若様と家来
周囲が赤みがかった月光に照らされる中、戦闘は終わりを告げた。
鬼角が物心つく頃には、月が沈む前に戦闘自体が片付くのが普通だった。
既に角亀藩と狼頭の間では、格付けは明確に済んでいるのだ。血に酔ってさえいなければ、角亀藩の者を見かければ狼頭どもは一目散に逃げるほどには。
血に酔うという彼らの衝動が、種としての狼頭を悩ませる業病であることは、角亀藩の者も十分に分かっている。その上で、攻め寄せてくるならば一切の妥協なく叩き潰す。それが背後にある仲間たちを護る唯一の手段だからだ。
「警戒は解くなよ。夜陰に紛れて忍び込む危険性がないとは言えん」
先程、背後を衝かれたこともある。あの隠形は見事だった。鬼角は気を緩めることなく、配下に警戒の継続を指示した。
指示を飛ばしながらも自身で討った二頭の巨狼を柵の内側に運び込んで、片方を近くで作業していた少年に託す。
「お、愁三郎か。こっちを父上に届けてくれんか。戦装束の仕立て直しにご活用くださいと鬼角が言っていたと」
「若! わ、分かりました! おい、手ぇ貸してくれ!」
巨狼の体躯は人より大きい。愁三郎と呼ばれた少年は一人では持ち上げることが出来ず、周囲で同じように作業をしていた仲間に声をかけた。
洸次郎はどうやら頭目を討ち果たすことが出来たようだ。こちらに運び込もうとしていたが、既に戦装束の材料は十分だ。人型だし、そのまま供養してしまうのが良いだろう。指だけで意向を示せば、すぐに洸次郎は意図を察して歩く方向を変えた。
討ち果たした狼頭は、荼毘に付して郷の外に埋めることにしている。疫病の防止と、死体を辱める別の獣への対策のためだ。
今夜だけで百体は討っただろうか。作業を手伝おうと、近くに倒れている狼頭の骸を探す。と、鋭敏になった知覚が何かを捉えた。
「何じゃ、童じゃねえか」
そこには、大柄な狼頭の下敷きになって気を失っている子供の狼頭がいた。刀傷の類はない。覆いかぶさっている方は絶命しているが、子供を庇ったようには見えない。吹き飛ばされたデカブツに衝突して、気を失ったというところか。
「ツキの太えヤツじゃな。そういう手合いは長生きするもんよ」
軽く笑って、鬼角は子供を小脇に抱えた。月光に酔って命を捨てるのが本能なら、そういう場で命を拾うのは天運だ。偶然が救った命を、見つけたからと改めて奪うような考えは鬼角にはなかった。
***
月が沈み、日が昇る。日光が空を照らし始めたころ、積み重なった狼頭の骸に火がかけられる。子供の狼頭が目を覚ましたのは、ちょうどそんな折だった。
「おう、起きたか」
「!?」
聞き慣れない声に驚いて跳ね起きる。周囲にいるのは群れの仲間ではなく、毛量の少ない別種族。
と、その中でも明らかに圧力の違う個体がこちらを覗き込んできた。全身の体毛が総毛立つ。微かに胸の内にあった反抗心が根こそぎへし折れた。
これは死だ。死が、生物の形をとって自分を見ている。勝つとか負けるとかの問題ではない。相手がこちらの死を望んだ瞬間、どんな過程であれ自分は死ぬことになる。そう確信させるだけの存在感がそこにあった。
が、死の化身はこちらに手を出そうとはしなかった。別の方向を見て、大声を上げる。
「おい、鉄! 保振の鉄はおるか!」
「はい! はい! おります! ただいま!」
囲みの向こうから、愛嬌に溢れた声。人垣を掻き分けて現れたのは、周りと比べてあまりに小柄な、子供のような男だった。
「若さま! 保振鉄之進、お召しを受けて馳せ参じましてございます!」
「おう、済まねえな鉄。お前さんの仕事だ」
と、死の化身がこちらを顎で指し示す。小柄な方も心得ましたと笑みを浮かべ、こちらに屈んで目を合わせてくる。
『よく生き残ったな。若様は天運だと仰っておられる』
『お前、俺たちの言葉を!?』
