第7章
扉の向こうから吹き出した風が、僕の足元をかすめて消えた。
境界の白線は、西村の足元で淡く光ったまま動かない。
「……入らないのか?」
西村が、僕ではなく“空間”に問いかけるように言った。
返事はない。
だが、その代わりに。
「……あ」
西村が、急に声を詰まらせた。
「どうした?」
「見えた」
短く、はっきりと言う。
「何が?」
西村はゆっくりと顔を上げ、扉の“裏側”――
僕には何も見えないはずの方向を、じっと見つめていた。
「……線だ」
「線?」
「いっぱい走ってる。
空気の中に、ひび割れみたいな……いや、違うな」
言葉を探すように、しばらく黙る。
「地図だ。
ここから“どこに繋がるか”が、重なって見える」
背筋がぞくりとした。
「……どこに?」
「いっぱいだ」
西村は、苦笑いを浮かべる。
「近所の道もある。
さっきの操車場もある。
でも……」
そこで、彼の表情が変わった。
「“今じゃない”場所も、ある」
「今じゃない……?」
「時間が、ずれてる」
西村は、胸を押さえながら続ける。
「夕方なのに、真夜中の場所。
逆に、昼間なのに誰もいない場所」
扉の中を見ても、僕には何も分からない。
なのに、西村は確信を持って言っている。
「俺、たぶん……
扉そのものじゃなくて、“周り”が見えてる」
「周り?」
「扉が開くとき、ここに集まってくるもの。
場所とか、時間とか……人の“気配”とか」
その言葉に、胸がざわついた。
「人の……気配?」
西村は、ゆっくりとうなずいた。
「二つ、ある」
「二つ?」
「この扉の向こうに入った人間の、残り香みたいなやつ」
西村の視線が、ふっと下に落ちる。
「……昨日のカップルだ」
僕は息を止めた。
「まだ、いるのか?」
「いや」
首を横に振る。
「“通った”だけだ。
戻ってきてない」
沈黙が落ちる。
「もう一つは?」
僕が促すと、西村は一瞬、言うのをためらった。
「……これは、見たくなかった」
「西村」
「操車場の犯人」
低い声だった。
「二人とも……
“出られてない”」
「……は?」
「消えたんじゃない」
西村は、扉の縁――
境界の線のすぐ内側を、指さす。
「ここに“引っかかってる”」
指先が、震えている。
「扉を使ったのは、たぶん偶然だ。
でも……適性がなかった」
「だから、どうなる?」
西村は、目を伏せた。
「行き先を選べない人間は、
“どこにも行けない”」
その瞬間。
扉の奥で、コン、コンと、ノック音がした。
内側から。
西村が、はっと顔を上げる。
「……来るな」
誰に向けた言葉なのか、分からない。
だが確かに、そのノックは――
西村にだけ、聞こえていた。
「桐野」
彼は、扉から目を離さずに言った。
「俺は入れない。
でも……次に何が来るかは、分かる」
ノック音が、もう一度。
さっきより、強く。
「ここは、“出口”じゃない」
西村の声が、震える。
「……“選別所”だ」




