第九話
静寂が場を包む。あらゆる音が一切消えていき、レナードは目の前にいる男の姿だけに集中する。
模擬剣を正眼に構えて、切っ先をピタリと相手に突き付ける。
ギルフォードのほうも全く同じ構えのまま微動だにしない。彼我の距離は8メートル。お互いその場から動かずに最初の一手をうかがっている。
二人の間から発せられる緊張感が観客席にも伝わっているのか、誰も言葉を発しようとはしない。
特に温度があるわけでもないのに、ラスティ、グローリア、皇帝の背筋にはなぜか汗が流れる。
瞬きするのすらためらうほどの緊張感だ。
達人同士が向き合うと動きがなくなる。これはお互い向き合った瞬間、お互いの実力を把握して頭の中で千を超えるパターンの攻防を瞬時に作り出しているからである。
構えや呼吸、わずかな体重の移動、目線。素人にはさっぱりとわからないが、そうしたほんのわずかなサインを見落とさずに相手の繰り出される攻撃を予測し、線を描く。
一手目、二手目、三手目、次々と防御と攻撃をイメージするが、そのどれもが最後の一手までたどり着けない。
ただ向き合っているだけにもかかわらず、レナードとギルフォードの間には激しい剣劇が繰り広げられている。
最初に一手から最後の一手まですべてが頭の中で作られていくが、お互い決め手に欠けるために、動けないのだ。逆を言えば動いた瞬間にすでにどちらかの頭の中では勝利への道筋が描かれており、その時点で勝負は決まる。
レナードは呼吸を一定のリズムに保ち、相手の出方をうかがう。
ギルフォードもほんの少しの目線の移動などでフェイントを織り交ぜるが、相手が引っ掛かる様子を見せない。
大きくわざと隙を作って懐に呼び込む方法も考えたが、彼のイメージでは失敗に終わると描き出され、それを断念する。その隙に付け込まれ8手目には剣を突き付けられている自分がいたのだ。
ゆえに隙を見せることはできない。
この年でここまでの腕とはいったいどんな育ち方をしたのか非常に興味がある。その辺は自分かもしくは相手が生きていれば聞くことも可能だろう。今はただ勝つことのみに専念するべきだ。
レナードのほうも攻めあぐねている。まるで隙がないのだ。相手はせわしなく動いて────レナードから見た場合ではあるが────こちらを懐に呼び寄せようとしているが、それらは全て凶悪な罠が仕掛けられている餌に過ぎない。さすが皇族のガードを務めるだけあってかなりの実力者である。
心を平穏に保ち、揺れ動かないよう水面をイメージする。レナードの心に水面が広がっていき、一切の揺れがなくなる。
しかし、やはり最後の一手がイメージできず、動けない。
何度か仕掛けてみたが、そのどれもが自分が敗北している姿しか思い描けないのだ。
自分が敗北するイメージを持つなど何年振りだろうか……表情を変えずに内心苦笑する。
静かにゆっくりと呼吸を繰り返す。こうなれば根競べだ。どちらが先に集中を切らし、根を上げるか、別にガードには興味はないが、負けてしまえば本当に処刑されかねない。罪がないのに処刑されるなどまっぴらごめんである。確かに皇族相手に色々と無礼なふるまいをした自覚はあるが、こっちは頼まれて皇宮に来た立場だ。なのに処刑などふざけるなという気持ちがある。
静かにただ時間だけが過ぎていく……見ているほうにとってはまるで絵画を見ているようにお互いまったく動きがない。素人目にはただ止まっているだけにしか見えないのだ。
「相当な腕前ですね。ご子息は」
観客席でルレンに話しかけてきた人物がいる。長く赤黒い髪に、青い礼服を纏っている人物。髭はなく若々しい装いだが、すでに40を超えている人物だ。名前はロス・フルブラント。現フルブラント当主の弟でもあり、帝国内にある南東のクノッサス地方の領主でクノッサス公の身分を持っている人物だ。
すでにフルブラントの本家とは分家しており、一領主として帝国に仕えている。そしてルレンの従兄弟であり、レナードのはとこに当たる人物だ。
ルレンが警戒していた人物の一人でもある。フルブラントの家にはあまり関わりたくなかったのだ。
「従兄弟殿が皇宮に在中とは、思いもよりませんでしたよ」
レナードとは違って多少の礼儀の心得があるのか、表向きだけは丁寧な言葉で応対する。
そんなルレンにロスは苦笑する。悪意のある笑いではない。
