦士も同じように、突如現れるという登場の仕方をしている。
「突如現れる」というのはおそらく、クロノが時を扱う能力のようなものを持っていて、時止めして近づいた結果だと思われる。
詳しいことは忘れたが、クロノは無印の戦闘シーンで時止めのようなことをしていたはずだ。
仮面の戦士がクロノと関係あるかどうかはこれだけでは分からないが、
少なくともクロノはタイムリープ的なことができるだろうし、クロノがタイムリープしたという仮定をした時には、ほぼ確実に仮面の戦士のような登場の仕方になると思われる。
よって仮面の戦士は未来のクロノがタイムリープをした存在であると、今ここでは断定できないが、仮面の戦士が今の所、クロノとしか接触していないことや、クロノは今回の件に因縁があることからその可能性は比較的高いと考えられる。
【考察 ①八神はやての異質さ】
八神はやては闇の書の主である小学三年生くらいの女の子である。
友人のすずかとほぼ同い年だと考えるとそれくらいの年齢であると思われる。
そしてついに私がこれまでの考察で何度か恐れていた情報が第6話で明かされた。それは、「八神はやては少し前までは一人で暮らしていて親はいない」という情報である。
闇の書によって騎士達が現れるまでは、八神はやてはずっと一人だった。そのことから、小学3年生よりも小さい頃からすでに八神はやては一人で暮らしていたということがわかる。
さらに魔法少女リリカルなのはA'sの公式ホームページを踏んでから、『八神はやて』のキャラクター説明欄に飛ぶとこのような情報を見つけた。
物心つく前に両親を亡くし、一人で暮らす不幸な身の上だが、 歪むこともなく、優しくまっすぐに育った。
魔法少女リリカルなのはA's公式ホームページ
物心がつく前に両親を亡くし、一人で暮らすということを小学校低学年、いやもしかするとそれよりも前から一人で…
(わけがわからないよ)
・物語上、はやてと生活しているのは騎士達だけだということがしたいがために、騎士達が登場するまでは一人暮らしという設定にすることが必要だった。
・すずかと対等な友達にするために八神はやてをすずかと同年代にする必要があり、「小学3年生」という年齢設定が必要だった。
以上のような条件が複合的に絡んだ結果、断片的に見ると非常識としか思えないような過去を有する人物に八神はやてはなったのだろう。
【考察 ②八神はやての仏教思想】
遅れて家に戻ったシャマルが謝罪の電話をかけるが、はやては「気にしてないよ」と笑い、
冷蔵庫にすぐ食べられるように鍋の用意がしてあることを告げる
魔法少女リリカルなのはA's公式ホームページ
自分が闇の書の蒐集を命ずれば、なんの関係も罪もない誰かに、迷惑をかけることになってしまう。自分のわがままで人に迷惑をかけるのは良くない。
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以上の文章は第五話・第六話における八神はやてを表している描写の一部抜粋である。
普通の子供なら、自分の望みや意志をもう少し強く持ったり、そうでなくとも不安や恐れを顔に出したりするはずである。しかし、八神はやてはそんなことは一切無く、(本当に一切ない)逆に周りを心配したり、周りに尽くしている。
これらの行動は仏教における利他主義(他者の幸福や救済を重視する教え)という思想に大きく起因しているように思われる。
つまるところ、わずか小学生にして仏教における利他主義を実践できている八神はやては明らかに異質であるということだ。
この異質さが物語の展開上において極めて重要な鍵になってくるのはいうまでもない。この異質さがどんな鍵穴に対応しているかについては、
【考察 ⑤若干の展開予想】で書いている。
【考察 ③八神はやての異質さへの説明】
ちなみに、今現在で提供されている情報だけでこの異質さを説明することも一応は可能である。以下を読んでほしい。
「闇の書の呪い」
闇の書の、抑圧された強すぎる魔力が、リンカーコアが未成熟なはやての体をむしばみ、
健全な肉体機能どころか生命活動さえ阻害している。
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これは闇の書の呪いについてのとある説明で、第6話で明かされた内容である。
これを読むに、八神はやては生まれた時からこの闇の書の影響を受けていたことがわかる。
足の病気はこの闇の書が原因であることがわかり、それの進行を止めるために騎士たちは八神はやてに内緒で闇の書の完成を急ぐのだが、この闇の書の呪いを拡大解釈してみるのはどうだろうか。
足という肉体的な部分への影響だけでなく、精神的な部分への影響もあるという解釈だ。
闇の書の魔力によって、健全な子供としての感情表現が抑えられて阻害されている。
このように考えれば、"八神はやて"はなぜ利他主義なのか、ということが少なからず納得できないこともない。
【考察 ④フェイトとはやて】
すずかの紹介によりおそらく近日中にフェイトと"なのは"と"はやて"の顔合わせがあると思われるが、その前に考えたいことがある。
それは、フェイトと"はやて"が少しにているという部分である。
私が前から考察で述べているように、無印のテーマの一つであった「孤独」というのはフェイトが抱えていたが、A`sでのフェイトは"なのは"達と仲良くなり、孤独では無くなった。
代わりに、A'sでは"はやて"が孤独を抱えているように思う。
現在は騎士達が"はやて"と一緒に過ごしているが、それまでは一人で暮らしていたし、子供らしくない"はやて"は自らの欲求や願望を素直に伝えることができず、精神的な孤独を感じていると考えることもできる。
このようにして、フェイトと"はやて"は似ているのかもしれないと考えることもできるし、利他主義的な価値観は無印のフェイトに当てはまる節もあるため、余計に二人を重ねて見てしまう時がある。
しかしそれを考えた時、"なのは"も昔は一人が多かったというのが無印ではよく語られていたので、実はヒロイン3人全員が皆「孤独」というテーマを抱えていた時期があったとも考えることができ、その場合、フェイトと"はやて"だけでなく、"なのは"も追加できることから、
