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「温かな飲み物を飲んでいきませんか?」
どれくらい経っただろう。そう声を掛けられたディーナが目を開けた時、既に辺りは蝋燭の光が必要なくなるほどにずっと明るくなっていた。いつもは側近のハワードが声を掛けてくれたものの、今日は1人だったこともあり時間のことを忘れていたのだ。
声を掛けてきたのは教会の神父服を着た男性であり、ディーナにとっては初対面の人物だった。
ディーナと同じくらいか、少し年上ほどのその男性。真っ白な髪を後ろに流す形で綺麗にまとめており、橙の瞳を優しく揺らしている。目尻には小さな皺があって、彼の柔らかな微笑みを向けられれば誰だって心を許してしまうだろう。
「…あ、はい。いただきます」
そう答えて立ち上がろうとしたディーナだったが、気付かないうちに足が痺れていたようでバランスを崩してしまう。すると神父はすぐにディーナを抱きとめてくれ、近くの椅子に座って待っているように声を掛けてくるのだった。
「せっかくならご一緒させてください」
教会を一度出ていった神父はティーカップを2つ用意して戻ってくると、1つをディーナへと渡してくれる。温かな紅茶にはレモンと蜂蜜の香りがしており、冷たくなっていたディーナの体にゆっくりと染みわたっていった。
「ありがとうございます。美味しいです」
「それは良かった。シスターたちにはよく蜂蜜を入れすぎだって言われるんですが、これくらい入れた方が僕は美味しいって思うんですよ」
そう話す神父ははっと思い出したように自己紹介をし、トラヴィスと名前を名乗った。なんでも数日前にこの教会にやってきたばかりだといい、今日も教会の掃除をするのに道具の仕舞い場所が分からなくなったのだと楽しそうに話しをする。
見た目からすれば凄く穏やかで落ち着いた男性に見えるトラヴィスだが、紅茶の味でシスターと気が合わなかったり、自室に蜂蜜を隠し持っていたら怒られた話など、どれも彼の見た目には似つかわないほどお茶目な人だった。
いつしかそんな会話の中でディーナはくすくすと笑いが漏れ、自分の中で思い悩んでいたことが少しだけ軽く思えるような不思議な感覚がある。
…だからかもしれない、ディーナは誰にも相談できなかった想いを少しだけ、彼に打ち明けてもいいかもしれないと思えた。
「神父様、私は夫を騙して、追い出してしまいました。最初はそれで良かったんです。胸がすっとして、夫が先に私を裏切ったのだからそれで仕方ないと思えました。ただ…ずっとずっと胸が苦しいんです」
ディーナはそうして、目線を下に落とす。そんな中で見えたのは…自分の左手の薬指である。以前は外したはずの愛を誓った結婚指輪がそこには戻っていた。
政略結婚で夫になったジュールは都合の良い夫であり、ディーナにとっては別にどうなっても構わないと考えていたはずだった。
…ただ、いなくなってから気付く後悔もある。
ジュールはあちこちで問題を起こすトラブルメーカーではあったが、顔役としてパーティに置いておけば貴族同士の会話をそつなくこなしてくれていた。遠回しな嫌味も嫉妬も、全部綺麗に受け流せるのはきっと彼の才能だろう。あの綺麗な顔で見つめられれば、結局誰だってあの男に直接戦いを挑もうとはしないのだ。
ディーナは彼の横で同じように微笑んでいれば良かったし、ワインに興味を持つ人がいるならジュールが上手く会話を回してくれている間に自分が試飲用のワインを取り出したりと、営業することだってできた。
それが今は、全て自分1人でこなさなければいけなくなったのである。
少しだけ自分が大変になっただけ。
そう思っていたのは最初の頃だけだった。いつのまにかジュールが側にいることが普通になってしまい、つい、彼の名を呼んでしまうことがあった。隣にまるで彼がいるかのように声を掛け、飲み物を差し出した時に…ハッとその場に彼がいないことに気付いてしまうのである。
パーティではそんな姿が心の痛むものとして見られ、変に気を使われることも多かった。中には自分が支えたいとディーナに愛人としての話を持ちかけてくる男性たちもいたが…ディーナはそのたびに、ジュールを一途に思っている妻のふりをした。
いつしか左手には一度は手放したはずの結婚指輪を戻しており、近寄ってくる男性たちをけん制した。
彼が、もう二度と戻ってくるはずなんかないのに。




