第三話
レナードが向かったテーブルは、ビッグ&スモールというごく単純なギャンブルのテーブルだ。
このギャンブルはまず胴元がトランプのカードを一枚引く。そしてその次に引くカードのトランプの数字が最初に引いたカードより上か下かを当てるだけの二者択一のわかりやすいギャンブルだ。
簡単な分、実入りは少ないが手堅いギャンブルの一つとして人気がある。
客同士が戦うギャンブルも結構あるのだが、レナードは店から取り返すという意思があるので店員を相手に選んだのだ。
「いらっしゃいませ……あらレナード様。これはこれはごひいきに」
テーブルに着くと女店員がレナードにニコリとほほ笑む。完璧な営業スマイルだ。ここの常連だけあって顔見知りの店員でもある。
「金のある人間だけには愛想がいいよな。ここの店員は」
思わずぼやいてしまう。ここでは金のあるやつが正義という暗黙のルール……というか、まあそれはほとんどの場所ならどこでも一緒だろう。例外があるとすれば孤児院や教会といったそれらしい場所ぐらいしかレナードの頭には思い浮かばなかった。
周りからは様々な叫びが聞こえてくる。悲鳴、歓喜の雄たけび、悲喜こもごもだ。負けが込んでいる客の中には店員に掴み掛る連中まで出てくる始末である。
もし、武器の持ち入りを許可していれば殺し合いに発展しかねない勢いだ。
そうしたことを防ぐために、入り口で武器を預けなければならない。ギャンブルに熱くなる人間は負けが込むと理性を抑えきれずに爆発することがよくある。せっかくの商売なのに刃傷沙汰などごめんというわけだ。
まだ自分が金を賭けてゲームを始めているわけではないので、レナードは冷静に他人事のように冷めた目でそういった客を見ている。
「やれやれ、皆目の色を変えて必死になってやだねーこういったもんは遊びだろ? ムキになったら負けだよ」
レナードの一言に女店員は内心苦笑する。いつも熱くなって持ってきた金のほとんどを巻き上げられている男がよく言うなと思ったが、表に出す真似はしない。完全なポーカーフェイスだ。こういった場所で簡単に心をそのままに表情に出すようではギャンブルの店員として失格である。そういった意味ではよく鍛えられている店員だ。
「このテーブルにはレナード様とルレン様しかおられませんがゲームを始めてもよろしいでしょうか?」
店員から声をかけられて向き直るレナード。
各テーブルではいろんなゲームが行われており、いろんな客がそれぞれのテーブルに数人から数十人ついて盛り上がっている。
見知らぬ客同士で会話して楽しんでいる雰囲気もある。
こうしたギャンブルの場ではそういった空気が作られやすい。最初は知らない者同士でも、あーでもないこーでもないとしゃべっているうちに仲良くなっていくというわけだ。常連であればあるほどその傾向は強い。
さらに、客同士の会話から何かしらのヒントを得てそこに賭けるという方法もある。それが正解かどうかはともかくそうした場を作り上げるのも店員の仕事の一つだ。
バカラなど客同士で金のやり取りをするような場所ではまた別の空気が作られているが、今のレナードには関係ない。
「ああ、始めてくれ。ラティルのやろう今日こそ見てやがれ! 破産させてやる!」
レナードの意気込んだ声でゲームは開始された。
「では賭け金をお願いします」
カードを引く前に店員が賭けけ金を要求する。
店員が引いたカードを見て賭けるのではなく、店員がカードを引く前に賭けるというルールだ。
ここからすでにギャンブルは開始されている。イカサマがない限りこのゲームは完全な運否天賦である。
最初に引いた数がキングに近ければスモールに、Aに近ければビッグに賭ければいい。
その最初に引くカードを勘で考えて賭けていくのだ。
最初に引く数字は高いか低いか……悩みどころである。
「賭け金は銀貨20枚」
ちなみに銀貨100枚で金貨1枚分だ。銅貨100枚で銀貨1枚。銅貨50枚で1週間分の食糧とゆとりのある生活を送れる。
このテーブルの賭け金の上限は銀貨30枚だ。簡単なギャンブルだけあってそれ以上は賭けることができない。しかし、やり方によってはドカンと儲ける方法もある。
「大金が手に入ったという噂は本当でしか」
クスリと店員が笑みを浮かべる。
「ほっとけ。いいから早くカードを引けよ」
「では失礼します」
めくったカードの数字はハートの3。これは幸先がいい。レナードの口元が吊り上る。
「そのままビッグに」
「かしこまりました」
店員がさらに一枚カードを引きそれをめくる。
