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「んで。なんで、あんなお嬢様アイドルがうちみたいな普通の高校に転校してきたんですか。さっそく西条が阿修羅になってましたよ」
音光は納得いかない様子で、理事長に問う。
藤十郎はニコニコ笑顔で東京タワーの模型を組立てながら、
「うん。あの子も兄の家でずっとウチで何不自由ない暮らしをしてきたわけで、学校だってエスカレーター式の超お嬢様学校だったわけよ。それでね、あの子が突然、言ったのよ。私は誰よりも可愛らしくて誰よりもお金持ちで誰よりも恵まれていて誰よりも優れているけれど、たったひとつ、手に入れられないものがあると」
「まさか一般庶民の生活とか、そういうじゃないでしょうね」
「はっはっは! さすがだね音光君、平成のホームズ」
藤十郎は笑いながら、展望デッキのパーツをはめ込む。
「庶民の暮らしを体験してみたいとね、そういうんだよ。下種な豚共がどんな醜い生活をしているのか実に興味があると、そういうわけでね」
「はあ。って、げ………下種で、なに?」
「はっはっは! まあまあ、そういうわけだから―――ね? よろしく頼むよ。まあ君もそうだが千優ちゃんもいるわけだしね。あの子は性格がいいし、きっと七海の力になってくれるだろう。うんうん、青春・友情・努力・いいねえ」
「……なんか問題あっても俺は助けませんよ?」
「そういうなよ、大地君が泣くぞ」
「いちいちアイツの名前を出さないでください」
「だがな、音光君。彼は望んでいたんだよ、君と共に立派な教師になることを。
藤十郎は昔を懐かしむような、どこか寂しそうな、そんな目をしていた。
「俺は立派な教師なんかじゃありませんよ。見てたらわかるでしょう」
舌打ちし、苛立たしげに髪を掻きむしる。
「まあまあ。確かに君は不潔でだらしなくて存在感も薄いただのダメなオッサンだけどね。でも僕は君を信じているよ?」
「………まあ、別にいいですけど」
なんだか話をするのも面倒になってきたので、適当に話を終わらせた。
そして音光が部屋を出ていくと、隣の部屋から教頭がやってきて、書類の束を手渡しながら尋ねた。
「前々から思っていたのですが、彼………千寿院先生と理事長、どういう関係なのですか? どうもあの不潔でだらしのない、とうてい教師という立場には相応しくない男が理事長のようなお方と親しい間柄には思えないのですが」
「ああ。なに、彼の友人とは共通の知り合いでね」
「友人、ですか」
「志半ばで、火事で亡くなってしまったんだよ。そして音光君は彼の意志を継ぐ形で教師になったわけだが―――ま、元来、ああいう性格なんでね。昔からだらしなくて不潔で、あんまり誰からも好かれることはなかったよ」
「………でしょうねえ」
「私は好きだけどね」
「………理解しかねます」
教頭はわざとらしく肩を竦めて見せた。
☆
「ここが図書室だよ。たくさん本があるけど、七海ちゃんはどんな本が好きかな」
千優は嬉しそうに笑いながら、ずらりと並ぶ本棚を指差した。
そこは校舎から離れた場所にあり、中に入ると広いホールになっていて、受付には図書委員の生徒が本を読みながら座っていた。見上げると二階部分にはいくつも通路が伸びていて、通路の上に『歴史』や『美術』など項目の書かれたプレートが貼られているのが見える。私立高校の図書館と言われなければ、国立図書館かと思うほどには立派な場所である。
「へえ、広いのね」
「うん。ウチの高校の自慢なんだって。昔からあるみたいだよ? 昔はここを管理してた人がいたらしいけど、今は、図書委員さんが交代で管理してるんだ。あ、でも、いつでも自由に使っていいって」
「ふーん」
「あ。ご、ごめん………あんまり興味なかったかな?」
現役アイドルが、こんな地味な場所を好むはずもない。
つまらなさそうに返事をした七海に気付き、千優は慌てて謝った。
と、七海もハっとして、
「ううん、そんなことないよ。アタシ、本とかすごい好きなんだー」
うふふー、と嬉しそうな笑顔で七海は言う。
その声に図書委員が気づき、ハっと顔を上げた。そしてとろけるような眼差しで彼女を見つめ、ついには持っていた本が落ちたことにも気づかない。
「文学少年さんとか、すごい素敵だと思うし。あは、そうだ、ちぃちゃんお料理の本一緒に探してくれないかなぁ。お菓子とか、和食とかがいいなぁ」
「あ、うん! いいよ、もちろん手伝うよ」
「ほんと? やったー、嬉しい」
きゃはは、と嬉しそうにはしゃぎ、七海は小走りで駆け出す。
だが一体なにに躓いたのか、彼女は受付の図書委員の少年の真正面で「やーんっ」と言いながら太もも露わに思いっきりずっこけた。
「七海ちゃん、大丈夫っ?」
