第一原住民との接触
ダララッツ高地に到着した『ドルナッヂの翼』の面々は、さっそく魔境の洗礼を受けていた。
川沿いでのリザードマン、そして付近にいたオークの群れとの邂逅である。少人数パーティであるドルナッヂの翼は、消耗を警戒して撤退を決める。
だが、彼らの予想に反してオークの追撃は執拗だった。エルフであるクラウスが乗っていることで、確たる道のない森の中でも馬車は普段どおりに走れている。魔術を付与された馬具は、馬に疲れを忘れさせる効果もある。にも関わらず、距離を稼げないのだ。
オークの足が速いのもあるだろうが、最も大きな原因は。
「くそ! この森、奴らの庭だ!」
「森での動きに慣れてやがる! このままじゃまずいぞ!」
おそらくこの森はオークどもの住処なのだ。その証拠に、追ってくるオークが時折吠えるたびに、別の方角から新たなオークがやってくる。
新手が現れるたびに、進路を変更。繰り返しているうちに彼らは、自分たちがどちらに向かって進んでいるのか分からなくなってしまった。
「くそっ……!」
「おい、馬も限界が近いぞ!」
馬具による強化があるとはいえ、生身の動物だ。疲労もあるし食事も要る。オークの発する殺気に触発されて走ってくれているが、どこかで必ず動けなくなる瞬間がやってくる。
クラウスはいつの間にか矢を撃つのを諦めて、馬車の保持に全力を出している。リザードと同様、矢が通らなかったからだ。装備に阻まれるのであればまだ仕方ないと思える。が、どちらも防ぐもののない皮膚に当たって弾かれている。
精霊の加護を得たクラウスの矢は、彼らのパーティでは二番目の威力を持つ。それが通じないとなれば、彼らの攻撃がほぼ通じないことを意味していた。
「勇者どのの魔法も効いてねえ。まさか、高地に来るのは時期尚早だったってことかよ……!?」
ひたすら考えつく限りの最善を選び続けるが、すべて無駄に終わる。バムンジーの叫びは、向き合いたくない現実でもあった。
「冗談きついね。大体、崖を上がっただけでこんなに差があってたまるもんか。まだ特殊な加護を背負ってるって言われた方が納得できる」
「加護って言われてもよ」
ドルナッヂの翼は、高地の下ではそれなりに名の知れたパーティだ。伝説級のモンスターは無理でも、賞金がかかるほどの個体を討伐した実績もある。バムンジーの言葉を受け入れるには、内心でまだ邪魔をするものがあった。
と、口数少なく魔法で追手を牽制していた勇者タクミが、ぽつりとこぼす。
「魔王の加護……でしょうか」
「それだ! こいつら、魔王とやらの配下に違いない。なるほど、確かにたかがオークをこれほど強化する加護、魔王とやらが関わっているなら納得できるね」
クラウスが飛びつく。その推論が正しければ、今の状況は結局のところ実力不足に帰結してしまうのだが、そこに目を向ける余裕は彼らにはなかった。
「まずい! 森を抜けるよ!」
「いや、構わない! どっちにしろ森は連中の庭だ!」
前方がふいに明るくなる。キドの切羽詰まった声に、ケニッヒは即座に判断を下した。森の中で撒くのは無理だった。あとは障害物のない場所で、馬の速さが増すことと残されたスタミナに懸けるほかない。
森を抜けると、そこは草原だった。先ほどまで嫌と言うほど生えていた樹木は一本もなく、草と石がまばらにあるばかり。
キドが馬に鞭を入れると、ぐんと馬の速度が上がった。エルフの加護があるとはいえ、やはり森の中より走りやすいようだ。
「よし、このまま行けば――」
「……っ!?」
と、いつの間にかキドの隣に来ていたバムンジーが息を呑んだ。視線は一点にくぎ付けになっている。見間違いでないかを見定めようとしているかのように。
「ダララッツ高地に……人!?」
「なんだって!?」
