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第8章

 コン。


 コン。


 扉の内側から、はっきりとしたノック音が続く。


 「……誰か、いるのか?」


 僕が思わずそう口にすると、西村が即座に首を横に振った。


 「答えるな」


 低く、鋭い声だった。


 「それ、“呼びかけ”じゃない」


 「ノックだろ?」


 「違う」


 西村は唾を飲み込み、扉を見据えたまま言う。


 「確認だ」


 僕の背中を、冷たいものが走った。


 「確認……?」


 「向こうに出られる“相手”がいるかどうかの」


 ノックが、止む。


 一拍の沈黙。


 そして。


 ――ギィ……。


 ドアノブが、外側からではなく、内側からわずかに回った。


 だが扉は開かない。


 境界が、拒んでいる。


 その瞬間、西村が息を詰めた。


 「……来た」


 「何が?」


 「“形”が見え始めた」


 僕には、何も見えない。


 だが西村の目は、確かに“何か”を追っていた。


 「人、だ」


 その一言で、喉が鳴る。


 「でも……おかしい」


 「何が?」


 「距離感がない。

 近いのに、遠い」


 ノック音が、再び鳴る。


 今度は、三回。


 コン、コン、コン。


 規則正しい。


 まるで、昔から知っている合図のように。


 「……なあ」


 西村の声が、かすれる。


 「これ、覚えがある」


 「知ってるのか?」


 「直接じゃない。

 でも……」


 彼はこめかみを押さえた。


 「ニュース映像で見た動きと、同じだ」


 操車場。


 犯人。


 「立てこもりの時、

 従業員が言ってたんだ」


 西村は、記憶をなぞるように続ける。


 「犯人の一人が、ドアを叩いてたって。

 中に誰がいるか確かめるみたいに」


 ノックが、ぴたりと止まる。


 代わりに――


 擦れる音。


 扉に、何かが“寄りかかった”。


 「……体重、ある」


 西村が呟く。


 「でも、足音がない」


 僕は思わず一歩、後ずさった。


 「西村……それ、人間なのか?」


 しばらく、返事がなかった。


 やがて。


 「……“だった”」


 そう、答えた。


 その瞬間、扉の隙間から、影が漏れた。


 だが、その影は。


 人の形をしていない。


 腕と胴体の境目が曖昧で、

 頭の位置が、少しずれている。


 「境界に引っかかると……

 形が、崩れる」


 西村の声が、震える。


 「時間と場所が合ってないからだ」


 影が、扉に沿って“滑る”。


 まるで、出口を探しているように。


 コン。


 今度は、内側から扉を叩く音ではない。


 こちらの足元を、叩いた音だった。


 「……下?」


 西村の顔が、青ざめる。


 「違う。

 “境界そのもの”を叩いてる」


 その時、はっきりとした声が聞こえた。


 扉の向こうから。


 「――あけて」


 低く、掠れた声。


 だがそれは、言葉というより――

 音を真似たものだった。


 人間の声の“形”だけを借りたような。


 西村が、はっきりと言った。


 「……操車場の犯人だ」


 「生きてるのか?」


 「分からない」


 即答だった。


 「ただ一つ、確かなのは……」


 彼は、境界の白線を指さす。


 「あれはもう、“戻る側”じゃない」


 扉が、内側から大きく揺れる。


 コン、コン、コン、コン。


 早く、焦るように。


 「桐野」


 西村が、歯を食いしばる。


 「次にノブが回ったら……

 お前が選ばれる」


 「選ばれる?」


 「“出口”になる」


 扉が、ゆっくりと――

 こちら側へ、開き始めた。

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