若様と修行
「あ、それならボクもぜひ」
ケニッヒに修行をつける、という話はその日のうちに屋敷に広まった。結果、何故だか勇者タクミも修行に参加したい、という話がまとまってしまった。
これに困り果てたのが鬼角である。そもそも、何を教えてたら良いのかがまず分からない。始める前から行き詰ってしまった鬼角は、気心の知れた相手に相談することにした。……のだが。
「修行の方法ゥ……? そんなんわしが聞きたいんですが」
相談した相手は、ひどくじっとりとした目で鬼角を睨んできた。現在進行形で鬼角に追いつこうと修行を重ねているくらいだから、誰より詳しいだろうと当て込んでいたのだけれど。
「そんなん、若がどんな修行しとるか教えてやればええやないですか。ていうかわしも教えて欲しいくらいですよ」
「……ううむ」
洸次郎の言に、鬼角としては首を傾げるしかない。生まれてこの方、修行らしい修行をしたことがないのだ。
幼い頃から好奇心の塊だった鬼角は、どんなに周囲が止めようと藩を抜け出してあちらこちらを走り回るような子供だった。当時の大人たちにどれだけ気を揉ませたか分からない。そのくせ、腹が減ったり飽きたりしたら何食わぬ顔で帰ってくるのだから、いつからか周りも強く止めなくなってしまった。
ある程度年を重ねて、今度は側付きの洸次郎がぐちぐちと小言を言うようになったことで鬼角は周囲の目を盗むことがなくなった。当時、周囲は悪い病気を疑ったほどだ。
そんな鬼角にとって、修行などという意識は一切ない。好き放題あちこちを遊び歩いていたら、いつの間にか周りが自分より弱くなっていた。そんな印象しかないのである。
「じゃ、じゃあアレちゃいます? 外から伝わったあの『れべる』とかいうやつ。あれを上げるように計らえば良いんとちゃいますか」
「『れべる』なんて放っといても上がるもんじゃろ?」
それを聞いた瞬間、洸次郎が持っていた木刀の柄を握り潰した。勿体ない。
角亀藩が元の場所から今の場所に移ったときに変わったものはたくさんあるが、その中でも最も大きな違いが『れべる』の存在だった。
別種の生物を討てば討つほど、本来の成長とは別に肉体が著しく強化される現象。こちらの出身である大瀬戸出口入道や龍の兄弟によって後になって教えられたのは、自分が討った生物が持つ命の力を肉体に取り込む『れべるあっぷ』という現象だということ。
鬼角は生まれつき、周囲と比べて極端に『れべる』が上がりやすい体質である。洸次郎が猪頭を十体討ってどうにか『れべる』がひとつ上がるところを、鬼角は一体で『れべる』がみっつ上がるような。
「……自慢のつもりでっか?」
つまるところ鬼角と洸次郎の力量差が一向に縮まらないのはそれが最大の理由なのだが、洸次郎は今なお諦める様子がない。鬼角は鬼角で、その不屈の精神を誰より気に入っているから彼を側役として重用していた。
それはそれとして、鬼角が自分の特性に無自覚なのは愉快でないらしく、洸次郎は加速度的に不機嫌になっている。
「ま、あんまり悩んでいても仕方ねえ。何事も試してみるしかねえわな」
これ以上は無理そうだ。話を聞けるような状態ではなくなった洸次郎に教えを請うのは諦めて、鬼角は静かにその場から離れたのだった。
***
色々と悩んだ鬼角ではあるが、郷の者たちが鍛錬として何をしているか自体は知っている。ケニッヒの過剰な期待が重いが、まずは基本的なことから始める。
「あの。これってもしかして相撲ですか?」
「うむ。やはり山城どのはご存知じゃったか」
ええまあ、と曖昧な笑みを浮かべるタクミ。
角力は子供から大人まで、連綿と奨励されている鍛錬のひとつだ。刀の素振りなどは嫌う鬼角も、子供たちに請われて角力に参加することも多い。子供たちが見る間に力をつけていく様子が見られて嬉しいからだ。
タクミの腕力は確認していないが、ケニッヒは図体の割に随分と非力だ。子供向けの剣でも重いようなら、角亀藩の基準ではそもそも基礎未満だ。剣の素振りなどする前に、まずは全身の力を増やさなくてはならない。