ケニッヒがキドを押しのけるようにして同じ方向を見る。平原の中央に、たしかに誰かが立っていた。たった一人で、何も持たず。
バムンジーもケニッヒも、自分の目がおかしくなったのかと思わず目を擦った。目を瞬かせてみても、姿が消える様子はない。立っているのは若い男だ。
キドがちらりと後ろを見てから、少しでも声が届くように馬車の軌道を修正した。オークは馬車を追ってきているから、本来は別方向に逃げるべきなのだが、後ろから追ってきているオークの数は膨大だ。多少方向を曲げたところで、彼が巻き込まれずに済むとは思えなかった。
「そ、そこの人! いますぐそこから逃げろ! オークの大群だ! 危ない!」
キドが声の限りに叫ぶが、聞こえたのか聞こえなかったのか。後ろから迫るオークの群れに気づいていないはずはないのだけれど。
あまりの軍勢に、身が竦んでしまったのかもしれない。バムンジーは思わず後ろにいるケニッヒに向けて、自分でも無茶だと分かる指示を出した。
「ケニー! 手を貸してくれ! 彼を馬車に上げるんだ!」
「無茶な!」
だが、ケニッヒ自身もそれしか方法はないと思ったのか、馬車の後ろにあたふたと向かう。勝負はすれ違う瞬間だ。向こうが手を伸ばしてくれれば掴める。クラウスと勇者タクミにも視線で手伝いを求めれば、すぐに察して彼の体を支えてくれる。
「……くそっ!」
だが、馬車から伸ばされた手は男に無視された。こちらの意図は通じなかったようだ。
「駄目だ、気づかなかった!」
「おい、どうする!?」
「……見殺しには出来ない! キド、一回どうにか戻れないか!?」
「無理だ! というか、馬がもう限界!」
キドの悲痛な声に呼応するかのように、馬車の速度が緩む。ぶは、ぶはと馬の荒い呼吸音が響いた。
「……馬車を棄てて逃げるか?」
バムンジーが発したその問いは、一人でも多く生き残るという意味では極めて現実的なものだった。まず、あの場に立っていた男が襲われ、次に馬。その間にどれだけの距離を稼げるかによって、生き残れる人数が変わる。
あるいは、誰かがここに残って抵抗するか。そうすれば、他のメンバーが生き残れる可能性はより高くなる。
残るなら、一番膂力に優れた自分が適任だろう。ケニッヒは歯を食いしばってそう判断した。思い残すことがないわけではないが、ダララッツ高地の魔王軍が相手。戦士としては華々しい死に場所だと言える。パーティリーダーが悲壮な決意を固めつつある横で、勇者タクミが気の抜けた声を上げた。
「え」
あまりに緊張感がなかったので、思わずケニッヒもタクミの視線を追う。そこには、ほんの少し前までこちらを散々に追い立てていたオークたちが、異様なほどに怯え竦んでしまっている姿があった。
男は相変わらずそこに立っている。オークの群れをまるで気にする様子もなく、飄然と。
先頭を走っていたオークたちは後ろから押され、止まり切れずにその場に転んでしまっている。満足に起き上がることもできず、這いずるように後ずさる姿は、自分たちを追ってきている時とはまるで違って見えた。
「怯えている……?」
「私の矢で傷ひとつつかなかった奴らだぞ……? 彼は何かとんでもない武器でも持っているのか?」
「い、いえ。何も持っていませんよ。両手が見えてる」
オークたちは最早、一匹たりともこちらに注意を払っていない。恐怖に震えながら男から目を離せなくなっているようだった。
男が一歩を踏み出すと、どこかから甲高い悲鳴が上がった。
「まさか……あれが、魔王……?」
勇者タクミの呟きに、思わずケニッヒは首を振った。人がモンスターの王になるなんてありえないと思ったからだ。
だが、目の前で繰り広げられている人とモンスターの会話する姿は、自身の常識よりも勇者タクミの言葉に説得力を持たせるものだった。




