第8話 最初の一つ
保証が打ち切られて一週間。何も起こらなかった。
「ほら、父上。やはり大丈夫ではありませんか」
朝食の席でディグセンが言うと、父は返事をしなかった。
「金融商会だって、侯爵家との取引を簡単にやめたりはしませんよ」
「そうだといいな」
「心配しすぎです」
ディグセンはパンをちぎった。確かにマドレーヌ家は大きな商会を持っている。だが、この国には他にも商人はいる。一つの伯爵家に頼らなければ成り立たないほど、侯爵家は弱くない。何より、一週間経った。何も起きていない。
昨日はティリエルとも会った。
「やっぱり大丈夫でしたでしょう?」
彼女も笑っていた。
「お父様ったら、ずっと難しい顔をしているんです。でも心配しすぎなんですわ」
「ああ。父上も同じだ」
「私たち、侯爵家と子爵家ですもの」
「そうだな」
そう言って笑い合った。あの茶会で借金額を聞いた時は、さすがにディグセンも驚いた。けれど、借金があるからといって明日突然家がなくなるわけではない。領地もある。屋敷もある。事業だっていくつもある。父は考えすぎなのだ。
昼過ぎ。父に呼ばれた。
「王都第一金融商会から連絡が来た」
「なんと?」
「次回の更新から金利を上げるそうだ」
「……どの程度です?」
父が数字を告げる。ディグセンは眉をよせた。
「高すぎませんか?」
「ああ」
「断ればいいでしょう」
「そうだな」
「別の金融商会から借りればいい」
「三社に断られた」
「……え?」
「今朝からだ」
父は机の上の手紙を示した。
「新規融資は難しい。条件を見直したい。担保を追加してほしい。言い方は違うが、全部同じだ」
「どうして……」
「マドレーヌ伯爵家の保証がなくなったからだ」
「だからって、ここまで急に?」
「商人は早い」
父が吐き捨てるように言った。
「金を貸す側は、こちらが困ってから動いたのでは遅いからな」
「ですが、我が家には領地があります」
「だから貸してくれる。高い金利でな」
「……」
「まだ終わりじゃない」
父が次の書類を差し出した。
「織物工房が使っている染料の仕入れ先だ。今後は掛けではなく、半額を前払いしてほしいそうだ」
「なぜ?」
「マドレーヌ商会が間に入らなくなった」
「それだけで?」
「それだけだ」
ディグセンは書類を睨んだ。
「別の仕入れ先を探しましょう」
「探せ」
「はい」
「お前がな」
顔を上げる。
「俺が?」
「次期当主だろう」
「ですが、そういうことは担当者が――」
「その担当者が朝から走り回っている。お前も行け」
仕方なく、ディグセンは王都へ向かった。最初の商会。断られた。二つ目。条件が合わなかった。三つ目。今までより二割高い価格を提示された。
「なぜこんなに高いんだ?」
「少量のお取引になりますので」
「量なら増やす」
「でしたら、代金を先にお支払いいただければ」
「掛けでは駄目なのか?」
商人は困ったように笑った。
「初めてのお取引ですから」
「ワポーレ侯爵家だぞ?」
「存じております」
「なら信用できるだろう」
「信用していないとは申しておりません」
「では――」
「ですが、マドレーヌ商会さんと同じ条件でと言われましても……」
またその名前だった。
「なぜマドレーヌ商会ならいいんだ?」
商人が一瞬、奇妙な顔をした。
「長年の取引実績がありますので」
「我が家は侯爵家だ」
「はい」
「マドレーヌ家は伯爵家だぞ」
「存じております」
話が噛み合わない。結局、その商会とも契約できなかった。
四つ目。ようやく条件の合いそうな商会が見つかった。
「この価格なら、今までとそれほど変わらないな」
「ただし、初回分は全額前払いでお願いいたします」
「全額?」
「二回目以降は、取引状況を見てご相談ということで」
ディグセンは迷った。だが、父へ何の成果もなく戻るよりはいい。
「分かった。その条件で進めよう」
屋敷へ戻り、父へ報告する。
「見つけました」
「本当か?」
「はい。価格も今までとほとんど変わりません」
父が少しだけ表情を緩めた。
「条件は?」
「初回分のみ全額前払いです」
父の表情が戻った。
「量は?」
ディグセンが答える。
「その額を今払えば、来月の給与が足りなくなる」
「では借りれば――」
言ってから止まった。父は何も言わない。
「……量を減らします」
「それでは工房を動かせない」
「半分だけでも」
「半分動かすために必要な固定費は半分にはならん」
「では、どうすれば」
「それを朝から考えている」
父は椅子に深く座った。
「お前が悪い商会を見つけたわけではない」
「……」
「今までの条件が良すぎたんだ」
「そんなに違うものなのですか」
「ああ」
ディグセンは初めて知った。当たり前だと思っていた価格。当たり前だと思っていた後払い。当たり前だと思っていた融資。そのどれもが、当たり前ではなかった。
だが。他を探せばいい。
明日も王都を回ればいい。そう思った。
翌日も回った。その翌日も。見つからなかった。屋敷へ戻った頃には、日が暮れていた。
「どうだった?」
父に尋ねられる。
「……見つかりませんでした」
「そうか」
「ですが、明日また――」
「もういい」
「父上?」
「工房長と話した」
父が一枚の書類を差し出す。
「一つ、閉じる」
「……何を?」
「西の織物工房だ」




