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理事長に呼び出されて聞かされた話は、未だによく思い出せない。
というか確かあの時、他の事を考えていたような気がする。そう確か―――早く帰って寝たいとか早く帰ってカップ麺を食べて寝たいとか、お風呂に入るのが面倒だから早く寝たいとか、つまりは早く寝たいとか、そういうことを考えていた気がする。
普段から人の話になんかまったく興味ないし、そもそも他人に興味がないので、話をしていても全く耳に入ってこないのだ。けれども、そんな音光でも教師として仕事をしている―――彼の普段の生活態度を知る生徒達は、それが全く信じられなかった。
「というわけで、音光君。私の姪っ子の七海をよろしく頼むよ」
理事長・初瀬藤十郎は笑顔でそう言って、七海を手で指示した。
初瀬七海という少女は彼の隣で微笑んでいた。
色白で顔立ちの整った、美少女と言われても納得のいく女の子。目もぱっちりしていて口は小さく、体もほっそりしている割に胸は程よく大きくて、短めのスカートから伸びる足は柔らかそうな太ももから滑らかな曲線を描いて伸びていて、そんな彼女は誰がどう見ても頭の先から足の先まで完璧な『美少女』なのだろう。
その証拠に、理事長の隣で頭の禿げかけた教頭が鼻の下を思い切り伸ばして締まりのない顔で嬉しそうに彼女を舐るように見ている。
「ってか、なんで俺のクラスなんでしょう。他のクラスでもいいハズじゃ」
「なに言ってるんだ。私と君の仲だろう? 信頼しているんだよ、君を。見た目はアレだが君は誠実で真面目で頼れる男だ。亡くなった大地君も君の事をとても信頼していた。だからこそ彼の娘、千優ちゃんも君を慕ってくれているんじゃないか」
「いや、だからって」
「というわけで、よろしく頼むよ。音光君」
藤十郎は執務机に肘を置き、組んだ手に顎を乗せてにっこりとほほ笑んだ。
しかし音光は、面倒だと思った。
手渡された初瀬七海の資料には、きらびやかな衣装をまとった彼女の写真と共にこう書かれていた。『初瀬七海・現役高校生アイドルグループ【ルミノックス】のリーダーで、その美しさから「美の象徴」と呼ばれ、年齢性別問わず世界中から愛されている』と―――確かに彼女が人気アイドルなのは押し付けられた雑誌に目を通したから知っているが、美の象徴だとか世界中から愛されているとか、そこまでは書いてなかった。この資料は父親である藤十郎の兄・藤一郎の親馬鹿が凝縮された、なんのアテにもならないゴミというわけである。
「よろしくお願いします、先生」
七海は愛らしく微笑みながら、小さく首を傾けた。
普通の眼から見れば可愛いのだろう。その証拠に教頭はさらに鼻の下を伸ばし、だらしない猿みたいな顔になっている。だが音光は、自分の可愛らしさを知っているからこそのこの仕草なのではないかと思った。
実際、そういう女子生徒は、何人もいる。
「んじゃ、さっそくだが教室に案内してやってくれるかな。クラスの子も首を長くして待っていることだろう」
「はあ……」
「はじめまして。初瀬七海と申します、よろしくお願いします」
うふ、と語尾につきそうなくらい可愛らしい口調で自己紹介し、また小さく首を傾けた。
男子生徒は一人残らずさっきの教頭と同じく鼻の下を伸ばしてだらしない顔をさらけ出し、まるで催眠術にでもかかったようにトロンとした目を彼女に向けている。そして女子生徒はというと、驚く者もいれば、さっそく嫉妬むき出しの眼を向ける者もいた。
クラスでも性格がキツくて誰よりあからさまに担任の音光の悪口を言っている女子グループ、彼女達を人は『陰に隠れて人を馬鹿にする性格の悪いババア』略してカゲバンと呼んでいる。ン、がどこから来たのかはわからないが。
「んじゃあ、席は―――ええと。ああ、ちぃ………新菜の隣が空いてるからそこで………」
「あ、はーい」