「そんなに嫌わなくてもいいと思いますが……父上はすでにお亡くなりになっていますし、兄上ももうハルヴァート家を恨んではいませんよ。それに叔母ももうなくなっています。先代の犯した失態はすでに消えていますよ?」
この場合の叔母というのは、ルレンの父の相手であり、ルレンのの母である。そしてルレンの父の浮気に業を煮やして離縁を叩きつけた相手だ。そして先代のフルブラント公爵家の第二息女でもある。
貴族という家柄の教育のおかげで、多少の浮気などは許せる人物であったし、また側室を持つことにも自分を正妻としてちゃんと立てるのであれば特に反対することもなく認めていた。しかし、それでも限界がある。いくらなんでも自分の夫が平民や奴隷のような下賎の身を持つ者相手に肉体関係を結ぶなど公爵家のプライドが傷つくどころの話ではない。
何度か口論した末、それでもルレンの父の好色は収まらずハルヴァート家を飛び出し実家に帰ったのだ。
「そりゃありがたいことですね。けどこっちから大貴族にはあまり関わりたくありませんよ」
「だからこちらの歩み寄りを無視して貧民街に身を隠していたんですか? それではレナードがあまりにもかわいそうじゃありませんか。あの子は一応フルブラント家の血筋を持っており、私の従甥でもあるんですよ?」
「まあ、親父も親父だが、追い詰め方があまりにもあくどかったんでな……あんたらに言ってもしょうがねえが、あれであんたらにはいいイメージを持てなくてな。それに宮中での権力争いに巻き込まれるのもごめんだったし……あとな、あいつをかわいそうなんて口が裂けても言うなよ? そんなタマじゃねえよ。俺の息子は」
ロスは思わず笑いを噛み殺してしまう。ルレンのレナードの評価は息子への愛情を元に評価しているわけではなく、第三者として冷静な目で評価しているのが分かったからだ。この辺も昔から変わっていない。どんな親しい人物を相手にしても常にドライな感情で物事を見つめるその姿は、他人から見れば人形のように冷たいと感じるであろう。しかしそのような目で親の愛情をまともに受けることが出来なかったわりには、レナードはしっかりと育っている────ロスから見ればの話だが────それほどゆがんだ性格をしているわけでもない。
他の人間はまた別の意見があるだろうが、ともかく、たくましく育っているということが見て取れたのだ。
「反逆をしたわけでもないのに、親の罪を子が背負うことはありません。ましてやあの子には何の関係もありません。そろそろ宮中に戻ってきてはいかがですか? 私も陛下に口添えいたしますよ?」
なんとかルレンを宮中へ引き戻そうと諦めずにロスは従兄弟に視線を向けながら口を動かす。
「由緒あるフルブラント家の血筋を持つ人間が貧民街に身をやつしているというのが気に入らねえだけだろ? 世間体もあるしな」
多少図星も含まれており、ロスは内心肩をすくめる。この程度はお見通しなのだ。だが、打算だけで彼を宮中へと呼び戻そうとしているわけじゃない。祖父と叔母がやったハルヴァート家へのやり方が気に入らずに多少の罪滅ぼしも兼ねているのだ。
だんだんとルレンの言葉使いが荒くなってきている。怒っているわけではない。ただ長年貧民街で暮らしていたのでその習性がなかなか抜けきらないだけである。
それに対してロスは怒ったりはせずにただほほ笑んでいる。昔の馴染みということもあるし、多少言葉は乱暴になったが、こうしてズケズケとものをいう性格はまったく変わっていない。
「ま、考えといてください。あとよろしければ、レナードをうちにくれてもいいですよ?」
「残念ながらすでに皇家に目を付けられている。どうしてもほしければ陛下に直談判するんだな。あと金貸してくれ」
「それはそれは……高い買い物になりそうですね。それとあなたに金を貸しても返ってきそうにないので辞退させていただきます」
ルレンはロスの後半の言葉に苦虫をかみつぶしたような渋い顔をして、従兄弟を睨む。
ロスは苦笑したままだ。
二人の言葉はすでにレナードが勝つという前提の元に会話がなされている。まだ動いてもいないし決着も見えていないのにレナードの勝ちを確信しているかのようだ。
それが正しいかどうかは、あとわずかな時間でわかる。
ここで、ようやく中心部で相対している二人の時間が時間がゆっくりと流れ始めた。




