若様と狼頭
来たぞ、という物見の声はざわついている一同を一発で黙らせた。
まだ月は出ていない。狼頭どもはまだ血に酔っていないはずだ。それでも寄せてきたということは、血に酔う前に準備を終えようとしている。
「連中、今回は相当にやる気じゃのう」
「猪頭どもと同じでしょう。これ以上に負けが込むと群れの維持が出来んようになるのと違いますか」
「今の頭目、まだ完全に群れを掌握しとらんのかもな。わしらを叩ければ、他の奴より出来ると思わせられるからの」
鬼角は目を細めて、こちらにひたひたとにじり寄る群れを観察する。殺気がこちらにも届き始めた。まだ月が出ていないから、殺気にも濃淡がある。濃い場所を目で追う。
「……おった」
群れの後方。ひときわ強い気配がふたつ。ひとつが新しく頭目になった個体とすれば、もうひとつはおそらくその後見。群れの頭目を推し、その器を保証したであろう群れの古老だ。
群れを掌握しきるには実力が足りなかったか、同程度の実力者がほかにいたか。さて、連中は何を『成果』として求め、どんな策を持ち込んできたのか。
「洸次郎。南北の物見は」
「出しとりますよ。特に反応はありませんな」
「しゃらくさいの」
鬼角は鼻を鳴らした。策を弄したければ月の夜を避けるべきなのだ。血に酔えばほとんどの個体が見境なく暴れることしか出来なくなる。にも関わらず月の夜を選ぶのは、つまり月の夜でないと角亀藩とは互角以上に戦えないのだ。正気を手放せば一時的に互角にまでは乗せることが出来る。そう思っているのだ。
だから急いだ。策を実行するのは、月の魔力で自分たちが正気を失う直前。策の成立と同時に、正気を喪失した狼頭どもが暴れ出して、連中は望んだ成果を手にする。
「そう上手くいきましょうか」
「舐めとるんじゃろ。奴らはわしをよう知らんからの」
正気を喪った狼頭は、ほぼ逃げない。血に酔い痴れたまま、月が沈むまで好き放題に暴れまわるのだ。彼らが生き延びるには、月が沈んで正気を取り戻すまで命を繋いでいなくてはならない。当たり前だが、角亀藩の者たちはそれを許すほど甘くはない。
月の夜に角亀藩に攻め寄せた狼頭は、例外なくほぼ全てが討ち果たされている。特に鬼角が前に出るようになると、生還できる者は皆無となった。
それでも懲りずに攻め寄せるのだから、単純というか統制が取れていないというか。
「お。……あいつら、あんなもんをどこで調達したんじゃろうな」
鬼角の目が、背後で組み立てられる器材を捉えた。狼頭にはそれなりに知性があるが、あまり複雑な道具は使えないものと踏んでいたのだが。
「今の頭目ってやつは、相当に頭が切れるのかもしれんな。……狼頭どもの基準では」
組み立てられた器材に、狼頭が群がる。と、器材の方から何かが空中に射出された。月の魔力が辺りに満ちる。始まった。
「狼頭投石、ってやつかのう」
「上じゃ! 連中、上から飛び越えてくるぞぉ!」
「弓持てぇ!」
わあわあと、指示が飛び交う。これまでにない戦術に、誰もがそちらに目を奪われている。
鬼月は飛んでくる狼頭を周囲に任せると決めた。空からの襲撃は完全に無視し、視線は頭目の気配に固定する。
どうやら頭目は、飛んでくる側に混じるつもりはないようだ。月の魔力に酔いが回り始めれば、狼頭たちは急速に正気を喪失していく。
「洸次郎!」
「何です? 若!」
横に立つ洸次郎を見れば、弓を構えて頭上の狼頭に狙いを定めたところだった。矢を放ち、次を番える。
やれやれだ。まだまだ戦の勘所を察する力は育っていないらしい。鬼角は苦笑いを漏らすと、腰の刀を抜き放った。
「……先いくぞ」
「え? ちょっと、若!?」