うふふ、とほほ笑んで、嫉妬と下心の眼差しの中、千優の隣の席に向って歩いていく。
そんな彼女に注がれる理不尽な敵意の眼差し。だが彼女はそれに気づいていないのか、あるいは気づいていても完全に無視しているのか、テレビで見ると同じ愛らしい笑顔のまま千優の隣に向かう―――がその途中、机からこっそり伸ばされた女子生徒の足に引っかかって見事に顔面から床にずっこけた。
「ふぼふぅお!」
アイドルらしからぬ声を漏らして床にダイブした七海は、それから数秒、起き上がる気配を見せなかった。女子生徒はクスクスと笑い、男子生徒は呆然とし、千優はしばらくオロオロしてから彼女の前にしゃがんで起き上がらせた。
「あ、あの初瀬さん大丈夫っ?」
「あぁらごめんなさい。なにか丸太のようなモノに足を引っかけてしまって。一体なんだったのかしら? それともこの教室では机の下で大根を育てているのかしら。それとも象でもいるのかしら。うふふ」
笑顔でゆっくり起き上がり、スカートの埃を払って立ち上がる七海。
それからフフっと嘲笑を浮かべ、足を出した女子生徒を横目に見た。
足を出した女子生徒・金髪ツインテールに青い目が印象的な、黙っていればフランス人形のような美少女――名前を西条羅々里亜という――は色の白い肌を真っ赤にし、わなわなと震えている。彼女も普段から『清楚・美人・成績優秀』の三拍子揃った行内でも人気の女子生徒である。
「あら初瀬さん、ごめんなさい? アタシったら丸太が転がって来たのかと思いまして」
と言い返すも既に七海は去り、千優の隣に座っていた。
「あら? なにか言いましたか」
七海は天使のような笑顔で聞き返す。
「なにか丸太がどうの……」
「な、なんでもないわよっっ?」
羅々里亜は顔を真っ赤にし、慌てて着席する。
だが彼女の怒りは収まらないらしく、大人しく着席したものの体から嫉妬と怒りの黒いオーラが溢れ出している。お蔭で周りの生徒達が怯えてしまっているが、彼女はそんなことどうでもいいらしい。というか自分の蒔いた種だろう、と音光は思うが、そんなことを言って爆発されても面倒なので黙っておいた。
「なんか、とんでもねー奴が転校してきやがったな……」
音光はため息をつきながら、出席簿を開いた。
☆
休み時間になると七海の周りにはクラス中の男子生徒が集まっていた。そればかりか教室の外にも彼女を一目見ようと学校中の生徒が集まって来て、廊下は黒山の人だかり状態にまっていた。
女子生徒達は少々嫉妬の滲んだ顔で彼女を見、羅々里亜は怒り治まらぬと言った様子でずっと拳を握りしめて俯きぶるぶる震えている。が、七海はそんな彼女の事など眼中にはない。今、七海が思うことは、
「ねえ、初瀬さん。こないだテレビみたよ?」
「やっぱ可愛いねー、今度一緒にカラオケいかない?」
「ねえねえ、テレビのお仕事って実際、どんな感じなの?」
「俺、ずっとファンなんだよー」
この猿山からどうやって抜け出そうかということだ。
笑顔で対応してはいるが、正直、面倒くさいだけである。
「ごめんね、アタシ学校では普通の女の子として過ごしたいのよ。だから、あんまりお仕事の話とかは控えたいんだ」
両手を合わせて小さく「ごめん」のポーズを、困ったような顔で首を傾ける。
そんな仕草も男子生徒には天使にしか見えないようで、その場にいる誰もが、真っ赤な顔をしてぽーっと彼女に見惚れてしまった。と七海は、隣で居づらそうに教科書を熟読していた千優の腕を掴んで立ち上がった。
「そうだわ新菜さん、校舎案内してくれないかな? この学校広いから、迷っちゃいそうで。職員室と図書室の場所も把握しておきたいのよ」
「え! あ、あ、うん! もちろんっ」
助かった。
二人は心の中で胸を撫で下ろし、大急ぎで猿山を抜け出し廊下に飛び出した。
もちろん廊下にも黒山の人だかりができていたが、彼女が外に出るやそれは花道と化した。だがそれを見た千優は「モーセの十戒だ……」と驚いた。




