魔境を行く者たち
人類未踏の魔境、ダララッツ高地。
四方を断崖に囲まれたこの土地は、古くから多くの伝説とともに噂されてきた。
いわく、肥沃な土地で飢えとは無縁である。
いわく、無数のモンスターが絶えずおのれの生息圏を争い合っている。
いわく、伝説と呼ばれる資源があちこちに転がっている宝の山である。
など。
一国の領地にも等しいほどの広さと、それでも賄いきれないほどの命を抱え続ける魔境。何度か資源の獲得や版図への組み込みを目論む国が軍を派遣しているが、無事に帰ってきた例はない。
放っておいても何十年かに一度、思い出したかのように強大な魔獣が飛来しては、人里に壊滅的な被害を出して行く。今ではダララッツ高地と人里の境には、ほとんど人が寄り付かなくなっている。
大陸の中央に座しながら、人の手を厳然と拒み続ける。そんな高地の外縁部を、一台の馬車が進んでいた。
「おい、バム。手記に書かれている河ってのは、あれか?」
「ちょっと待てよケニー。……おそらくあれだ。北東に目印になる大岩があるって書いてある」
「良かった。お前の爺さんがホラ吹きじゃないって証拠がまたひとつ増えたな」
「ザケんな。ジイサマをホラ吹き扱いするのは、里の外に住んでる奴だけだ」
大柄な男の言葉に、小柄な少女が剣呑な口調で返す。鉱山出身のドワーフ族は、種族的特性として身長があまり伸びない。ふたりは種族こそ違うものの、同世代である。
ハイランダーのケニッヒ率いる冒険者パーティ『ドルナッヂの翼』は、タルマニア共和国の依頼を受けてダララッツ高地へと赴いていた。
本来、国の依頼だからと言ってダララッツ高地の探索を受ける探索者などいない。あまりに危険だからだ。『ダララッツ高地を目指すのは、生きることに飽きた冒険者だけ』と言われるほど、冒険者の界隈でダララッツ高地は危険視されている。
バムンジーの祖父、ディグジーは若い頃から世間に名を知られた命知らずの冒険者であり、そして『ダララッツ高地から生還して資源を持ち帰った』数少ない一人だった。
「魔剣カットゥーナの技法、か。大オーセットの業績を疑うわけじゃないが」
かつて、ディグジー・オーセットはダララッツ高地で死にかけた。命を救ってくれたのは、高地の原住民。彼らは見たこともない技法で素晴らしい剣を鍛え、高地のおそろしいモンスターとも互角に斬り結んだという。
ディグジーは高地の民に最低限の魔術と技術を教え、代わりに彼らの鍛冶技法を学んで帰ってきた。カットゥーナと呼ばれるその魔剣は、今ではドワーフ族の作る最高級の武器の名前でもある。
「ダララッツ高地に人が住んでいたなんて、言っちゃ悪いが信じられない。これまでどれだけの命がこの土地に飲み込まれたと思う?」
「結論を出すのは早いんじゃないか、ケニー。ダララッツ高地も噂ほどじゃないのかもしれない。実際、来てはみたものの恐ろしいモンスターとやらには一度も出会っていないし」
夢のない発言をするリーダーを窘めたのは、馬車の中で寛いでいたエルフだった。モンスターが出るか、森に入らなければ仕事のない彼は、手元のノートに何事かを書き込みながらへらりと笑う。
「バムンジーは祖父の手記が嘘でないことの証明。ケニーはカットゥーナにも優る偉大な剣の探索。キドは財宝、私は新たな英雄譚をこの手で紡ぐこと。私たちは、あるかないかも分からないものを目指してここに来たんだ。探してもいないうちから否定するのはマナー違反ってやつだろう」
「そ、そうだな。済まん、バム」
「構わねえよ。……ちっ」
軽薄なエルフの優男が正論を言ったのが気に入らないのか、生真面目に頭を下げたリーダーに気まずい思いを持ったのか、バムンジーは舌打ちしながら視線を窓の外に向けた。
河が流れている。程なく滝となって、崖の下へと落ちていくはずの水。手記が示す原住民の里は、この上流方面にあるという。馬首を河の流れる逆側に向ける。と、水面の一部が不自然に盛り上がった。
「クラウス!」