既に全身に力を漲らせた狼頭どもが、柵に殺到し始めていた。上方と前方。変則の挟撃に角亀藩の対応は間違いなく一手遅れた。鬼角を除いて。
「邪魔ァ!」
前方に立ちはだかる大型の狼頭を、鬼角は右の一振りで斬り払った。ぶ厚い刀身が皮と骨と肉を根こそぎ断ち斬っていく。
ぱっと充満する血煙に、地を駆ける狼頭たちの血走った目が集まる。そして、それを作り出した鬼角にも。
「次ぃ!」
鬼角は足を止めずに、群がってきた手近な狼頭の頭部を掴む。引き剥がそうと腕に爪が立てられるが、鬼角の肉体には傷ひとつつかない。万力のような握力が、みしみしと頭部を圧迫していく。向けられる牙と爪を、掴んだ狼頭の体で受けながら、傲然と前に進み続ける。
ぱきゅりと、手の中で破滅の音。握り潰しかけた狼頭を地面に叩きつけながら、刀を雑に一閃。数体の狼頭の首が飛んだ。
「鈍いのう」
握りしめた拳を、鼻面に叩き込む。血しぶきが舞い、眼球が弾ける。返り血を浴びながらも、鬼月には傷のひとつもつかない。死体が鬼月の手で量産される横で、ついに鬼角に群がる狼頭にも矢が届き始めた。どうやら飛び込んだ先発の処置が終わったようだ。
「若ァ!」
「おう、来たか洸次郎」
後ろから、金棒を抱えて洸次郎も駆けてくる。鬼角の死角から飛び掛かってきた個体が、金棒の一振りで空を舞う肉塊に成り果てた。
「そこにおるじゃろ。頭目と後見じゃ。條兵衛に呉れてやるなら若え方かの」
「後見も毛並みがええですな。殿の戦装束を仕立て直すのもええんと違います?」
「それもええな」
年を経た狼頭は、全身を獣に変える。後見と目した個体は、銀色の毛並みが月光を受けて輝く巨大な狼だった。
「頭目は任せてええか洸次郎」
「承知。ご武運を」
洸次郎と分かれて、鬼角は右に歩き出す。頭目と後見もこちらの意図を察したか、それぞれについて動き出した。
「貴様ン、死ぬ気じゃの」
言葉が通じるかどうかは分からないが、鬼角はそう問うてから刀を構えた。後見は殺気を漲らせて全身を緊張させている。後見ははっきりと戦力差を自覚している。自分と頭目が力を合わせても、鬼角に勝てないと。
後見は時間稼ぎを請け負った。頭目は洸次郎に勝てないかもしれない。だが、洸次郎を相手取るだけであれば、逃げ延びられる可能性はあるかもしれない。全力をもって鬼角を足止めする。そう決めたわけだ。
「――来い」
満月の魔力を受けても、正気を維持するだけの自我。古老となるまで生き延びた狼頭だけのことはある。強さではなく、覚悟のほどが気に入った。
鬼角の知覚から、周囲の全てが切り離される。自身に向けられる殺意と、目の前の獣だけに集中すれば良い。後見がぱっと真横に飛んだ。
「ッ!」
一閃。鬼角の振るった刀は後見を捉えなかった。
背後から忍び寄ってきた、もう一頭の獣型の狼頭を静かに刺し貫いている。後見が目の前で愕然としている。
それは明確な隙だった。鬼角はそのまま踏み込むと、刺し貫いた狼頭ごとそのまま地面に叩き込む勢いで刀を振り抜いた。
「ギッ――」
轟音と共に地面が軽く揺れる。
頭部を真っ二つに叩き割られた後見と、急所を刺し貫かれた一頭。地面に叩きつけた際に激突した両者は、断末魔を上げることも出来ず絶命した。
「……ふう」
上手く気配を隠したものだ。背後から飛び掛かる瞬間まで、鬼角さえもまったく知覚出来ていなかった。寸前に漏れた殺気に反応して体が動いたのだ。
洸次郎の方はと見れば、頭目と一進一退の激闘を繰り広げている。頭目と、もう一頭。洸次郎が討ち損じても、二人分の戦装束には十分だ。思ったよりも肝の据わった狼頭どもだった。十分に満足した鬼角は、頭目との戦闘に手を貸すでもなく、辺りで暴れている方を減らすべく動き出したのだった。




