秘境の郷、カッキハン
オークの群れを身一つで追い返した男は、詳しい話は後じゃと言って再び歩き出してしまった。彼らの郷を訪れたのが祖父かどうか知りたくてたまらないバムンジーだったが、立ち話で済ませる話じゃないと言われれば是非もない。仕方なく馬車に戻る。
興味深そうにこちらを見てくるクラウスが鬱陶しいなと思う一方で、勇者タクミが男の背中を見つめているのが目に留まる。
「どうした、勇者どの。あいつが何かあったか」
「え? ええ……ちょっと気になることがあって」
「ふうん?」
そういえばさっきは魔王なんじゃないか、と疑っていたっけ。勇者タクミがダララッツ高地を目指した理由は、魔王討伐だと聞いている。そのために神の啓示を受けてこの世界に導かれたとか。勇者ならば分かる魔王の証とか、あるのだろうか。
と、そこまで考えたところでふと気づく。もしも彼が勇者タクミの言う通り魔王だったとして、祖父を助けた人々の子孫だったとすると。祖父はダララッツ高地で魔王の血族に命を救われたということになる。
場合によっては、祖父の手記は一族に危険を呼び込むものになりかねない。全身から血の気が引いていくのを感じつつ、バムンジーは出来れば男が魔王ではないか、訪れたという旅人が祖父ではないことを神に祈るのだった。
***
草原を抜けると、視界の向こうに林が見えた。目を凝らすと、木々の間に木造の建物らしきものが覗く。
「あそこがわしらの郷、角亀藩じゃ。ちいと騒がしくなるじゃろうが、気にせんでくれよ」
「あの木々は植えているのかい?」
「おう。いちいち森と行き来するのが面倒じゃからな。あの辺りは来月あたりには伐りごろになるわ」
近づくほどに、建物がはっきりと見えるようになってくる。と、その様子に勇者タクミがひどく驚いたような声を上げた。
「えっ」
「おん? どうされたな」
「い、いえ。ボクの故郷にある古い建物とすごく似ているので……」
「ほお、そうなんか。わしらの先祖もどこぞからここに流れてきた、って言い伝えがあるわ。もしかすると同郷さんかのう」
そんな馬鹿な、という言葉をかみ殺したのは勇者タクミだけではなかった。勇者が別の世界から呼び寄せられたことを、ここにいる者は皆知っている。知らないのはそう、この男だけだ。
ドルナッヂの翼の面々の表情には気づいた様子もなく、男はそのまま話を流してしまった。いよいよ男の素性が分からない。
木々の間を抜けると、そこは確かに郷と呼んで良い空間が広がっていた。木造の建物と畑が広がり、丘の向こうでは火でも焚いているのか煙が立ち上っている。
「おう、戻ったぞ」
「戻られましたか、若! っと……そちらのお歴々はどなた様で?」
一行を迎えたのは、壮年の男だった。見張り役なのだろう、木材を組んだ櫓からするすると滑り降りてくると、ケニッヒたちに胡乱な目を向ける。
「知らん。猪頭どもに追い回されとったから、拾うてきた」
「拾ってきた、って。殿様に叱られますよ? 素性の分からんものを軽々に連れてくるなと」
「まあ、大丈夫じゃろ。馬も本人たちも随分と痩せとる。何ぞ企んでもわしらに悪さなんぞ出来やせんて」
「そうかもしれませんが……」
随分な言いぐさだな。この時、ケニッヒは少しだけ男に反感を持った。彼が知らないのは仕方ないが、ハイランダーは最も戦闘に向いた種族と言われている。戦士としてのプライドをいたく傷つけられた気になったのだ。
壮年はなおも疑いの目でケニッヒらを見ていたが、若と呼ばれた男の次の言葉に何やら笑いを漏らした。
「それに、猪頭に追われとるのに、わしに『危ないから逃げえ』って言うてきたんじゃ。性根は良かろ?」
「え、若に危ないから逃げろって言うたんですか? ふはっ!」
何がツボに入って笑い出したのか、ドルナッヂの翼にもタクミにも分からない。だが、若とやらは特に気分を害した様子もなく話を続ける。
