【魔法少女リリカルなのはA's】「第一話 第二話」感想と考察
【考察 ①新しいキャラクター八神はやて】
今回、新しいキャラクターが登場した。八神はやてという車椅子を乗りこなす関西弁の女の子である。年はすずかと同い年であることから小学校中学年であることがわかる。
冒頭のシーンでの登場の仕方はこのようなものであった。
車椅子の少女、八神はやては孤独な暮らしをしていた。
誕生日の前日にもかかわらず人気のない家の中、はやては一人、部屋で読書で過ごしていた。
だが、はやてが9才の誕生日を迎えたその瞬間、本棚にあった、鎖で封をされた一冊の本が輝き出す。
突然の事態におびえるはやてに、鎖の封を破ったその本は、はやてに
「封印を解除します」と静かに告げた。
魔法少女リリカルなのはA's公式ホームページ
誕生日という描写はなかったが、ホームページのストーリー説明では誕生日だったようだ。アニメ本編だけを見ていると最初から最後までかなり意味のわからないシーンだったように思う。
車椅子で一人で暮らしている少女の本棚で怪しく光る本が動き出した、程度だ。
しかしこの説明を読めば背景がかなりわかるように思う。
孤独であったという要素がここで押さえておきたいポイントだろう。魔法少女リリカルなのは無印においても孤独というのがキーワードだった。フェイトの孤独。
であるからしてこのA'sにおいてもそのキーワードは対象が変わって続いているのだろう。
【考察 ②八神はやての周り】
またこの後登場した3人もしくは4人の異国風の人が登場した。そしてこれらの人々は皆、八神はやてをご主人様だと捉えていた。
なぜこんなに一般的な子供に凄腕の魔法を使える人々が付き添うのか不思議でならなかった。
しかし先ほどのストーリー説明の文章を読むと少し背景の予想ができそうだと思われる。以下は事実である。
元々孤独だった八神はやての元にあやしい書が現れた。その書は人の魔力を吸い取ってその量に応じてページを文字で埋めていくというものだった。そして現在、なぜか凄腕の魔法使いが彼女をご主人様と呼んでいる。
整理した事実
これらのすでに分かっている事実から考えるに、八神はやては闇の書の力を使って彼らを使い魔のような形で召喚した。そして彼らと日々共に生きることで、孤独だった生活から解放された。
そのような過去があったのではないだろうか。
【考察 ③使い魔的存在への扱い方】
第1期では使い魔として主に登場したのはアルフのみであった。レイジングハートやバルディッシュはあくまで道具の一つに近しい扱いだったように思う。もちろん13話におけるフェイトを元気付けたバルディッシュはただの道具ではないほどに人情深かったが、それでもA'sと比べると道具の面が強かったように思う。アルフは例外。
というのも、A'sではレイジングハートやバルディッシュなどは道具というよりも対等な仲間に近しい描かれ方をしているのだ。
最初、"なのは"はレイジングハートと一緒に魔法の練習をしている。現在の私たちが対話型AIにいろいろ尋ねているのと同じように、道具というよりもコミュニケーション相手として一定の機能を示しているように思う。
さらに先ほどの論理が正しいとするならば、八神はやてが闇の書で作り出したであろう使い魔にも人間性が大いにあった。帽子を無くして怒るシーンや、ご主人様に一生付き添うことを言うシーンなどから読み取れる。一方、無印におけるプレシアが生み出していた使い魔は全て機械のようで心がなかった。
それらも含めてA'sではますます使い魔、もしくはステッキがただの道具ではなくなってきたように思われる。
【考察 ④レイジングハートと"なのは"】
「撃ってください スターライトブレイカーを」
「そんな…無理だよそんな状態じゃ…」
「撃てます」
「あんな負担のかかる魔法…レイジングハートが壊れちゃうよ。」
「私はあなたを信じています」
「だから私を信じてください。」
「レイジングハートが私を信じてくれるなら私も信じるよ。」
魔法少女リリカルなのはA`s公式ホームページ
これは傷ついて回復に専念していた、"なのは"とレイジングハートが劣勢の状況を見て、自らも友達の役に立とうと思うが、レイジングハートの損傷の酷さから諦めてしまった"なのは"を勇気づけるレイジングハートの言葉である。
先ほどの考察はこの部分によってさらに補強されたように思う。
【考察 ⑤OPのPV】
今回のOPのPVについても少しだけ考えたい。
PVのその大半がフェイトと"なのは"が二人でいるシーンである。
無印でも同じくフェイトと"なのは"が中心であったが今回は立ち位置が違う。
無印のPVでは対立する関係として描かれていた。しかしA'sのPVでは二人は共にいる様子、二人とも笑顔でいる様子が多い。
関係性の変化とだけで絞めることもできるがもう少し考えたい。
前回はフェイトと"なのは"が対立していた。その対立がそのままストーリーの中核となった。それは、対立しているというのは物事における中間の事象で、これから変化が起きる事象であるからだ。
対立したままでは終わらない。対立から何かしらの変化がある。だからその変化の過程がそのままストーリーになる。
けれどA'sではどうだろうか。対立はしていない。二人は友達だ。友達というのは物事における終着点だ。友達から何の動きがあるだろうか。喧嘩などの些細なことはあったとしても喧嘩別れをしたまま物語が終わることなどない。
友達というのは友達であるまま終わることができる。ゆえにそこがストーリーになることはない。
ではどこをストーリーにすれば良いのだろう。答えはすでに提示している。対立だ。ここでも対立を書く。A'sでの対立とは何か。すでに第一話、第二話で激しく描かれている対立があるだろう。
それが物語のストーリーになるのだろう。
動く事象と動かない事象。重要度は関係なくそれらを整理することで高解像度の展開予想ができるという考えは間違っているだろうか。