「あーん、またやっちゃったぁ。ごめんね、図書委員君」
うるんだ瞳で図書委員を見つめる七海。
こけた拍子に制服のリボンがほどけ、胸元が露わになっているが、彼女はお構いなしだ。
だが図書委員は、太ももと胸元を露わに潤んだ瞳で自分を見つめる彼女に何かがはち切れそうになり、慌てて股間を押さえて真っ赤になって震えた。
「ひっ………ひぇ、おかまいなっ………くっ………」
「七海ちゃん大丈夫? 怪我、ない? 保健室にいかなくていい?」
慌てて七海に駆け寄り、彼女を覗き込んで手を差し出す千優。
「ううん、大丈夫よ? 私って本当、ドジだから」
千優の腕を借り、よろよろと立ち上がる。
幸いどこも怪我をしておらず、千優は安心してホっと胸をなでおろした。
「千優ちゃん、早くお料理の本、探しに行きましょ?」
「うん。でもここ、たーっくさん本があるから、休み時間足りないかもしれないよ。よかったらまた放課後も」
「ああ、放課後は用事があるの。ごめんね?」
「そっか。ううん、別にいいよ大丈夫。七海ちゃんアイドルだもんね、忙しいよね」
「お引越しがあるから。まだ全部終わってないの」
「そっか、大変だねー」
「ううん。大変だけど、楽しみよ。新しいお部屋、新しい町、そして新しい生活………なにもかもが楽しみなのよ」
そう話す七海の口調が、わずかに変わった。今までのおっとりとしたお嬢様らしい彼女とは違う、どこか、喜びに打ち震え興奮を抑えきれない様子だ。
「な、七海ちゃん?」
「………いきましょう。早く庶民の味を私に教えてちょうだい」
うふ、ふふふふ………と薄気味悪く喜びを噛み殺した笑いを浮かべる七海。なんだがそれは喜びと期待と興奮が絶頂に達しつつも必死に押さえつけている、そんな感じにさえ見える。なんだか様子がおかしいな、と思いながらも千優はあまり気にしないことにして、彼女を案内した。
家庭科の項目にある料理本コーナーは、一般家庭のものから本格フレンチ、または聞いたこともない民族や部族の伝統料理まで、幅広く取り揃えられていた。それででも図書委員の管理がいいため、すぐに目的のものを見つけることができた。
「ねえ。七海ちゃんはどんなお料理作るの?」
「………あなたは、どんなお料理を作るの?」
「え? あー、うんとねぇ。私は煮物とかお味噌汁とか………普通の家庭料理しか作れないなぁ。あ、お菓子は結構いろいろ作ったりするよ? 千ちゃんねぇ、私の作ったクッキー大好きって言ってくれて。あ、千ちゃんねえ、先生なのに生活がだらしなくてまともな食事しないの。だから私が作って持ってってあげてるんだぁ。お掃除も私がしてあげてるんだよ? 放っておくとゴミ屋敷になっちゃうし」
「千ちゃんって? 彼氏?」
「ち、違うよっ! 千ちゃんは千ちゃんだよ、ええと………あ、そうか。担任の千寿院音光先生。うちの亡くなった父と千ちゃんがお友達でね、だから私も小さいころからずっと千ちゃんと一緒なの」
「へえ。でも彼、影が薄くて小汚くて、お世辞にも世話を焼く価値があるとは思えないけど。なにか弱みでも握られてんの?」
パラパラと本をめくりながら、七海が言った。
その横顔はやっぱり、今までのおっとりとした優しそうなお嬢様の顔ではなく、それとは真逆の冷たく近寄りがたい、それでいて知的さをも感じさせるものだった。が、七海はハっとして目を見開き、慌てて今まで通りのおっとりとしたお嬢様の顔に戻り、
「な、なーんてね。冗談よ、冗談」
「そ、そっか冗談だよね。あはは」
「うふふふふふふふ」
「うん。千ちゃんは確かに存在感はないし薄汚いしだらしないしどうしようもないけど、すごく素敵だよ? 優しくて頼りになるし………あのね、お父さんが火事で死んじゃった時、千ちゃん、ずっと一緒にいてくれたの。お母さんも私も哀しくてずっとずっと泣いてたけど、千ちゃんはなにも言わなかったの。でも遠くにはいなくて、いつも、側にいてくれたの。千ちゃんはね、あんなだけど、本当は誰よりも優しくて強いんだよ」
「そ、そうなの。あまりそうは見えないけど」
「えへへ。いいのー、私だけが知ってるんだから。あ、もう休憩終わっちゃうよ? どれ借りるの」
千優は嬉しそうに話す。
まるで大切な宝物の話をするかのように。
それが七海には、理解できなかった。
千寿院音光という男は不潔で存在感がなくて、少なくとも生徒に好かれる要素なんてゼロに近いだろう。自分も含めた十代半ばの子供なんて、教師を毛嫌いする連中が多いだろうに、そこにきてあの見た目、あれはどう見たって嫌われる部類に入るだろう。
なのに彼女はなぜ、そんな嬉しそうに笑うんだろう。
七海にはさっぱり理解ができなかった。
「あ………じゃあ、これ」
「じゃあ借り方教えてあげるね。さっきの受付のところいこ」
千優は無邪気に笑う。




