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「っ…様…、旦那様」


ジュールは誰かからの呼びかけにゆっくりと目を開ける。がんがんと頭が痛むジュールだったが、自分の足元にワインボトルが転がっているのを見て理解する。



(あぁ、そうだ。ベルが道中でワインを飲みたいとねだってきたから、馬車の中で開けて…そのまま眠ってしまったようだな)


隣で眠るベルの姿を見ながら、無邪気な寝顔に少しだけ口元が緩むジュール。小柄で可愛いベルの姿を見ると、つい自分の妻であるディーナと比べてしまう。小麦色の肌を持ち、女性にしては長身で、剣術も学んでいるために体も適度に引きしまった健康的なディーナ。緑の艶やかな髪はいつもきっちりとまとめられていることが多く、長くなびく髪が好きなジュールにとっては不満に感じる部分でもあった。


(それに比べてベルはふわふわと小動物のように髪をおろしていて、いつも花の甘い香りがする)


ベルの髪に触れ、そのまま彼女の髪にキスをするジュール。眠っているベルの姿を見ると、胸が締め付けられるような愛おしさを感じる。




「旦那様、荷物は全て玄関ホールに運び込みましたので、荷馬車の方は先に帰らせました。私共も屋敷に戻って次の用事があるため、旦那様を降ろした後は失礼させていただきます」


ジュールにそう声を掛けてきたのは側近であるハワードであり、時間を気にするようにして懐中時計に視線を落としていた。こいつはディーナが採用した優秀だという男だったが、時間やお金に神経質なのがジュールにとっても不満な人物だった。



(ハワードが帰るなら面倒な小言を聞く必要はなくなるな。ディーナだって機嫌悪そうにしていたが、途中でお土産も買ったことだし、帰って渡せば機嫌を戻してくれるだろう。息子たちへのプレゼントもベルが渡せば、この機会に仲良くなることができるはずだ)



ワインに酔っていることもあり、馬車に乗り込んだ時よりもずっと楽観的に物事を考えられるようになっていたジュール。まだ眠ったままのベルを起こそうとすると、彼女が甘えるような仕草をしたことからも仕方ないと横抱きにしてやることにした。


そうしてそのまま馬車を降り、ジュールはベルと2人で大きな館の前に立つ。驚いた様子で、彼女の頬が赤く染まっていく姿がなんとも可愛らしく思えた。



「…わぁ。ジュール、本当に素敵よ!あなたが気に入っていたと聞いていたからどんな素敵な場所だろうって思っていたのだけど、こんなに大きなお屋敷があったのね」

「あぁ、ここら一帯では一番大きな建物なんだよ」


ベルの楽しそうな声を聞き、ここを目に付けていた自分がどこか誇らしく思えたジュール。


正真正銘、邪魔者なんていないこの場所で、ジュールはベルと共に休暇を過ごせることになったのである。もしかしたら、ディーナは照れくさくて言えなかっただけで、普段仕事を頑張っている自分にご褒美をくれたんじゃないか?なんて考えもよぎるほどに、ジュールの気分は高揚していた。



「ねぇ、今日はロマンチックな夜を過ごしましょう」


そんな風にして体にぎゅっと抱きついてくるベルを見て、彼女を差し置いてディーナのことを考えていたことが申し訳なくなったジュールは、せめてもの罪滅ぼしのためにベルにキスを落とす。



「あぁ、夜が待ち遠しいよ」







ただ…幸せだったのはこの瞬間までだった。










「ね、ねぇ…このお屋敷って使用人はいるのよね?どうして、私たちの来訪を玄関先で迎えてはくれないのかしら?」

「ん?確かにそうだな。…いやでも、俺たちが途中で買い物した荷物を片づけているんじゃないか?荷馬車いっぱいに買い物しすぎたからな」



そう話すジュールだったが、あまりにも周囲が静かすぎることに嫌な予感がする。周囲から聞こえるのは森に住む鳥の声や風の音だけで、屋敷からは自分たち以外の話し声も物音も一切聞こえない。



「…いやいや。誰もいないということはないだろう」


ひやりと背中に汗が流れるのを感じながら、ジュールはゆっくりと屋敷の扉を開ける。錆び付いた扉の開閉音と共に見えてきたのは、何もない広い玄関ホールに置かれた買い物してきた荷物だけだった。


屋敷の中には人影はなく、まるで長い間誰も立ち入っていないような生暖かい空気が広がり、埃がきらきらと光に舞って落ちてくる。家具や調度品、蝋燭すらも一切ないその空間にジュールは唖然としてしまう。



「待って、馬車もないわ!!」


ベルの声にはっとしてすぐに後ろを振り返ったジュールは、ハワードを乗せた馬車がもう声も届かないほどに遠くまで走り去っていることに気付く。


ジュールとベルはただ2人、森の奥にある屋敷に取り残されてしまうのだった。





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