第13話 命に触れる言葉
最初の受難は、会議室を出てすぐに訪れた。
ジュド、ソレイユ、サターナの三人で廊下を歩いていると、すれ違った二人組の女性がくすくすと笑いだしたのだ。
「なに、あの髪。ますます聖女らしくなくなって」
「ねぇ。イカに墨でも吐かれて切ったのかしら」
女性たちはひそひそと、しかし聞こえるくらいの声量で話している。
ジュドにも失礼になるので、あまり髪について悪口を言われたくないのだが、予想はできていたことだ。気にしても仕方がない。ソレイユは聞こえないふりをし、ジュドも気にしている様子はなかった。
しかしサターナは立ち止まり、女性たちの方へ勢いよく振り返った。
「ソレイユ様への侮辱を確認」
そう言うと、サターナはどこからかナイフを取り出した。両手に一本ずつ持ち、姿勢を低くして女性たちを睨む。
「排除します」
感情のない声とは裏腹に、その眼光は鋭く、サターナが本気で女性たちを殺そうとしていることは明らかだった。
「えぇーーーーーー!!??」
ソレイユとジュドは、思わず声を上げて驚いた。まさか嫌味の一つで、命のやり取りになろうとは。
サターナが駆け出そうと足を踏み込む。ソレイユとジュドは、慌ててサターナのマントを掴んだ。サターナの力は強く、ソレイユたちはそのまま引っ張られそうになった。
「待ってサターナ!排除しちゃダメ!!」
「ちょ、力強すぎません!?」
「ジュドは非力すぎ!」
「仕方ないでしょう!?勉強しかできないんですよ私は!!」
なんとかソレイユが説得し、サターナは腰の鞘にナイフをしまった。取り出したときはよく見えなかったが、どうやら武器の類の多くを腰につけているらしい。
悪口を言った女性たちは、恐怖に顔を青ざめ、床にへたり込んでいた。ジュドに促されてなんとか立ち上がり、女性たちは逃げるようにその場から立ち去った。
ソレイユは深呼吸をして、上がった息を整えた。
最低限のことしか知らないとレオルは言っていたが、まず“最低限”が何なのかを確認する必要がありそうだと思った。
その後、ソレイユの部屋の前に辿り着くまでに、五回は同じようなことが起こった。ジュドは疲弊しきってくたくたになっている。
この様子では、ルーナに会わせるのは危ないかもしれないとソレイユは思った。ルーナは若干、ソレイユへの扱いが雑なときがある。それは付き合いが長いゆえだが、サターナが「ソレイユへの侮辱」と捉えてしまう可能性は低くない。
ソレイユは自室に戻るのをやめ、サターナの部屋に向かうことにした。まずは一対一で、サターナの認識を確認しておきたい。ジュドは勤務時間を過ぎたので帰らせた。
ソレイユはもう夕食の時間のため、サターナと二人で食事を持って移動した。その間にも失礼な輩に出会ったが、サターナには「夕食を運ぶことを優先して」と頼んだため、突っかかっていくことはなかった。
サターナの部屋は、大聖堂の東に位置する居住区の一室だった。部屋の中は随分と狭く、小さな机と狭いベッドしかない。ただ寝るためだけの場所のようだった。
ソレイユは机の上に夕食を置かせてもらい、机に付属する椅子も使わせてもらった。サターナもベッドに座るよう伝えたが、立ったままでいいと言う。
「一緒に食べよう」とソレイユは言ったが、断られてしまった。「付き人は主人と同じテーブルにつかない」と聞いているらしい。確かに、それは間違いではない。
人の部屋で自分だけ食事をするのは図々しい気がしたが、食器を返すのが遅くなってもいけない。ソレイユは申し訳なさを感じながら、食事に手を付けた。
ソレイユは白身魚を頬張りながら、サターナの状況を確認しようと質問した。
「まず、どんな命令を受けてるのか聞いてもいい?」
「ソレイユ様をお守りするようにと命じられています」
「仕事の内容は具体的に聞いてる?」
「ソレイユ様の基本的な日程と、自分の勤務時間は把握しています」
(なるほど、最低限……)
あまりにも雑な命令に、ソレイユは頭を抱えた。
確かに夜の付き人は、聖者を守るのが主な仕事だ。それは間違いではないし、それ以外の仕事はあまりない。
問題は、守る方法が伝えられていないことだ。暗殺者からすれば、「守ること=主人に反する者を殺す」と捉えても不思議ではない。
ソレイユはサターナに、どう言えば殺してはいけないと伝わるか考えた。本当は時間をかけて人間性を育て、自分で気づけるとよいのだが、そんな悠長なことを言っていたら命がいくつ散っていくかわからない。
一番簡単なのは命令することだ。「殺すな」と言えばそれで終わる。
しかし、それではサターナの情緒が育たない。ソレイユの目的はサターナに暗殺をやめさせることではない。サターナが自分の頭で物事を判断できるようになることだ。
