若様の狩り
ダララッツ高地には、多くの命が住まう。モンスターだけではなく、霊獣や神獣もどこにあるとも知れない安定した暮らしを求め、日々縄張り争いを繰り広げている。
住処を移さずに自身の安寧を達成したものは、高地に住まう生物の総数に対して、あまりにも少ない。災厄の象徴とされるドラゴンでさえ、この地では放浪種族のひとつに過ぎないのだ。
他の生物の流入により、元々そこにいた者が縄張りを追い出される。そんな動きは日常茶飯事だ。
今日もどこからか流れてきたらしい鹿に似た巨獣が、周囲をひどく警戒しながら歩いていた。しきりに後ろを振り返っているのは、置いてきた群れを案じてのことか、追ってくるかもしれない天敵を恐れてのことか。
歩くたび、体が木々に擦られて葉がざわめく。本来の生息地ではないだけに、不快そうだった。巨体を隠すための場所として森を選んだのだろうが、育ち過ぎた図体はこの辺りで暮らすには大きすぎた。
凶悪なまでに育った角は、片側が半ばで折れている。首と脇腹に走った真新しい傷は、住処を追い出した敵との間に出来たものか。それ以外にも全身に刻まれた大小の傷跡が、巨獣が今日まで繰り広げてきた縄張り争いの凄まじさを物語っていた。
一歩進むたびに、周囲の木々が胴に擦れる。葉が揺れて、折れた枝や削れた幹から独特な香りも漂う。警戒を邪魔するすべてのものに、巨獣が不満そうに鼻を鳴らした。
ある木が揺れた時、巨獣の背に何かが落ちてきた。木の実か、木についていた小虫でも落ちたか。背に乗った不快感に、背を揺らす。
巨獣の意識は、その瞬間を最後に永遠に途絶えた。
***
ぼたぼたと、右手に持った山刀から鮮血が滴る。首から上を失った巨獣が崩れ落ちるより早く、人影が背から飛び降りた。
若い男だ。黒々とした髪を後ろで縛り、毛皮を加工したらしい上着が随分と馴染んでいる。山刀を腰に提げた鞘に納め、骸となった巨獣に軽く両手を合わせる。
「済まんな、この辺りは角亀藩の縄張りなんじゃ」
樹上に隠れ、一瞬の隙を衝いた抜き打ちの一撃で首を落とす。警戒心の強い草食獣にはあまり通じない方法ではあるが、今回は上手くいくだろうと思っていた。歩くたびに木々が邪魔になって、獣の注意を阻んでいたからだ。
本来、人型の生物はこの高地ではあまり警戒されない。群れであればそれなりに気を配るだろうが、その程度。食性や種族に関わらず、人型の生物は大体が弱者に分類される。
ところが、高地でもこの辺りの一角だけは別だ。彼らの住む郷を中心に、付近の生物たちは決して近寄ろうとしない。不用意に踏み入れば彼らに狩られると分かっているからだ。
現れるのはこの辺りの危険性を知らない、遠くから流れてくる者だけ。
青年は久々の狩猟が上手く行ったことと、自分の腕が落ちていないことに満足の笑みを浮かべるのだった。
***
「若ぁーッ!」
「おお、遅かったのう」
里の方から数人が駆けてくるのを、鬼角はふわりと笑って迎えた。後ろの何人かは荷車を牽いている。さすがの手配りだ。
先頭切って駆けて来た側役の巽洸次郎が、息を切らせて詰ってくる。
「遅かったじゃねえんですわ! 獣の気配がするからって勝手、に……」
「さすがにこの大きさじゃ、一人で運ぶにゃ手間じゃからな。来てくれて助かったわ」
首を落とされて、力なく横たわる巨獣の骸。傍らには彼らを呼ぶために焚いた狼煙と、落とした首を埋めた土の塚がひとつ。
洸次郎はあまりの大きさに唖然と獣の骸を見ていたが、程なく我に返ったらしく烈火のように怒り出した。
「こんなデカブツなら、わしらを待ってからでもええでしょうが!?」
「無理も無茶もしとらんて。それに、お前らまで来たら逃げちまうじゃろ」
鬼角の悪びれない様子に、洸次郎は深く息を吐いた。藩主の次男だという自覚がまったくないことにも困るが、嘘がないことが何より困る。
力量が規格外に過ぎて、常人の道理がいっさい通じない。側役の洸次郎は気を揉むばかりで、その心配が本人に届いたためしがなかった。
「なんじゃ、洸次郎。お前が言うから、最近は遠出の狩りも控えとるじゃろうが。久方ぶりの大物よ、郷の者たちも喜んでくれるわ」
「はぁ……。もうええわ」
実際、鬼角の強さを誰より信じているのが洸次郎なのだ。告げる小言にも説得力がないのは、自分が一番分かっていた。
諦め混じりにぼやきながらも、洸次郎は手を止めない。持参した大鉈を振るって手際よく巨獣を腑分けして、荷車に載せるよう指示を出す。部下たちも心得たもので、無駄なく肉と毛皮を積み上げていく。
運んできた台車のうち、三つに肉と皮を満載してようやく作業は終わった。
「こんなもんやね」
「うむ。こいつらの肉は旨えでな。童どもも暫く腹いっぱいに食えるじゃろ」
「どうせ若が一番食うんやけどな」
どうしても一言嫌味を言わずにはおれないのか、洸次郎が最後に一刺し。本気ではない。共として連れて行かず、郷に置いて行かれることへの恨み節なのだ。鬼角も周囲も、本人だって分かっている。
鬼角は苦笑まじりに、少しだけ低い乳兄弟の頭をぽんと撫でた。
「偉そうな口は、わしから一本取れるようになってからにせえ」
「若はいつも一言多いんじゃ!」
邪険に振り払うも、洸次郎の口許は緩んでいる。その様は、本当の兄弟のようだった。
***
「リュイ! リャッリャア!」
「おう、戻ったぞ辰六」
郷に戻った鬼角を迎えたのは、頭のてっぺんから尻尾の先まで黒い鱗に覆われた生き物だった。蜥蜴に似ているが、雄大な翼が蜥蜴ではないと主張している。ひんやりとした感触が、鬼角の首元に甘えるように絡みつく。
滑らかな感触とくすぐったさに、鬼角は笑みを浮かべた。
「リュッリュ! リャアリャア!」
「おうおう、悪かった悪かった! お前のにおいは警戒されるでな。許せ許せ」
彼らの祖先は、住んでいる場所ごと突然この地に流されたという。かつての住処は日ノ本と呼ばれる国の、海なる巨大な水たまりの中に浮かんでいたのだと伝わっている。
わけもわからずこの地に飛ばされた祖先は、分からないままに苛烈な生存競争を強いられた。時に傷つき、時に家族や仲間を失いながらも、彼らはしぶとく命を繋いできたのだ。
「おかえり、鬼角。今日は随分と大物だ」
「戻りました、兄上。おそらく北山から追われて来たんじゃろうと思います。皆に振る舞ってやってください」
「北山か……代わりに何が住み着いたんだろうね」
「ヌシの気配は動いとりませんから、大したもんじゃねえでしょう。気になるなら近いうちに見てきますが」
「勝手に行くなよ。父上に叱られるぞ?」
この地に飛ばされてから実に三百年余。朝に夕にと戦い続けた彼らは、今では立派に高地の生態系の一部だった。海なる場所を知る者も最早なく、当時から残っているのは一部の建物と、領地を示す名前だけ。
彼らは角亀藩。今では周囲の異種族たちからもそう呼ばれる、高地至強の戦闘民族である。




