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【魔法少女リリカルなのは】「第7話3人目の魔法使いなの?」感想と考察


【感想】

今回は、フェイトがジュエルシードを集める理由というのが主な内容だった。母親のプレシアの冷酷さが如実に描写されていて若干胸が苦しかった。


一方で内心はしゃいでしまった部分もいくつかある。


まず一つ目。

時の要塞というのがあったのだが、ガンダムを通っている民からするとア・バオア・クーではないか。

パロディなのかもしれないが今後重要になるだろう場所がア・バオア・クーなのはいかがなのだろうか。非常に面白い。


次に二つ目。

時空管理局という謎の時空トンネルを進む艦船があったのだが、まんまドラえもんのタイムパトロールではないか。


最後に三つ目。

時空管理局からやってきた3人目の魔法使いであるクロノ君。

めっちゃソード・アート・オンラインのキリト君じゃないか。


【考察 ①パロディについての個人的見解】

これは考察なのか不思議なところだが、少し考えたいことがある。パロディについてだ。


最近はパクリという言葉も流行っているが、「パクリとパロディの違いはなんでしょう」という話では、「愛があるかどうか」という答えがちらほらあがる気がする。


私としては、模倣した部分がその作品のほとんど全てに匹敵しているのであればパクリと呼ばれても仕方がないと考えている。逆に、独自のオリジナリティが中心を据えているのであれば、模倣している部分はパロディだと考えている。


有名な同人クリエイターでZUN氏がいらっしゃるが、ZUN氏は「私も二次創作をしている。この時代、完全なオリジナルでものを出す方が難しい。」という趣旨の発言をなさっている。


この言葉は何を意味しているのかというと、皆誰しもが子供の時に見たり聞いたりハマったりしたものによって感性は形成されていて、そういう経路が人知れずあるからこそ、全て自分のオリジナルで作るのは難しい、皆どこかで模倣しているという意味だ。


そう考えた場合、ほとんど全ての作品が何かしらのパロディになってしまう。この気づきで重要なのはパクリではなくパロディになる点だ。


完全オリジナルではなくとも、自分がそのシナリオにひらめきの設定を組み込んだりなどをすることで完全な模倣ではなくなる。


故に世にある作品は実は多くがパロディであるが、パクリではない。この「魔法少女リリカルなのは」においてもそれは例外ではないだろう。


なので、私が感想で感じたパロディの話は、確かにパロディではあるが、それはたまたま目につく場所の一部がパロディになっていただけで、パクリでもなんでもないし、パロディはよくあることだという話だ。


つまりパロディこそナチュラルなのだ。


【考察 ②フェイトの母親について】

名をプレシアという。


フェイトは彼女の一人娘だそうだ。テスタロッサという家名だろうというのは作品からわかる。考察で考えたいのは母親そのものよりも、「フェイトがなぜここまで母親を慕うのか」である。


なぜここを切り取るのかには理由がある。


まず、この母親が冷酷であるというのは設定であり定義なのだ。

設定ゆえにこの第7話では大いにその性質を視聴者に伝えるための演出が行われた。鞭を使ってフェイトをなぶった。そして視聴者に伝えたその冷酷さを用いて物語は終盤へ向かう。それは物語の進行のためのツールの一つでしかないのだ。


そこに後付け的な理由はあってもそこに考えるロマンはない。私はそう考える。


一方で、「なぜフェイトはそこまで慕っているのか」については考えるロマンがあると思う。これは脚本上先に決められていたことかもしれないが、それでも重要な要素ではある。そしてこのままでは終わらない性質でもある。


母親が冷酷であることはおそらく終盤まで変わらない。けれどフェイトが母親を慕っているというのは、物語が進む中で大きく変わる可能性もあるし、何よりフェイトの骨格を形作っている要素でもある。フェイトを考える上でとても重要になってくるのだ。


だからそこを考えたいと思った。


ではどこを起点に考えていけば良いのだろう。手がかりとしてあげるのであれば視聴した際の正直な感想であろう。なぜそう感じたのかを深めていくことで作品理解と考察が進むだろうと考えるからだ。



【母親とフェイトのやりとりを見た感想】

正直な所、別の作品の似た境遇のキャラクターを思い浮かべたというのが実の話である。

エヴァンゲリオンのアスカや、魔法少女まどかマギカの佐倉杏子を含む母親の影響を深く受けたキャラクターである。


フェイトが母親に拠り所を置いていたというのは自明の理だろう。

「明日は母さんに報告に戻る日だから、早く治さないと」

「ずっと不幸で悲しんできた母さんだから、わたし、なんとかして喜ばせてあげたいの」

というような文章からもその考えをより強固にできるはずだ。


そして私が思い浮かべたキャラクターとして二人のキャラクターを例に出した。このキャラクターたちがそれぞれどんな結果を迎えたのか考えたい。


【アスカ】

アスカの母親は人形をアスカだと思い込むようになり、娘のアスカを娘として認識しなくなった。そのため、アスカは母親に自分を認識してもらおうと誰よりも努力をした。そして物語終盤でアスカは搭乗中に母親の幻覚を見る。