瞬間、反射的にバムンジーは馬車の窓を開ける。すぐに身を避けて射線を空けると同時、エルフが目にも留まらぬ速さで矢を放った。
風の魔術と、エルフに宿る加護。必中の祝福を受けた矢は、ざばりと身を起こしたモンスターの顔面を間違いなく捉えた。
「キド!」
「了解!」
ケニッヒの判断は迅速だった。必中のはずの矢は、モンスターの鱗に刺さることなく弾かれている。青い鱗のリザードマンは撃ち込まれた矢には興味を示しもせず、こちらを見た。
同時に、河からいくつもの影が飛び出してくる。確認するまでもない、リザードマンの仲間だ。キドが馬に鞭を打つ。元来た道を戻るのではなく、河沿いに遡上する進路だ。後戻りが選択肢に上らなかったのは、戻っても待っているのは崖だからだ。
「なるほど、この辺りは奴らの縄張りだったか」
「リザードなら地上では足が鈍る。このまま走れば撒けるはずだが……ウソだろ!?」
背後を検めたバムンジーだったが、思わず悲鳴じみた叫びを上げた。リザードは水中でこそ素早いが、陸ではそうでもない。それが彼女たちにとっての常識だったが、ダララッツ高地のモンスターはそう甘くなかった。
馬とそう変わらない速度で、一団となって追いすがってくる。少しずつ距離が空いてはいるが、撒けるまでに馬の方が保つかどうか。
焦りつつもバムンジーは、馬車の中でぼんやりと座っている同行者に目をやった。
「おい、勇者どの! 魔法の一つでも撃って追い払ってくれよ!」
「え? あ、はいっ!」
馬車を止めての迎撃、などは考えない。数が違い過ぎるからだ。ドルナッヂの翼は冒険者としては中堅以上の手練れである。自分たちの腕を過信するような時期はとうに過ぎていた。
ドルナッヂの翼にとって、彼は客だ。何かを頼むような立場ではないのだが、今はそれどころではない。どうにかここを切り抜けなければ、命さえ危ういのだ。
神の啓示によりこの地に招かれた勇者タクミ。降臨する前は荒事とは無縁だったという話だったが、神から授かった加護か生まれ持った才能か、瞬く間に並ぶ者のないほどの強さに上り詰めた――と聞き及んでいる。
その真贋を確かめる場面はこれまでなかったが、今がその時だ。
「炎よっ!」
勇者タクミが構えた両手から、巨大な炎の塊が射出された。馬車の幌を軽く焦がしながら、リザードに向かってまっすぐに着弾する。爆発。
「おおっ!」
クラウスが歓声を上げた。魔法と弓の申し子たるエルフにとっても驚嘆するほどの魔術だったようだ。が、安堵できたのは一瞬だけだった。
「まずい、正面! 別のだ!」
御者を務めているキドが声を上げた。正面を見れば、馬の頭の向こう側。猪の頭に、粗末な装備。オークだ。
「あの色……ブラッディオーク!?」
「くっそ!」
「後ろは駄目だ! リザードども、死んでない!」
オークの方も呆れるほどの数がいた。様子から見るに、水を汲みに河に来ていたのだろう。リザードが住んでいる河だ、数が多いのは連中の襲撃に備えてか。
馬を急カーブさせ、木々の立ち並ぶ森の方へ。エルフのクラウスがいれば、木々はひとまず彼らの味方だ。馬車が根に車輪を取られるようなことにはならない。
遠ざかる河沿いで、オークとリザードが激突するのが見えた。タクミの魔術が直撃した割には、リザードどもは元気だ。思ったほどの痛打は与えられなかったらしい。
「ちょっと実感したよ。これがダララッツ高地か」
「ああ。凄いもんだ」
「ケニー、ひとつ聞かせてくれ。もし一対一なら、あいつらに勝てそうか?」
バムンジーの問いに、ケニッヒは答えを返さなかった。それが何よりも雄弁な答えだった。
「……ここから先は、しんどい旅路になりそうだねえ」
「悪いが、お客様扱いはここまでだ。ここからは遠慮なく力を貸してもらうぜ、勇者どの」
「そうですね。……分かりました」
馬車が森に突っ込んだ。木々に隠れて、空は見えない。森の中は、ここから先の見通しと同じくらいに薄暗かった。