「そういうわけで連れてきた。人の方はわしが相手するが、馬もだいぶ草臥れとるでな。なんぞ精のつくモンでも食わせてやって欲しいんじゃ。頼めるか」
「ああ……そうですね。分かりました。この辺りなら大丈夫かな……」
「多分な。しばらく居れば馴れるとは思うんじゃが……」
二人は何やら困ったような表情で馬の世話について話をしている。休ませてもらうことは同意したが、馬と引き離されるのは勘弁とバムンジーが声を上げた。万が一の場合は馬車で逃げなくてはならないかもしれないのだから。
「待ってくれ! 馬の世話はこちらでするよ」
「ああ、いや。馬が心配な気持ちは分かるんじゃが。郷の奥に連れていくのは危ないんじゃよ」
「何がだよ!? ここはあんたらの郷なんだろ? 馬だけ危険ってどういう意味――」
と、突然馬が制御を失った。疲れているはずなのに、それを忘れたように嘶き始めた。全身を落ち着きなく動かし、馬車から身を外そうと藻掻く。
「……あちゃあ。辰六のやつ、わしに気づきおった」
「まあ、仕方ありませんわ。若の第一の家来を気取っとりますからな、辰六は」
二人は馬が暴れ出した理由が分かっているらしく、困った顔のまま溜息をひとつ。ケニッヒたちの方に顔を向けると、済まないがと頭を下げてきた。
「馬を眠らせてやることは出来るか? たぶん、このままだと怯え死んでまうわ」
「怯え死ぬ?」
「りゃっ、りゃーーっ!」
遠くから、甲高い鳴き声。建物の合間を縫って、黒い影がえらい速さで男に向かって飛んでくる。
結構な勢いで激突したが、男の体は微動だにしなかった。影も勢いのままに男の首にまとわりつき、りゃありゃあと甘えた声を上げる。
キドとクラウスが馬の首に両腕を回し、鎮静の魔術を使う。我が身の終わりとばかりに暴れていた馬は程なく目を細め、力なく地面に崩れた。
「な、なぁ……ッ」
「か、可愛い……!」
飛んできた生物が何かを理解して表情を凍らせるドルナッヂの翼と、顔を綻ばせる勇者タクミ。対照的な反応を見せる両者に対して、男は頬擦りをしてくる小動物の相手でこちらに注意を向けている暇がない。
「落ち着け、落ち着かんか辰六。今日は猪頭どもの土産はなしじゃ。あいつら一戦も交えずに逃げ帰ったからの」
「りゃあ? りゃー」
「この馬もお前の餌じゃねえわ。こちらのお客人の連れてきたもんだ。間違ってもつまみ食いとかするでねえぞ」
「りゅう? りゃりゃあ……」
「分かった分かった。近いうちに仕留めてきたるからそれで料簡せえ。あんな痩せた四本足のでなくて、ちゃんと肥えた六本足のやつ」
「りゅっ!」
どうやら納得したらしい。どうやって会話が成り立っていたのかは分からなかったが、ドルナッヂの翼の面々にとってはそんなことよりも小動物の素性の方が問題だった。
「ぶ……ブラックドラゴンの幼生……!」
「ま、間違いない。翼とは別に四本足。亜種じゃない。純粋なドラゴン種だ」
「ドラゴン種を飼いならしている……!?」
聞かなければならないことがまたひとつ増えた。ドラゴンは鳥よりも速く空を駆け、毒気の息やら炎やらを吐くモンスターの頂点だ。万が一人里に出没した時には軍を動員して討伐するような相手だし、それでもなお五分の勝負など望めないほどの生物である。幼生とはいえ、人が飼いならしているなどと。
「済まんが、客人の来訪と馬の件、辰太と辰吾郎には伝えておいてくれんか。辰左にはわしから伝えておくで」
「分かりました。殿様には?」
「辰太が知れば、すぐに伝わるじゃろ。客人が落ち着いたら、わしからも直接言上する」
この場に馬を置いていくことには葛藤があったが、このままでは起きればさっきの繰り返しだ。一抹の不安を覚えながらも、馬と馬車をこの場に置いて一行は男についていくことを選ぶのだった。




