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柔らかな響きが空気を優しくなでる。
世界から音が消える。
人々のざわめきも、足音も、鳥のさえずりすらも。その一切が聞こえなくなっていた。
アイリス・リベルテの歌以外は。
歌詞はわからない。アイリス自身ですら。
母に教わった唯一の歌であり、ひょっとしたらこの大陸の外から運ばれたものなのかもしれない。
だけど観客にとってはそんな些細なことはどうでもよかった。
少女の声が奏でる旋律と、優しい響き。それが魂に染みていく。それで十分だった。
歌い終えた後で響き渡ったのは、喝采の拍手だった。
気恥ずかしくなって、ぺこりと一礼だけしてからその場を後にした。
オーナーが喜んでくれたけれど、申し訳ないがどう褒めてくれたのか全く覚えていない。それくらい緊張していたのだ。
とりあえず、心に浮かんでいたのはたった一つ。
――もう二度とやらない。
正直事件を追っている状況でなければ、家に帰って枕を濡らしたい。だって……すごい恥ずかしかったし。
「いい歌唱力だ。オペラでもやるかい?」
アクチェがはやしたててくるので、アイリスはうるっさいと言い返して、わざと肩をぶつけてやった。
そうしてレストランを後にする。
だから気づかなかった。
アクチェがいぶかしげな視線を向けていることに。そして、何か答えを見つけたといわんばかりに得心していることに。