「ママ、ここにいたんだ。」

という言葉と共にアスカの積年の願いが叶ったことで活性化し、そのまま壮絶な最期を遂げる。



【佐倉杏子】

佐倉杏子は母親ではなく父親だ。

父親は自分なりに正しさを皆に説いていたが、聞いてくれる人はいなかった。そこで佐倉杏子は自分が魔法少女となることと引き換えに、

「父の話をみんなが聞いてくれるように」

と願った。その結果、人々は父の説教に集まるようになったがその背景を父親が知ってしまう。

「これは人の心を惑わす悪魔の力だ」

「娘は悪魔と契約した」

と受け止め、現実を受け入れられなくなりついに杏子以外の家族を皆殺しにして自殺をした。

その結果、願いは他人に使うものではないことと他人を無闇に助けることへの嫌悪感を杏子は持つようになった。


最後は同じ魔法少女で穢れてしまった子を救うために自ら命を絶った。




ここからわかることで何があるだろうか。

アスカは最後まで母親に取り憑かれていた子供だったこと、杏子は父親との過去を教訓として処理できていたこと。そして今回考えたいフェイトは母親を自分の生きる拠り所としていることだ。


フェイトは上記の二人ほど意志が強いわけでもないし、何より母親が今も生きている。あまりにも相違点が多すぎる。


フェイトが母親の言う通りになっていると言うのは事実だ。そしてそれはアスカと少し似ている部分があるのも事実だ。けれどだからと言ってフェイトが母親に認められた時に吹っ切れて活性化して、その反動で自らも朽ちてしまうほど暴走してしまうという展開は考えにくい。


フェイトは落ち着いている。常に落ち着いた表情で、母親を思いやる気持ちも残っている。

だから比べるのが難しい。


この二人のキャラクターからフェイトと母親のつながりを見出すことは難しそうだ。


【展開予想】


わかっている事実を述べるとするのであれば、フェイトがジュエルシードを集める理由が母親であること。


自分の体調の管理よりも母親の期待を裏切る方が避けるべきことであること。


母親を思いやりながらあくまでも母親は優しいと思っていること。


母親は過去に辛かったから自分が力になりたいと思っていること。


ここまでの心酔ぶりを見ると、やはりフェイトは母親と隔絶されたアスカや父親に拒絶された杏子とは違いそうだ。どちらかというと、事実では母親に痛めつけられているのに、半ば洗脳のようにそれを受け止めている、その環境を気持ちよくさえ思っていると言うような心理状態が特異だろう。


「なのは」はフェイトと話をしようとしている。母親は「邪魔するものは全てぶっ倒せ。」とフェイトに言っている。


ほぼ確実にここで激突が生じるが最終的に「なのは」が勝利してフェイトを抱き抱える。それを見た母親プレシアが怒り、「なのは」を襲う。


そしてフェイトが友達という存在を知り、母親から独立することを誓い母親を倒して終了、というのが筋書きではないだろうか。


しかしこれらはほとんど現在時点での妄想、もしくは私が考える、私ならこうするという筋書きでしかないので考察とは呼べないだろう。


母親とフェイトの関係は事実では酷い関係でもフェイト自身は理想の母親だと思っているところにある。けれどこれ以上深めるには情報源が少なすぎる。


【考察 ③なのはの友人と魔法少女の接合】


実は私はある一つのことを期待していた。それは前回の話なのだが、アリサと「なのは」が思いのズレにより若干険悪になった後、アリサとすずかは二人で習い事に行ったのだが、ちょうどその街でジュエルシードが現れた。そのため「なのは」がそこへ向かいフェイトとジュエルシードを賭けて戦う。


ここで魔法少女である「なのは」と友人であるアリサとすずかが出会うという展開があるのではないかと期待していたのだ。残念ながらこの考えは妄想に終わったのだが、こういう展開になれば「なのは」は友達に秘密を打ち明けることになり、共闘するかしなくても何かアクションが生まれる可能性が現れる。

そうしてただの友達と魔法少女の接合が取れそうだと思った。しかし本編ではそうではない。


第7話時点で友人たちと魔法少女の繋ぎはユーノ君くらいで、これからフェイトとの交流が増える中で、どのようにして二つが結びつくのか不思議である。


概念的な接合もあまり思い付いていないのが現状だ。

おそらくフェイトに足りていない何かを補う形で「なのは」が言葉を紡ぐはずなのだが、そこにはほぼ確実に「なのは」と友人の間の要素が含まれていると考えられる。

フェイトと「なのは」の1番の違いは家庭環境と友人の有無だからだ。


フェイトの母親からの独立の際に、「家族でない自分を打ち明けられるような貴重な存在」として友人を使うのかもしれない。「なのは」が自分が魔法少女だということを友人のアリスとすずかに打ち明けていればこの展開は実に身を帯びそうだ。

正直想像してみても割とあり得る展開ではないかと思う。アリスはノリノリになりそうだし。


そのような点で、未だ友人の扱いはかなり保留になっているので考察する余地も少ないのだがこれからも注視して考えていきたいと考えている。



【総評】

今回は考察というよりほとんど予想文章、または他作品を大きく絡めた物語論のようなところに飛んでいってしまっていたが、次からはまた地に足つけて考察をしたいと考えている。


「考えて察する」


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