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邪馬台国叙事詩―神代建国譚―  作者: 月見


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六章 倭国大乱 十四話 熱田平定戦前編

 三輪山へ帰還した邇芸速日(にぎはやひ)は、長髄彦ながすねひこ安日彦あびひこから留守中の戦況について報告を受けた。


 熱田の首長・尾張壱彦は軍を一つにまとめず、小部隊を山々へ潜ませては各地の村を襲撃し、略奪を終えると険しい山中へ姿を消す戦法を繰り返していた。迎撃に向かう頃には敵はすでに退却しており、長髄彦は何度兵を動かしても決定打を与えられずにいた。


 山岳へ深追いすれば待ち伏せの危険があり、追わなければ被害だけが積み重なる。守る側であり続ける限り、この状況は変わらない……それが二人の共通した認識だった。



 邇芸速日は広げられた地図へ目を落とした。


「敵はこちらを山へ縛りつけるつもりだろう。ならば、その思惑ごと崩す。この数年で整備してきた船団を使い、海から熱田へ直接兵を上陸させる」


 守りを固めるのではなく、敵の本拠へ攻め込む大胆な策に、長髄彦と安日彦は思わず息を呑んだ。

 邇芸速日は二人へ視線を向けた。


「長髄彦は主力軍を率いて私と共に出陣してほしい。安日彦は三輪山に残り、防衛を任せる。留守を安心して託せるのは、あなただけだ」


「はっ!」


 二人が力強く応じるのを見届けると、邇芸速日は地図の熱田を指先でなぞり、迷いなく言い切った。


「熱田は一気に制圧し、従属国とする」


 知的ながら力強い宣言だった。しかし、その言葉には勝利を疑わぬ確信が宿っており、広間は静まり返る。その沈黙の中、戦慄にも似た高揚が長髄彦と安日彦の胸を駆け抜けた。


挿絵(By みてみん)


『流石、我が主……』


 二人は改めて、邇芸速日が戦場だけでなく、その先にある国の未来まで見据える統治者であることを実感する。


 その日のうちに三輪山では出陣の準備が始まった。


 港には兵糧や矢束、槍や盾が次々と運び込まれ、数年をかけて整備されてきた軍船が静かな入り江を埋め尽くす。甲板では兵たちが最後の装備を確かめ、船大工たちは帆綱や櫂に緩みがないか念入りに点検していた。


 夜明けとともに出航の角笛が鳴り響く。

 白い帆が一斉に風を受けると、船団は整然と隊列を組み、静かな海を西へ進み始めた。


 甲板の先頭に立つ邇芸速日は、吹きつける潮風にも表情を変えることなく水平線を見つめていた。その視線の先にあるのは熱田だけではない。この戦を終えた先に築かれる新たな秩序だった。




 数日後。三輪山軍は予定どおり熱田沿岸へ到達した。


 夜明け前の薄明かりを利用して兵たちは次々と浜へ上陸し、船団はただちに沖合へ退避する。周囲を警戒していた斥候たちは街道や山道へ散り、熱田軍の動向を探り始めた。


 間もなく斥候が駆け戻る。


「ご報告いたします。敵は朝日の砦より兵を出し、こちらを迎え撃つ構えです」


 邇芸速日は冷静に頷いた。


「予想どおりです。こちらが本拠へ攻め込めば、敵も迎撃せざるを得ません」


 命令は簡潔だった。


「進軍します」


 三輪山軍は休息を最小限に留め、整然と北上を開始する。沿道の村々では住民たちが家の戸を閉ざし、不安げな表情で軍勢の行方を見守っていた。


 一方、海から三輪山軍が上陸したとの急報は朝日の砦にも届いていた。


 熱田の守備隊は直ちに兵を集結させ、朝日の平野へ進出する。双方の軍勢は互いに距離を詰めながら進み、やがて広々とした平野の中央で対峙した。


 戦場を渡る風が草を揺らす。

 兵たちは固く槍を握り締め、誰一人として声を上げない。


 邇芸速日は兵を横一線に並べた横陣を敷き、敵軍を見据えていた。一方の熱田軍は中央へ兵力を厚く集めた魚鱗の陣に近い形を取り、その突破力を生かして中央から一気に戦線を突き崩そうと構えていた。