この作品が「孤独の少女」というテーマを扱っているのかもしれないと考えることもできる。
孤独というテーマに関してはもう少し考える余地がありそうだ。
【考察 ⑤若干の展開予想】
若干の展開予想をしていこうと思う。
展開予想を考える時に重要なのは、重要な言葉や人物同士の関係を考えて、『そのような展開にならなかった場合、伏線や関係に不都合が生じる』というような展開を一つずつ採用していくことだ。
これを心がけることで、解像度の高い予想ができるはずだと私は考えているので、今回もその考え方に沿って展開予想をしていきたい。
まず重要なのは、第6話で明かされた騎士達が主人の意向に反して闇の書を集める理由だ。
闇の書の能力については、すでにこのような説明がされている。
事件について考えるクロノは、ひとつ腑に落ちないことがあるという。
それは、闇の書の使用目的と、守護騎士たちの性質や言動の矛盾点であった。
管理局のデータでは、闇の書はひとたび完成したなら純粋な破壊にしか使えない、いわば制御不能の爆弾のようなもの。
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「いわば制御不能な爆弾」
こんなものを生み出すために危険を冒すのは意味がわからないのだが、騎士達は、闇の書の能力のためにページを集めているのではなく、闇の書による八神はやての副作用を止めるために行動していることが第6話で明かされている。
はやての危機に、涙ながらに激昂するヴィータ。
シャマルの治療魔法も効果がない病気に、なすすべのない一同。
シグナムたちにできる、たった一つの治療法。
それが闇の書の完成であり、はやてを「闇の書の真の主」にするということだった。
愛しくも優しい主、はやてのために。
守護騎士一同、騎士の誓いを破ってでも、主を救う道を選ぶ
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闇の書による影響から"はやて"を救うには闇の書を完成させてしまえばいいということだ。
しかし、これは"はやて"の騎士達への命令に背く行為である。
「現マスター・八神はやては、闇の書にはなにも望まない」
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この矛盾が触れられることなく、物語が終わるという未来はあるだろうか。
いや、ない。
故にこの矛盾は必ず物語の中で処理される内容である。
主である"はやて"はなにも望んでいなかったのに、騎士達は勝手に行動した。その理由が"はやて"のためだったとしても、八神はやての思いに反している。
自分が闇の書の蒐集を命ずれば、なんの関係も罪もない誰かに、迷惑をかけることになってしまう。自分のわがままで人に迷惑をかけるのは良くない。
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以下のようなことを考えている"はやて"がそれを知ると悲しむだろう。
悲しんだ上で、"はやて"はどう対応するだろうか。
自分が助かるために周りに迷惑をかけることを自ら望むか。
自分のせいで迷惑をかけて申し訳ないと謝るか。
利他主義な少女がとりそうなのは後者である。
その上で、他のキャラクターが、
騎士達「それでも私は主さまに死んでほしくない。」
なのは「私たちは迷惑だとなんか思っていないよ。」
フェイト「あなたの本当の願いを聞かせて。」
のようなことを言うかもしれない。
それで結果的にどちらを取るだろうか。
他のキャラクター達の言葉に従って、
自分の命のために騎士達を応援するか。
それでも迷惑をかけることはいけないと自分を貫くか。
物語というのは存外、「変化」を大事にする性質がある。無印のフェイトも最初は友達という存在に懐疑的で孤独だったが、A'sで"なのは"と親友になり彼女は孤独では無くなった。
この"八神はやて"も同じようにA'sの終盤で何かしらの変化をするという読みが自然だろう。
その変化というのが、小学生らしくない利他主義という考え方の変化ではないだろうか。
鍋を用意したのに騎士達が帰ってこなくて悲しかった。
一人で暮らしている時は毎日が不安で憂鬱だった。
車椅子生活は大変だし、周りとの壁を感じていた。
できれば治って欲しい。普通に暮らしたい。
両親に会いたい。
そういった彼女の中にたまっていた思いや欲がちゃんと身の回りの人に言えるようになる。
そちらの方が小学三年生だし、それは「精神的な孤独」からの一種の脱却ではないだろうか。
それらを踏まえた時、八神はやてが最終話で自分のわがままを言うというシナリオにするのが最も自然ではないだろうか。
逆にこれ以外のシナリオになるならそれはそれで見たいものである。
【最後に】
私はまだA'sを第六話までしか見ていないので、テーマの考察やその他諸々の各所で間違いがあると思う。
しかし、それに対して批判的な感情を持つよりも、全体像を知らない人間が見るとこういう感想になるのかというような受け取り方をしてほしいと思っている。
自分は第五話と第六話を見るまで、八神はやて率いる騎士達に対して若干の嫌悪感があった。
それは第二話で彼らがフェイトに怪我をさせたからであり、ものすごく個人的感情による偏見であったと思うが、それでも嫌なものは嫌なものだ。
第二話の"なのは"とフェイトの再会を台無しにした挙句、フェイトの体に傷を負わせたことは国際問題レベルであり、それを私が許すことは死んでもありえないが、それでも騎士達の背景や葛藤を知ることができて、彼らを若干好意的な目で見れるようになってきた。
特に、すずかと楽しそうに笑う"八神はやて"にはものすごく惹かれた。気をつけなければ気付かないうちに消えてしまいそうな儚いその御姿に私の心はひどく揺れた。
余談だが、それでも私は金髪黒服美少女の絶対領域が好きらしい。
ただしフェイト限定(?)