数字はスペードの8。ビッグだ。
この程度なら外すわけがないとわかっていたが、最初が肝心である。
レナードは椅子の背もたれに大きく体重を預けて一息つく。
「ダブルアップなさいますか?」
店員が聞いてくる。ダブルアップとは勝った金額をそのまま上乗せするという意味だ。
この場合は銀貨20枚賭けて勝ったので銀貨40枚が勝ち金となり、倍プッシュすればそれがそのまま賭けることができるということである。
この方法を使えば本来の賭け金の上限の30枚を超えて賭けることができ、負けた場合は最初に賭けた銀貨20枚を失うだけで済むのだ。
一見するととてもノーリスクに思えるが、今回は最初に引いた数字が運よく低かったということもあり勝つことができたがAや2を引く可能性もあったし、最初のカードがもし7や8といった微妙な数字であれば、これまたつらいことになる。
ここで手を引けば確実に銀貨20枚は儲かる……いや正確に言えばルレンの負けがあるので取り戻すことができる。
しかしルレンの負けは金貨3枚と銀貨20枚、銀貨に換算すれば銀貨320枚ということになる。この程度の儲けで満足できるはずがない。
「ダブルアップだ。今日の俺は絶好調だからな」
懐にはルレンの負け分を払ってもまだ金貨5枚は残っている。たとえ倍プッシュに失敗しても失うのは銀貨20枚程度だ。
これがギャンブルの怖いところである。外に出れば相当な大金なのに、この場においては「この程度」と錯覚してしまう。感覚が少しずつ麻痺してしまうのだ。
そしてレナードもその錯覚に取りつかれつつある。隣で見ているルレンは「いやここで」とか「あんま無茶するなよ」とか、ぼそぼそと言っているが、レナードはすべて無視した。
「それでは失礼します」
店員が引いたカードはクローバーの6.微妙な数字だ。
次のカードが上か下かレナードは大いに悩む。
「ビッグかな?」
自信なさげに店員に言う。
「ビッグですね?」
「いや待て……スモール?」
「スモールですね?」
「いや待て……どっちかな?」
店員に聞いている時点でギャンブラーとしての才能は皆無だ。ルレンは横でため息を吐いている。
「私に聞かれましてもお答えできませんよ」
完全な営業スマイルのまま冷たく答える店員。
よく教育されている。
「くそ。ここの店員はもっと愛想をよくするべきだ! そう思わないかね? お父上」
「いいから早く答えろよ。バカ息子」
それでもレナードは迷ってしまう。ここで勝てれば銀貨40枚儲けることができ、こうして倍プッシュを続ければ負け分などあっという間に取り戻せるのだ。最初は幸先いいスタートが切れたのだ。大金も手に入った。流れは完全に自分にあると言い聞かせて覚悟を決める。
「ビッグ……と見せかけてスモールだ!」
最後まで往生際が悪い。
きっちりと決めることができなかった。
店員は無表情のままカードを引く。スペードの9。ビッグである。
「ビッグです。それでは失礼します」
無表情のままテーブルに置かれた賭け金に手を伸ばす女店員だが、手首をつかまれる。
「とみせかけてビッグ?」
「……もう遅いですよ? レナード様」
にこやかにほほ笑む。
「君の瞳はまるで天の星々の光をちりばめたようなきれいな輝きを誇っているね。その瞳にどれだけの男が泣かされてきたのか」
「あいにくと19年間処女です」
「……いきなりのカミングアウトだなおい。てか俺が一生懸命ご機嫌とっているんだから慈悲を見せろよ!」
「ルールですので」
にこやかにほほ笑みながら冷たく手首を振り払い、賭け金を没収する。
「けっ! このアバズレが! ちっと顔がいいからって調子に乗ってんじゃねえぞ? ひーひー言わせてやっからな!」
先ほどの態度から一変して思いっきり態度を変え、残りの金をすぐに取り出せるようにテーブルの上に置く。
その目からは怒りの炎がめらめらと燃え上っていた。
数時間後。
「ひーひー……」
その場で涙を流しているレナードの姿がそこにあった。
「あの……レナード様? 今日はもう閉店なのですが?」
「お、お姉ちゃん。あんた美人やあ、素敵やあ、もうね帝国一の美女だよ」
泣きながら相手の慈悲にすがろうとするレナードだが効果があるはずがない。
「先ほどアバズレと言われた記憶があるのですが?」
「いやだなあ、冗談に決まっているじゃないか。ほらあれだよあれ……好きな人にはついつい憎まれ口をたたくものだろ? ベイビー」
女店員の手を握り締め目を輝かせるレナードだが、背中からけりを入れられてしまう。