 やがて戦鼓が鳴り響く。


「突撃せよ!」


 熱田軍は鬨の声を上げ、中央へ集めた兵を槍の穂先のように押し出しながら、一斉に三輪山軍へ襲い掛かった。


 横陣を敷く三輪山軍に対し、熱田軍は中央へ兵力を集中させ、そのまま突破を狙って一斉に突撃してきた。


 邇芸速日は敵の動きを静かに見据え、中央部隊へ命じる。


「正面から受け止める必要はありません。隊列を崩さぬまま少しずつ後退し、敵の勢いだけを受け流してください」


 三輪山軍中央は命令どおり徐々に後退しながら戦い続ける。押していると思い込んだ熱田軍は歓声を上げ、さらに兵を中央へ注ぎ込んだ。


 その瞬間だった。

 邇芸速日は左右の部隊へ静かに手を上げる。


「今です。両翼は前進し、そのまま敵を包み込みなさい」


 待機していた両翼が一斉に動き出し、熱田軍の側面へ食い込むと、そのまま背後へ回り込み、退路を断つように包囲を完成させた。


 中央へ兵を集め過ぎていた熱田軍は対応が遅れ、異変に気付いた時にはすでに袋の鼠となっていた。四方から押し寄せる三輪山軍の攻撃に隊列は瞬く間に崩れ去り、戦場には無数の亡骸だけが残される。


 生き残ったのは、わずか十名ほどだった。

 邇芸速日は捕らえられた兵たちを静かに見渡し、感情の見えない声で命じる。


「この者たちを朝日の砦まで連れていきなさい。砦の柵の外で両手を杭へ打ち付け、生かしたまま置いてくるのです」


 その場に重い沈黙が落ちた。

 命令を受けた兵たちは一瞬だけ表情を曇らせたものの、王の命に逆らう者はいなかった。

 やがて朝日の砦の前には、両手を杭へ打ち付けられた兵たちの悲鳴が響き渡った。


 砦の上からその光景を見下ろす熱田兵たちは、門を開けば味方を救えると分かっていた。しかし同時に、門を開けば三輪山軍が雪崩れ込み、砦が陥落することも理解していた。


 味方を救うか。砦を守るか。

 誰も決断することができず、門は固く閉ざされたままだった。

 悲鳴の響く砦を見つめながら、長髄彦は低い声で問いかける。


「……そこまでなさる必要があったのですか」

「必要です」


 邇芸速日の声は、驚くほど穏やかだった。


「ここで砦を力攻めすれば、城壁を越えようとする兵も、それを防ぐ兵も、等しく命を落とします。十人の苦しみで千人が生き残るのであれば、私は迷わずその道を選びます」


 長髄彦は眉を寄せたまま、黙って耳を傾ける。


「私たちが落とすべきなのは、朝日の砦ではありません。熱田軍そのものです」


 邇芸速日は砦へ背を向けると、全軍へ包囲だけを続けるよう命じた。


 その様子を見た熱田兵たちは、砦が包囲されたことを西方で行動する主力軍へ知らせるため、次々と山道へ駆け出していく。


「伝令を追いますか」


 長髄彦の問いに、邇芸速日は首を横へ振った。


「いいえ。行かせなさい」

「しかし、尾張壱彦の本隊が戻ってくることになります」

「それでよいのです」


 邇芸速日は迷いなく言い切った。


「この砦は落とすためのものではありません。敵の主力を誘い寄せるための餌です」


 長髄彦は息を呑み、ようやくその真意を悟った。


 朝日の砦を見捨てれば、尾張壱彦は王としての威信を失う。ゆえに、配下の信頼を守るためにも、必ず主力軍を率いて救援へ戻らざるを得ない。


 そして、その帰路こそが、邇芸速日の待ち望む決戦の舞台だった。


「砦を力で落とすより、救わずにはいられない状況を作った方が、この戦は早く終わります」


 邇芸速日は地図を広げ、尾張壱彦が戻るであろう街道を指先でなぞった。




「私たちの目的は、熱田を滅ぼすことではありません。再び三輪山へ兵を向けることができないほど力の差を思い知らせ、そのうえで従属させることです」

「初めから、熱田を国として残すおつもりなのですか」

「国を滅ぼせば、その土地を治めるために新たな兵と役人が必要になります。民の反発も残り、戦が終わった後も争いは続くでしょう」


 邇芸速日は静かに朝日の砦を見据えた。


「しかし国を残したまま従わせれば、戦を終わらせた後、交易によって互いに豊かになることができます。熱田には海と川があります。三輪山にとっても、失うべき国ではありません」


 その言葉に、長髄彦は静かに息を呑んだ。

 自分が見ていたのは、目の前の戦場だけだった。


 しかし邇芸速日は、敵の動きだけでなく、戦が終わった後の土地と民の姿まで見据えて策を巡らせている。


「戦は勝つことだけが目的ではありません」


 邇芸速日は地図から顔を上げ、穏やかな声で言葉を結んだ。


「どのように終わらせ、その後にどのような国を築くのか。そこまで考えて初めて、国を治める者の戦になるのです」


 長髄彦は深く頭を下げた。


「……恐れ入りました、我が主」


 その先の先まで見通した軍略に、長髄彦は改めて舌を巻くのだった。

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