第3話 残された事業
一時間ほどして、王都第一金融商会の支配人がやってきた。父から事情を聞いた支配人は、契約書を確認するとすぐに頷いた。
「承知いたしました。では、契約に従い、マドレーヌ伯爵家の保証を外します」
「頼む」
「それに伴い、ワポーレ侯爵家への融資条件も見直すことになりますが」
「ああ。それはそちらの判断に任せる」
父はそれだけ答えた。
「では、そのように」
支配人は書類をまとめ、帰っていった。保証を外す。言葉にすれば、それだけのことだった。けれど、その保証によって動いていた金は小さくない。
「お父様」
「なんだ?」
「ワポーレ侯爵家は、どこまで持つと思いますか?」
「分からん。すぐに潰れはしないだろうが、相当苦しくなるだろうな」
「そうですね」
父は机の引き出しから別の書類を取り出した。ワポーレ侯爵家の事業一覧だった。
織物工房。木工所。保存食の加工場。馬車による運送業。炭鉱の設備を転用した金属加工業。
ワポーレ侯爵領は、かつて炭鉱で栄えた土地だ。良質な石炭を大量に産出し、先代の頃までは王国でも指折りの豊かな領地だった。だが、その炭鉱はもうない。正確には、採れるだけ採り尽くしてしまった。
当代のワポーレ侯爵は、炭鉱に代わる雇用を作るため、領内にいくつもの事業を興した。雇用を守るという意味では、立派な判断だったと思う。ただし。その多くは、利益をほとんど生んでいなかった。
「お前はこの三年、ワポーレ領の事業資料を見ていただろう?」
「はい」
「どう思っていた?」
「改善できるところは多いと思っていました」
「例えば?」
「織物工房は、今の大量生産品では価格競争に勝てません。ですが職人の技術は高いので、高級品へ切り替えれば利益率を上げられます」
「保存食は?」
「王都向けではなく、長期保存が必要な軍や船舶向けに販路を変えます。ただ、今の品をそのまま売るわけにはいきません。保存期間を延ばし、運びやすい形にして、少ない手間で食べられるよう改良する必要があります」
「運送は?」
「荷を運んだあと、空のまま領地へ戻っている馬車が多すぎます。マドレーヌ商会の荷を帰路に積めるようにすれば、同じ往復でも収入が増えます」
「さすがだな、マリア」
父が笑った。
「何がです?」
「いや」
父は首を振った。
「ディグセン殿は、本当に馬鹿なことをしたと思ってな」
「……」
「保証だけではない。お前まで失った」
その言葉に、どう答えればいいのか分からなかった。私は事業一覧を見た。そこに記された事業のほとんどに見覚えがある。この三年間、何度も数字を見た。利益が出ない理由を探した。商品を取り寄せたこともある。王都で売られている他領の商品と比べたこともある。
すべて、いずれ自分がワポーレ侯爵家へ嫁ぐからだった。
「これも、もう必要ありませんね」
私は鞄から一冊の帳面を取り出した。
「何だ?」
「ワポーレ領の事業について、気づいたことを書いていたものです」
父が受け取る。何枚かめくり、眉を上げた。
「ずいぶん書いたな」
「三年分ですから」
「向こうには渡していないのか?」
「必要なものはその都度お伝えしていました。ただ、まだ検討中のものもありますので」
父が帳面を閉じ、書類を返してきた。
「今日はもう休め」
部屋へ戻り、一人になる。机の上に鞄を置いた。中から、さっきの帳面を取り出す。
ずっと、ワポーレ侯爵家へ嫁ぐつもりだった。そのために必要なことを覚えた。そのために仕事をした。そのために、求められる役目を果たそうとしてきた。今日、それが全部なくなった。
「……」
帳面を閉じた。
感情がない。ディグセン様の言葉が、また頭に浮かんだ。それなら。今、胸の奥に残っているこれは、何なのだろう。