「うちの店員を口説いてんじゃねえよ。クソガキ」
振り向くとそこにはこの店を取り仕切っているラティルがそこにいた。
綺麗な金髪を短く刈り上げ、頬には傷跡がある。目は細長く一重まぶたで目つきはかなり悪い。
大柄な体格で、平民にしてはかなり良い身なりだ。口には葉巻をくわえ、その隣には美女をはべらせている。
「てえな。いきなりなにしやがんだよ!」
背中をけられて前のめりにこけたレナードだがすぐに立ち上がり相手に食って掛かる。
「てめえがうちの店員にコナかけてっからだろ? うちはそういう店じゃねえんだ。溜まってんなら別の店いけ」
「んな金あるかよ! おかげで一文なしだ!」
「……」
ラティルは思わず無言になってしまう。
内心かなり驚いているのだ。
「いや、一文無しっておめえ……いや待てよ……ルチアナちっと来い」
ルチアナとはレナードの賭けの相手をしていた女店員のことだ。
ラティルに呼ばれ彼女とラティルはレナードから距離を置いて何かを話している。
「おい、ちったあ勝たせろって言ったじゃねえか。文無しにしてどーすんだよ。あいつ腕っぷしあるからたまにドカンと儲けてそれをうちにわざわざ運んできてくれる上客だぞ? せめて飯代くらいのこさにゃ」
「ですけどボス。あたしも最初は完璧に運任せにゲームを進行させていたんですよ? なのにあの子いくらやっても負けてばっかで、仕方ないと思って最後はサマを仕込んで勝たせようとしたんですよ?」
ルチアナはさも心外だといわんばかりに自分の上司に言い返す。
自分だって勝たせる努力はしたのだ。特に最後のほうなどあまりにも露骨に勝たせようと誘導していた。
最初のカードを引く前に相手がビッグかスモールかを考えて賭けるときにアドバイスすらもしたのだ。
「レナード様。ずいぶん負けが込んでいるようですね。次の流れは多分ビッグじゃないでしょうか? あ、いえただの独り言なんですけどね」
「はん、その手に乗るかよ。スモールだ」
「ビッグです……」
「そうきやがったか。上等だ。おら次いけや」
「わかりました。では次もまたスモールを引くようにします」
「ああ? サマでも仕込んでいるのか?」
「いえいえ、とんでもございません」
「じゃあ心理戦か? そうやって俺を惑わせようたってそうはいかねえぞ。ビッグに賭ける」
「スモールです……」
泣きたい気分だ。なぜここまで手ほどきをしているのに勝つということができないのか。ラティルが言ったようにある程度は、搾り取りすぎないように勝つ気分を味あわせつつ、多少は相手の金を残しておかなければギャンブルなどやる人間はあっという間にいなくなってしまう。
その辺は帝国の政治と多少に通っている部分がある。一気に搾り取るのではなく、生かさず殺さずほどほどに巻き上げて、帰っていただくのが一番なのだ。
特にレナードみたいにギャンブルに弱い人間相手ならなおさらである。
ルチアナはラティルから言い含まれてたこともあり、何とか勝たせようと頑張ったのだ。
「あいつ……とことんバカだな……」
あきれてものが言えないとはまさにこのことだ。父親の分と合わせて金貨8枚を一夜で使い切る。
裕福な貴族でも滅多にないことである。
「なーにこそこそ話してんだよ」
レナードが二人で話し込んでいる二人を怪しみ近づいてきた。
「なんでもねえよ……お前もう、うち来るなよ……見ていられんわ」
ラティルは思わず目頭を押さえてしまう。
「なに言ってやがる! いいか今日の分はぜってえ取り戻すからな! 耳揃えて待ってろよ。でさ、いくらか貸してくんないかな旦那」
後半のセリフに入った途端揉み手をして相手の機嫌を猫なで声で伺うレナード。
「そういう時は『首を洗って』だろ? 特別に無利子で貸してやるよ……ほら」
そういってラティルは革袋をレナードに投げつけてきた。
レナードはそれを器用に受け取り、素早く中身を確認する。
銅貨の中に銀貨が数枚入っている程度だ。
「き、金ちゃんがないよ? 旦那!」
「あほか! そこまで面倒見きれるかよ! 次儲けたらギャンブルで遊ぶ前にちゃんと返しに来いよ!」
「心配すんな。今すぐに返してやる。おい、ねーちゃんこれでもう一勝負だ」
瞬間、ラティルの近くにあった鉢植えがレナードの頭に直撃してレナードはうずくまった。
「帰れ!」
閉店ということもあり無理やり追い出されるレナード。ルレンは途中であきらめたのか一足先に帰っている。
店を出ると東の空が明るくなっており、朝を告げていた。




