第16章
それは、放課後の帰り道だった。
一登と西村は、例のバス停から少し離れた歩道を歩いていた。
ノックの音は、この日は不思議と聞こえない。
「……今日は、静かだな」
一登が言う。
西村は、首を振った。
「違う。静かすぎる」
胸に手を当て、息を整える。
「流れが、溜まってる」
交差点の向こうに、
見覚えのない人影が立っていた。
中年の男性。
スーツ姿だが、
ネクタイが緩み、
靴が片方だけ違う。
明らかに、
何かを探している。
「……迷ってる人だ」
一登が言った。
西村の表情が、硬くなる。
「ああ。しかも、危ないタイプだ」
その男性は、
誰もいない路地に向かって歩き出す。
街灯が、
一つ、消えた。
路地の奥。
そこには、
ドアがあった。
昨日まで、
存在しなかったはずの場所に。
安っぽい、
合板のドア。
鍵穴は、ない。
ただ、
ノブだけがある。
コン。
男性が、ノックする。
反応は、ない。
だが、
ノブが、ひとりでに回った。
「ダメだ!」
一登が、叫ぶ。
だが、
距離がある。
声は、届かない。
男性は、
中を覗き込む。
「……誰か、いますか?」
返事は、ない。
それでも彼は、
ドアを開けた。
その瞬間。
音が、消えた。
車の走行音。
風の音。
遠くの人の声。
すべてが、
吸い取られる。
世界が、
薄くなる。
男性の姿が、
途中で止まった。
通り抜けた、
わけではない。
引き返した、
わけでもない。
ドアの向こうと、
こちらの間で、
引っかかっている。
顔が、歪む。
叫ぼうとして、
声が出ない。
身体が、
二重に見えた。
「……適性が、ない」
西村が、低く言う。
その目に、
冷静さと恐怖が混じる。
「出口は、
“通る意思”だけじゃ足りない」
「世界に、
戻る余白がないと、
引き裂かれる」
ドアが、
震え出す。
コン、コン、コン。
今までとは違う。
内側からのノックだ。
助けを求める、
必死な音。
だが、
応えることはできない。
触れたら、
巻き込まれる。
次の瞬間。
ドアが、
ゆっくりと閉じた。
何もなかったかのように。
路地に残ったのは、
男性の片方の靴と、
名刺。
一登は、
足が動かなかった。
西村が、
名刺を拾う。
「……営業部、課長」
普通の人だ。
ただ、
迷っていただけ。
その夜。
ニュースでは、
「行方不明者」として報じられた。
最後に目撃された場所は、
駅と自宅の間。
異常は、ない。
だが、西村には見えた。
ニュース映像の背後。
スタジオの壁に、
一瞬だけ浮かぶ、ノックの痕。
世界が、
失敗を記録し始めている。
一登は、
自分の手を見つめた。
震えている。
「……俺が、出口だったら」
言葉が、
途中で止まる。
西村は、
はっきりと言った。
「違う」
「お前が出口だったから、
世界は壊れずに済んでた」
沈黙。
重い。
「でも今は……」
西村は、
視線を逸らす。
「代わりを、
見つけようとしてる」
「しかも、
雑に」




