第9章
扉が、ほんのわずかに開いた。
隙間から流れ出てくるのは、風ではない。
気配だ。
重く、湿っていて、胸の奥に貼りつくような。
「……桐野」
西村が、震える声で言う。
「今から起きること、
“助ける”とか“逃がす”とかじゃない」
僕は扉から目を離せない。
「じゃあ、何なんだよ……」
「肩代わりだ」
その言葉が、理解できなかった。
次の瞬間。
視界が、歪んだ。
足元の地面が消え、代わりに“感覚”が流れ込んでくる。
――寒い。
――息が、苦しい。
――どこにいるか、分からない。
それは僕の感覚じゃない。
向こう側の“誰か”の感覚だ。
「……っ」
膝が、がくりと落ちる。
西村が叫ぶ。
「桐野!
“入るな”、でも“受けるな”!」
受けるな?
意味を考える余裕はなかった。
扉の隙間から、影が――
僕の胸に、流れ込もうとしている。
「出口になるってのは……」
西村が、必死に言葉を絞り出す。
「行き先の代わりになることだ!」
「行き先……?」
「本来、あいつが出るはずだった“場所”。
それが見つからない時――」
影が、胸に触れた。
心臓が、強く打つ。
ドクン。
ドクン。
西村の時とは違う。
これは――合ってしまっている。
「……選ばれた存在はな」
西村の声が、遠くなる。
「扉の外に“出口”を作るんじゃない。
自分が、出口になる」
景色が、反転する。
操車場でも、廊下でもない。
誰かの記憶が、流れ込む。
――薄暗い事務所。
――机の上の売上金。
――震える手。
「やめろ……」
思わず、声が漏れた。
それは犯人の視点だった。
恐怖と焦りと、
『戻れなくなった』という確信。
「……出たい」
あの声が、今度は僕の喉から漏れる。
西村が、叫ぶ。
「それを言うな!!」
だが遅かった。
影が、僕の中に“通路”を見つけた。
体が、勝手に前に倒れる。
「桐野!」
西村の手が、僕の腕を掴む。
だが、その瞬間。
白線が、燃えるように光った。
西村の手が、弾かれる。
「くそっ……!」
西村は、境界の外に弾き飛ばされる。
僕の視界は、ほとんど白だ。
その中で、はっきりと分かった。
“出口になる”とは――
中にいる存在が、
自分を通って「終わる」こと。
生きるでも、死ぬでもない。
出来事として、完結する。
「……桐野」
西村の声が、遠くで聞こえる。
「お前がそれを受けたら……
もう、前と同じじゃいられない」
影が、完全に僕の中を通過する。
胸が、空っぽになる。
同時に。
扉が――
音もなく、消えた。
操車場の景色が、戻る。
風が吹く。
時間が、動いている。
そこに、犯人はいない。
境界も、白線も、扉もない。
ただ。
僕の胸の奥に、
「知らないはずの終わり」が残っていた。
西村が、駆け寄ってくる。
「桐野!
……意識、あるか?」
僕は、かろうじて頷いた。
「なあ……西村」
喉が、やけに痛い。
「俺さ……
あいつが、どこにも行けなかった理由……」
言葉が、自然に出てくる。
「分かっちゃった気がする」
西村は、苦しそうに笑った。
「だろうな」
そして、静かに言う。
「それが、
“出口になった”ってことだ」