(結論を出す前に、まずはサターナを理解することかな)
そう考えたソレイユは、非常にくだらないことをいくつか質問することにした。
「夜型の生活になるけど、それは苦にならない?」
「問題ありません」
「サターナはいつご飯を食べるの?」
「起床後と就寝前です」
「一日二食なんだ。お腹すかない?」
「すきません」
「好きな食べ物ってある?」
「オリーブの塩漬けです」
「どういうところが好き?」
「保存に適しているところです」
「利便性なんだ。味はどうなの?」
「いつ何時でも食べられる味だと思っています」
「じゃあけっこう好きなのかな?逆に嫌いな食べ物はある?」
「ありません」
「好きな場所とかある?」
「鐘楼内です。遠くを見渡すことができ、隠れる場所も多くあります。しかし逃げるのには向きません」
「上に追い詰められたら逃げ場ないもんね」
たくさん話しているうちに、サターナは自然と、答えと理由を合わせて言うようになった。
受け答えを聞く限り、考える能力は十分にある。ただ命令に従うだけの、感情のない人形ではなさそうだった。
想像していたより、情緒が育つのは早いかもしれない。
(好きな食べ物なんて、ディルは答えられなかったもんなぁ)
懐かしい記憶が呼び起され、ソレイユはふっと微笑んだ。
食事を終えたソレイユは、ナイフとフォークを置き、サターナの方に体を向けた。
「サターナ、お願いがあるんだけど」
「ご命令でしたら、なんなりと」
「命令じゃなくて、お願いかな」
ソレイユがそう言うと、サターナは初めて表情を変えた。驚いたように目を開き、パチパチと瞬きをする。
「……お伺いします」
サターナは困ったように視線を下げてから、再びソレイユに目を合わせてそう言った。
きっとお願いなどされたことがないから、返答に迷ったのだろう。ソレイユは間違っていないと伝えるように微笑んだ。
「私のことを守ってくれるのはすごく嬉しいの。でもね、そのために命を奪わないでほしいんだ」
「人を殺すなということでしょうか」
「人だけじゃないよ」
サターナは再び目をぱちくりさせた。そうしていると、ソレイユと同じ年頃の普通の女の子に見える。
ソレイユはサターナの表情を見ながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「虫だって植物だってそう。命があるのは当たり前のことじゃないの。誰だって、いつ死んだっておかしくない。生きているっていうのは、奇跡のような尊いことなんだって、私は思ってる。もちろん、全く命を奪わず生きていくことはできないよ。さっきもお魚食べたし。でもだからこそ、ありがとうっていう気持ちで大切にいただくの」
ソレイユの言葉にサターナが頷く。理解しようと努めているようだった。
「私を悪く言う人に出会うのは、確かに愉快なことじゃない。でも、殺さなきゃ私が生きていけないわけじゃないでしょう?それにその人たちも、愚痴の一つでも言わないとやってられないほど、生活が充実してないのかもしれない。私のことも、他の人たちのことも、どちらも大事にしてほしいの」
サターナは考えているようだった。命を大事にという考え方は、まだサターナには難しいかもしれない。
そもそも、復讐を企てているソレイユは言えたことではない。ソレイユは必要とあらば、神の命すら奪うつもりでいる。
しかしだからこそ、サターナを復讐に巻き込まないために、必要な考え方だと思った。
「……承知いたしました。殺すことなく止めるようにいたします」
しばらく考えて、サターナが出した答えはそれだった。
ソレイユはにっこりと微笑みを返す。
「うん。ありがとう」
今はそれでいい。すぐに理解できなくても考えることが大事だと、ソレイユは思った。
ソレイユはサターナと共に食器を返しに行き、二人で部屋に戻った。
ルーナとヘルクスにサターナを紹介すると、ヘルクスが仕事を教えると言ってくれた。サターナは細かいところまで、熱心にメモを取りながら教わっていた。
ルーナがソレイユに少々意地悪なことを言っても、サターナが武器を抜くことはなかった。
結局ソレイユが就寝する時間になるまで、目立った問題は起こらなかった。
(最初はどうなることかと思ったけど、数時間でここまで改善したら上出来かな)
きっと明日以降も、サターナとの日々は充実したものになるだろう。
ソレイユはベッドに潜り、期待に胸を躍らせながら目を閉じた。
その夜見た夢は、とても懐かしいものだった。
それは十年前、ディールスがソレイユの付き人になると決まった日のことだ。




