第30話 二車身の内訳
トーナメントの最終結果は、こうなった。
優勝、御影迅。二位、片瀬湊。三位、矢部——決勝でもきっちり番手から拾って、手帳の男は手帳の男のまま表彰台に乗った。熊井は四位。適性組から二人が決勝を走ったという事実に、戸倉教官が講評で「適性組」と一言だけ口にして、それ以上は何も言わなかった。あの人の一言は、たぶん百点満点の百点だ。
で、その夜。俺は観察ノートの、まっさらな新章を開いた。
見出しに、でかでかと書く。
御影迅・攻略。
書き始めて、すぐに妙なことに気づいた。
データなら、ある。腐るほどある。半年間、毎朝、俺は世界で一番近い特等席からあの背中を観測してきた。コーナーの入り方、ペダルのリズム、ラインの引き方。御影のページは、このノートで一番厚い。
なのに——攻略の糸口が、一行も書けない。
理由も、書きながら分かった。俺のノートは、他人の「歪み」を集める道具だ。基準からのズレ、平均からの偏り、疲れたときの癖。ところが御影には、比べるための「基準」が存在しない。全部の項目が異常値で、異常値が平常運転。平均のない男に、偏差は書けない。檜山とは真逆の理由で、白紙になる男だった。
……いや。待て。
一個だけ、書けることがある。世界で俺しか書けないことが。
俺はペンを握り直して、最初の一行を書いた。
「本気の御影」のレースデータは、現在、地球上に一本しか存在しない。昨日の決勝。所有者、俺。
六十九人の誰も、教官も、たぶん御影本人ですら、「本気を出した御影」の中身を外から観測したことがない。俺だけが、あの発射の音を真後ろで浴びて、二車身の敗北ごと、身体でデータを採った。
完敗の翌日に言うことじゃないかもしれないが——俺、とんでもない資産を手に入れてないか?
勢いのまま、二車身の分解を始めた。
コンマ数秒の内訳。離されたのは、発射からの加速区間——約三秒間。あの三秒の加速度は、俺の瞬発F26では、百年練習しても再現できない。ここは、詰められない。素直に「不可侵領域」と書く。
だが、それ以外は? 発射前の位置取り。発射地点の選択。加速が終わったあとの巡航。レース全体の設計。……ここは全部、「速さ」じゃなく「判断と持続」の領域だ。つまり、俺の土俵と地続きだ。
仮説の欄に、思いつく限り書いた。三日制なら二日目以降に差が出るか。距離が伸びたら。風が強い日なら。仕掛けの選択肢を増やして判断の回数を増やしたら——判断の回数が増えるほど、感覚だけの男は……いや、あいつの感覚は判断より速いか。線を引いて、また書く。穴だらけの仮説リストが、一ページ埋まった。
穴だらけで、上等だ。実験ってのは、穴を一個ずつ塞ぐ遊びのことだ。
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寝る前に、久しぶりに総括の画面を開いた。三日間の連戦を終えた、俺の現在地。
【片瀬 湊 17歳】
スピード F 36 ↑0.4
瞬発 F 26 ↑0.3
パワー C 60 ↑0.8
持久 A 80 ↑1.2
回復 A 86 ↑0.7
技術 F 37 ↑1.4
……。
…………持久。
A。
八十の大台。C61で山に入った数値が、七か月で、Aランクの領域に足を踏み入れた。回復に続く、二枚目のA。画面の下半分で、同じ文字が二つ、並んで光っている。
「……熊井。熊井、起きてるか」
「……寝てるぅ……」
「俺の持久、Aになった」
「……えっ」丸太が、跳ね起きた。「A!? Aって、あの、Aか!?」
「そのAだ」
「すっげ……! ……って、待て待て、なんで負けた次の日にランクアップすんだよお前は! 空気読め!」
「読んだ結果だ。二車身を詰める燃料が、もう届き始めてるって意味だからな」
昔、ランクアップの夜に負けて、「嬉しいが今日じゃない」と思ったことがある。六組の頃だ。
今は違う。今日で、いい。負けた翌日に数字が上がるなら、それは天からの伝言だ——詰まるぞ、あの二車身、という。
消灯後の暗闇で、俺はしばらくニヤけていた。熊井の「こわ」は、もう出なかった。代わりに、寝言みたいな声がした。
「……片瀬ぇ。お前、御影に勝てるようになるまで、何年かかると思う?」
「さあな。でも、計算できる日は来る。データが揃えば、な」
「……そっか。じゃ、俺も付き合うわ……」
丸太が倒れる音がして、部屋は静かになった。
付き合え付き合え。長い実験になる。助手は多いほうがいい。




