第12話 売ればいい
領地から戻ったディグセンは、父の執務室へ向かった。西工房の閉じた門。荷物を積んだ馬車。隣領へ移ると言ったスタッツと、その家族。それが頭から離れなかった。
「父上」
「何だ」
「少しよろしいですか?」
ワポーレ侯爵は書類から目を上げた。
「手短にな」
ディグセンは持ってきた古い資産台帳を机へ置いた。
「旧炭鉱の資産を調べました」
「それがどうした」
「使われていない倉庫や設備が、かなり残っています」
「ああ」
「売却してはどうでしょう」
父は何も言わなかった。
「利益の出ていない事業も、売れるものがあるかもしれません。売却代金が入れば借入を減らせます」
「誰に売る」
「商人です」
「どの商人だ」
「それは、これから探します」
父はしばらく息子を見ていた。
「……まずは値段を調べろ」
「はい」
「支配人を通して、付き合いのある商会に内々にな。売却すると決まったわけではない。話を広げるな」
「分かりました」
許可をもらえた。ディグセンはすぐに商人たちへ声をかけた。使われていない倉庫。古い運搬設備。土地。さらに、赤字の事業。
最初に来た商人は倉庫を見て感心した。
「立派な建物ですね」
「炭鉱が動いていた頃は、毎日大量の荷が出入りしていたそうだ」
「なるほど」
「今でも十分使える」
「確認させていただきます」
二人目も設備を丁寧に見た。三人目も土地の場所を確認して帰った。誰もその場では断らなかった。
まだやれる。ディグセンはそう思った。使っていないものを売る。利益の出ない事業を、それをうまく使える者へ渡す。その金で必要な事業を守る。なぜ今までやらなかったのかと思った。
数日後。最初の査定書が届いた。
「……何だ、これは」
ディグセンは何度も数字を見直した。倉庫の建設にかかった金額の、ほんの一部。二通目はさらに安かった。三通目は、旧炭鉱設備そのものには値段がつかず、金属部品だけなら買い取ると書かれていた。
「ふざけているのか!」
ディグセンは査定書を机へ放った。領内の商人だから、足元を見ているのではないか。もっと多くの商人に聞けばいい。王都にも声をかければ、この倉庫や土地の価値が分かる者がいるはずだ。
父からは、値段を調べろと言われている。ならば、一番高い値段をつける相手を探せばいい。ディグセンは支配人を通さず、これまでワポーレ家と取引のなかった商人にまで声をかけ始めた。領内だけではない。少しでも高く買う相手を探そうと、王都の商人にも話を持ちかけた。
「この金額では売れない」
「承知しております」
「この倉庫が建てられた時、いくらかかったと思っている?」
「存じております」
「なら、なぜこの値段になる」
「今、その値段で欲しい者がいないからでございます」
「侯爵家の倉庫だぞ」
「はい」
「何十年も使われてきた施設だ」
「存じております」
「なら――」
「若様」
商人は困ったように、それでもはっきりと言った。
「所有者の爵位で、倉庫の値段は上がりません」
ディグセンが黙る。
「炭鉱が動いていた頃なら、高値がついたでしょう。毎日大量の荷が動き、この倉庫を必要とする商人が大勢いた」
「今でも倉庫として使える」
「何を置くのでしょう?」
「それは買った者が考えることだろう」
「その『何を置くか』がないから、この金額なのです」
結局、商人は値段を上げなかった。別の商人も同じだった。旧炭鉱の運搬設備は古すぎる。選別施設は石炭を扱わない者には必要ない。領都から離れた場所は高値にならない。
そして事業。こちらはさらに悪かった。
「木工所を売却したい、と?」
「ああ。建物も設備もある。職人も揃っている」
「帳簿を拝見しても?」
資料を渡す。商人は長い時間をかけて確認した。
「申し訳ございません」
「何がだ?」
「弊商会では買い取れません」
「なぜ?」
「利益が出ておりませんので」
「だからこそ、経営を変えればいい。販売先を増やすなり、作る物を変えるなり――」
「でしたら、ワポーレ侯爵家でなさればよろしいのでは?」
ディグセンは言葉に詰まった。
「それが難しいから、売却をご検討されているのではありませんか?」
「……」
「私どもが買い取れば、買収代金を支払った上で、設備を改修し、販路を作り、利益が出るまで赤字を負担することになります」
「職人はいる」
「はい」
「腕もいい」
「それも存じております」
「なら価値はあるだろう」
「ございます。ただし、百人を超える従業員をそのまま雇用することが条件なのでしょう?」
「ああ」
「それでは買えません」
「なぜだ」
「仕事がなくても、賃金は必要だからです」
当たり前のことを言われた。
「設備だけでしたら買い取れます」
「設備だけ?」
「はい。工具、荷車、乾燥設備。状態の良いものを個別に」
「職人は?」
「必要ありません」
あまりにも簡単に言われた。ディグセンは別の商人を探した。その次も。さらにその次も。事業ごと買う者はいなかった。設備だけなら。土地だけなら。建物だけなら。職人を半分にするなら。どこでも条件は同じだった。
そして数日後。ディグセンは別の問題が起きていることを知った。
「金融商会から、確認が来ています」
支配人が青い顔で言った。
「何の?」
「旧炭鉱資産を大量に売却する予定があるのか、と」
「どうして金融商会が知っている?」
支配人が答えに詰まり、ディグセンへ視線を向けた。
「……ディグセン。お前、売却の話を他の商人にも持ちかけたのか?」
「少しでも高く買ってくれる相手を探そうと……」
侯爵は深く息を吐いた。
「私は何と言った」
「値段を調べろと――」
「その前だ」
ディグセンが黙った。
「支配人を通して、付き合いのある商会に内々に聞けと言ったはずだ。話を広げるなとも言った」
「ですが、一番高く買う相手を探すには、多くの商人に聞いた方が――」
「だから、付き合いのない商人にまで声をかけたのか?」
「……はい」
「王都の商人にも?」
「高く買ってくれる者がいるかもしれないと……」
父は深く息を吐いた。
「お前はそれだけの商人に、ワポーレ家が倉庫も事業も売りたがっていると教えたんだぞ」
「売ると決めたわけではありません!」
「相手がどう受け取るかの話をしている! お前のつもりなど、相手には関係ない!」
「ですが、売却を検討しただけです」
「金融商会から見れば、金に困った家が資産を現金化しようとしているように見える」
「違います!」
「だから今から説明するんだ!」
父が声を荒らげた。
「それで、高く買うと言った者はいたのか?」
「……いません」
「最初に聞いた商会より、高い値をつけた者は?」
ディグセンは答えられなかった。
「結局、何も変わらなかったわけだな」
「……」
「安い査定書だけが増えて、ワポーレ家が資産を売りたがっているという話だけが広まった」
「……」
父は目を閉じた。
「金を作るどころか、我が家に金がないことを宣伝してきたのか。見事なものだな」
「父上……」
「お前に値段を調べさせた私が馬鹿だった」
「ですが――」
「もう何もするな」
父は吐き捨てた。
「役立たずなら、せめて邪魔をするな」
ディグセンの顔が強張る。
「この件から外れろ」
ディグセンは、それ以上何も言えなかった。