「しばらくは力をつけるために、肉を中心に飯を組み立てることになるはずじゃ。その上で、当面は角力で地力を上げていく形を取ろうと思う」
「なるほど……! それがカッキハンの秘伝なのですね!?」
「あ? ……お、おお。そんな感じじゃ」
相変わらず曖昧な表情のタクミとは違い、ケニッヒは前のめりだ。
タクミと違い、角力が何なのか分からない彼にはこれが郷の秘伝の鍛錬のように映っているのだろうか。
「鬼角さん。ボク、どちらかというと魔法の鍛錬をしたいんですが……」
「わし、魔法なんて使ったことないぞ」
「えっ」
鬼角の答えに、タクミは心底意外そうな顔をした。そういえば勇者というやつはこの世界に来た時に非常に強力な魔法を授けてもらったのだとか。
それが猪頭や蜥蜴頭どもにまるで通じなかったことで、今回の鍛錬に参加するつもりになったらしい。なるほど、角力で鍛えると言われたら妙な顔をするわけだ。
「郷に住んどる中には使える者もおるけどな。わしは無理じゃ。教えられても全く分からんかった」
「だ、だって皆さん、とんでもなく動くじゃないですか! 魔法で補助してるんじゃないんですか!?」
「いや? ここで暮らしとると、大体あれくらいのことは出来るようになるぞ。何しろ、周りの連中が同じような動きをするからのう」
鬼角たちの周りには、興味本位で様子を見にきた子供たちがいる。鬼角が角力を主催するらしいと聞いて集まって来たらしいが、ケニッヒたちの鍛錬だというと興味を失ったように各々の遊びに戻った。タクミの目は、文字通り縦横無尽に走り回る子供の姿にくぎ付けになっている。
魔法なしで、あれ……? と愕然としているタクミをよそに、鬼角は急ごしらえの土俵の中央に立つ。
「そういうことなら、山城どのは今日は見学するとええわ。後で郷で魔法に詳しいモンに話をつけておくでな」
「あ……ありがとうございます」
安堵のような、少しだけ残念なような。そんな奇妙な顔で、タクミはふたりから離れた。子供たちと並んで見学の位置に座る。
わいわいと騒ぐ子供たちは楽しそうだ。行儀よく座っているのもいれば、自分たちの遊びを優先しているのもいる。共通しているのは、注目しているのは鬼角の方だけで、ケニッヒには何の興味もなさそうな点。
「んじゃ、始めるとしようか。霧名どの、どんな手を使うてもええから、わしをこの土俵から押し出してみせえ。それが出来るまで、鍛錬はこれだけじゃ」
「……はあ?」
無防備に両手を広げてみせると、ケニッヒは怪訝そうな顔をした。馬鹿にされたと思ったのか、少しだけ顔が赤らんできている。
と、年かさの少年のひとりが大きな声を上げた。野次というよりは、助言だ。
「おっさん! 若様を舐めちゃ駄目だぜ! 郷の大人でも三人くらいでかからないと、若様を押し出せないんだ!」
その言葉を信じたのかどうか、ケニッヒは真正面から鬼角に組み付くと、力任せに持ち上げようと試みた。
「……え!?」
鬼角の体は微動だにしなかった。体にかかる力の具合から、ケニッヒの腕力に当たりをつける。郷の子供にじゃれつかれた時と同じか、それより少し弱い。
腕に柔らかく手を添えて、力の向きを変えてやる。ケニッヒは自らすり抜けるように前へと転がった。
「え? ……えっ?」
何が何だか分からない。そんな顔で自分の体と、鬼角を何度も見るケニッヒ。
取り敢えず転がされたことは理解したのか、起き上がって体についた砂を払う。混乱した顔で、それでもこちらに向き直る。
「それはいけんわ」
「うわあ!?」
混乱したまま不用意に再度組み付いてきた体を、先程より強めに転がす。いいぞ、やれやれと子供たちが囃し立てた。
「まずは、疲れて起き上がれなくなるまでかの」
「くっ……そぉ!」
――結論から言うと、この日。ケニッヒが起き上がれなくなるまでに鬼角は方向転換以外で一歩も動かなかった。ケニッヒが転がされた回数は、本人も百を数えた時点で覚えていられなくなったのである。