『うん。おれはお前たちの言葉が分かる。いいか。おれたちは、お前を殺そうとは思っていない。だから質問に答えてくれ』
驚くほどに流暢に、男は狼頭の言葉を喋り出した。
呆然とするこちらに構わず、彼らの考えを口にするのだった。
『良いか、偽りなく答えるのだ。若様は戦の時は恐ろしくあられるが、普段は慈悲深いお方だ。心配はいらんぞ』
***
鉄之進は、洸次郎と同じく鬼角の直臣に取り立てられている一人だ。武芸はからきしだが、生まれつきあらゆる生物と言葉を交わすことが出来るという不思議な能力を持っている。祖父が特殊な出自で、その辺りが関係しているようだ。
その特異な能力を誰より評価したのが鬼角だった。子供の狼頭から聞き取った話を、余さず鬼角に報告している。
「若さま。今回の狼頭の群れですが、氏族の頭目が変わったわけではないそうでございまする」
「ほう?」
「巽様が討ち果たされた者が、次の頭目の候補の一人だったようです。角亀藩の者を少しでも討てれば、それを成果として頭目になるのだと」
周囲から驚いたような声が上がる。
疑問に思うのも当然だ。あまりに目標が低い。
「はあ。どうやら東の荒野に、北方より流れてきた種族があったようで。そやつらに追われて狼頭どもは圧迫されているのだとか」
「それと今回の襲撃に、どんな関係があるというんじゃ」
「出来れば我らを追い出して、ここに移り住もうと。ですが、角亀藩は精強です。賛成する者と反対する者で結論が出ず……」
「誰かを討てれば、自分たちでもやれるという証になるか。頭目になった後は、群れを束ねて今度こそわしらを追い出す戦が出来ると」
ダララッツ高地には、多種多様な生物がひしめいている。高地だけで抱えきるには、高地は少しだけ足りないのだ。自分たちの縄張りを護るには力が必要で、そしてどれほど頑張ってもどうにもならないこともある。
北から流れてきた生物が何かは分からないが、狼頭は自分たちでは勝てないと判断した。だからこそ角亀藩に目をつけた。
「移住には誰も反対しとらんのか」
「そのようです。が、東か西か南かでまとまらないとか。南は外周部ですし、東は水源に不安ありと」
狼頭は、高地では明確に弱者の側に属する生物だ。中央に近づくほど強大になるという基準で言えば、最下層に近いと言って良い。
高地の外周部は、特別な理由でもなければ住むことなど考えられないというのが住む者の共通認識である。何しろ片側は断崖なのだ。落ちればほぼ間違いなく生きてはいられない。
特に、今回のように北から流れてきた相手が更に南下する可能性を考えれば。
「わしらの郷であれば、河も比較的近い、か。浅知恵じゃな」
「はい」
「ま、ええわ。あの童に、土産話を持たせて帰してやれ」
「土産話でございますか」
「おう。東の枯れた丘を越えて、さらに北東。奴らの脚なら三日ほど駆けたところに、十分な水のある土地がある」
鬼角は自分の頭の中にある高地の勢力図を思い出しながら、狼頭が移住するのに適している土地の情報を口にする。
感心したような声が上がる一方、近くにいた洸次郎が目を三角にして問うてきた。
「若……何故そんな遠くのことをご存知なんで?」
「前に辰吾郎で遠乗りをした時にちょっとな」
「なるほど! さすがは若さま!」
素直に感嘆の声を上げる鉄之進に、洸次郎は苦い顔で舌打ちひとつ。鬼角の一の家来を自認する洸次郎にとって、『鬼角が自ら家臣にと求めた』鉄之進にはかなり強い羨望があるのだ。
鬼角はそんな洸次郎の背中を軽く叩いてから、鉄之進を励ました。
「ええか、鉄。お前の働きひとつで、藩の敵がひとつ減ることになる。上手くやってくれよ」
「はい! お任せください!」
満面にやる気を漲らせ、ぽてぽてと駆けていく鉄之進を見送る。
「ほれ、洸次郎。わしらは條兵衛の装束の手配じゃ。いつまでも拗ねとるんじゃねえ」
「くっ。分かってますわ」




