第16話 社交界には出さない
「お父様」
夕食を終え、席を立とうとした父をティリエルは呼び止めた。
「何だ」
「今度の王宮の夜会に、新しいドレスを仕立てたいのですけれど」
父の足が止まった。
「……何の話だ」
「ですから、夜会のドレスですわ。せっかくの王宮ですもの。今あるものでは少し――」
「待て」
父がティリエルを見る。
「お前、夜会へ行くつもりなのか?」
「え?」
「行かせるわけがないだろう」
ティリエルは目を瞬いた。
「……どうしてですの?」
「本気で聞いているのか?」
「私はアーカイブ子爵家の娘です。これまでもお父様と一緒に――」
「これまでとは状況が違う」
父は椅子へ座り直した。
「婚約者のいる男と想いを通わせ、その男に婚約を解消させた。自分も婚約を解消し、その男と婚約すると公言した」
「ディグセン様とは本当に愛し合っています!」
「お前たちがどう思っているかの話ではない」
「では、何の話ですの?」
「人からどう見えるかの話だ」
ティリエルは口を閉じた。
「お前たちが真実の愛と呼ぼうと、周囲から見れば、互いに婚約者がいながら密会を重ね、最後にはその相手を捨てた。それだけだ」
「そんな……」
「しかも人前であれだけの騒ぎを起こした。今のお前を連れて夜会へ出れば、私があの一件を何とも思っていないと受け取られる」
「私は誰かを騙したわけではありません」
「そういう問題ではない」
「でも――」
「お前がどういうつもりだったかなど、周囲には関係ない」
父の声に苛立ちが混じった。
「ましてや王宮の夜会だ。マドレーヌ伯爵家も来るだろう」
「……それが何ですの?」
「あの騒ぎのあとで、お前を何食わぬ顔で連れて歩いてみろ。私の立場がなくなる」
まただ。保証の話をした時もそうだった。父はいつも、マドレーヌ家のことばかり気にしている。
「マドレーヌ家、マドレーヌ家って……」
「何だ」
「お父様は、マドレーヌ伯爵家を恐れていらっしゃるみたいですわ」
「恐れているに決まっているだろ!」
あまりにも強く言い切られ、ティリエルは目を瞬いた。
「え……」
「我が家は商売で成り立っているんだぞ。マドレーヌ家と正面から事を構えて、何の得がある」
「ですが、こちらだって子爵家ですわ」
「だから何だ」
父は呆れたように言った。
「爵位を並べれば商売ができるとでも思っているのか?」
「そんなことは……」
「マドレーヌ商会と直接取引をしなくとも、あの家と付き合いのある商人がどれだけいると思っている。こちらから喧嘩を売って得るものなど何もない」
「私は喧嘩を売ったつもりなんてありません!」
「だから、お前のつもりなど関係ないと言っている」
ティリエルは何も言えなかった。
「アーカイブ家まで、お前の恋愛に付き合わせるな」
ティリエルは膝の上で手を握った。そんなことは考えたこともなかった。エルクとの婚約を解消して、ディグセンを選んだ。
男爵家ではなく、侯爵家へ嫁ぐことになる。それなら今までより華やかな場所へ行けるようになるのだと、ずっとそう思っていた。それなのに、どうして夜会にさえ出られなくなるのか。
「では、いつまでですの?」
「何がだ」
「いつまで夜会に出てはいけないんですの?」
「少なくとも今は出さん」
「今はって……」
「ディグセン殿との婚約すら決まっていないのだろう?」
胸を突かれた。
「それは、ワポーレ侯爵家がお忙しいからです」
「そうか」
「いずれ正式にお話をいただけます」
「なら、その時に考える」
「お父様!」
「何だ」
「それでは私、ずっと家にいることになるではありませんか!」
「そうなるかもしれんな」
ティリエルは父を見つめた。冗談を言っている顔ではなかった。
「お茶会は?」
「行かせん」
「観劇は?」
「誰と行くつもりだ」
「お友達と――」
「その家から正式に招かれたのなら考える」
「そんな……」
「今までどおりにできると思っていたのか?」
ティリエルは答えられなかった。
「私は何も悪いことをしていませんわ」
父の顔から表情が消えた。
「そうか」
「好きな方と結婚したいと思っただけです」
「好きにすればいい」
「……え?」
「私はもう止めていない」
父は立ち上がった。
「ディグセン殿と結婚したければすればいい。ワポーレ侯爵が認め、正式に申し込んできたなら、私は反対しない」
「でしたら――」
「だが、お前が好きな男を選んだことと、そのために失ったものを私が元に戻してやることは別の話だ」
「自分で婚約を捨てた。自分で男を選んだ」
父は冷たく言った。
「なら、その結果まで父親に片づけてもらおうとするな」
父が部屋を出ていく。一人残されたティリエルは、しばらく動けなかった。ディグセンを選べば、今までよりすべてが良くなると思っていた。
けれど今の自分には。エルクという婚約者もいない。ディグセンとの婚約もない。そして、夜会へ出ることさえ許されなかった。




