第27話 癖のない男の崩し方
二日目の朝食で、俺はK指数に最後の望みを託した。
「熊井。檜山のデータ、何かないか。歩き方でも飯でも、なんでもいい」
「それがなあ……」百キロの観測装置が、珍しく唸った。「あの人、飯も普通、歩き方も普通、箸の置き方も普通なんだよ。強いて言うなら——普通すぎる。読めん!」
K指数、初の観測不能。柔道十年の勘すら弾く男。
俺は白紙のままの檜山のページを見下ろして、考え方を裏返すことにした。
癖とは、歪みだ。歪みは、判断の偏りから生まれる。ビビりは早く仕掛け、強気は突っ込み、疲れは肘に出る。つまり癖がないということは——あの男は、いつも正解を選んでいるということだ。
なら、書けた。白紙のページに、俺は一行だけ書いた。
檜山。癖なし。常にセオリーの最適手を打つ。……つまり、行動が予測できる。
歪んだ男は読めない。正しい男は、読める。セオリーの本は、俺も持っている。
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檜山の対俺セオリーは、簡単に予測できた。
俺の早駆けは、もう全所生に知れ渡っている。そして「垂れない先行」への正解は一つ——付いていかず、番手で回収する。初戦の矢部も、五組の連中も、みんなその正解を打ってきた。間違えない男なら、なおさらだ。
ただし、そのセオリーには、前提が一つ埋まっている。
「番手は無風だから、削れない」という前提だ。
真壁の番手に入った日、俺は学んだ。無風は、たしかに楽だ。だがゼロじゃない。落ちない先頭のハイペースに付き合えば、無風の中でも脚は削れる。普段なら誤差で済む削れが——誤差で済まなくなる日が、ある。
連戦、二日目。
昨日、一回戦を走った脚。一晩で全快するのは、この山で、たぶん俺だけだ。
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二回戦、発走。
檜山は、セオリー通りに動いた。俺が残り二周半で先頭に立つと、迷いのない動きで俺の真後ろ——番手に収まった。模範解答だ。読み通りで、うれしくなる。
さあ、ここからが本題だ。
俺は、上げた。そして、維持した。
一発の早駆けじゃない。波もつけない。ただひたすら、高い巡航を、鐘の前から延々と刻み続ける。檜山は降りられない。降りたら俺が逃げ切るだけだからだ。無風の特等席で、正解の男は、正解のまま、俺のペースに漬かり続ける。
沼だ。今日の沼は、番手ごと煮る。
残り一周半、鐘。檜山が、一度だけセオリーの外に出た。俺の横まで上がってきて、前に出ようとしたのだ。先頭を取り返して、ペースの主導権ごと俺から奪う——自在型の、二枚目の正解。
悪くない手だ。だが、それも履修済みだ。真壁戦で、な。
俺は半車輪だけ前を守って、並走に持ち込んだ。風の押し付け合い。外の檜山、内の俺。三十秒の我慢比べの末、先に引いたのは——檜山だった。番手に戻る。戻った背中に、さっきより深い削れが乗ったのが、車輪の音で分かった。
最終コーナー。檜山が、教科書どおりの完璧なタイミングで、外から出た。
伸びが——昨日より、鈍い。
正解のフォーム、正解のコース、正解のタイミング。全部正しいのに、肝心の脚に、一回戦ぶんの請求書が残っている。俺の隣まで並んで、そこから前輪半個が、どうしても出ない。
ゴール。半車身。一着、片瀬。
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「…………参った」
流し走行で並んだ檜山は、悔しがるより先に、興味深そうな顔をしていた。癖のない男は、負け方まで模範的だった。
「片瀬くん。一つ聞くけど、君、昨日のレースの疲れは」
「ないです。朝には消えるので」
「……三日目も、それをやるのか。君は」
「はい。毎日、初日の脚で来ます」
檜山は数秒黙って、それから、白カバーの縁を指で弾いた。
「化け物か。……いや、違うな」二組の秀才は、正確な男らしく、言い直した。「三日制の競技に、一番正しく生まれてきた身体だ、それは」
最高の褒め言葉として、ノートの檜山のページに一字一句書いておいた。癖のない男は、他人の評まで正確だった。
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夕方、準決勝の組み合わせが貼り出された。
第一準決勝——御影迅、真壁、ほか五名。
第二準決勝——片瀬湊、熊井、ほか五名。
掲示板の前で、俺と熊井は、ゆっくりと顔を見合わせた。
「「…………」」
沈黙、三秒。先に口を開いたのは熊井だった。
「片瀬。言っとくけど、俺、K指数、封印しないからな! お前の白米、今朝四杯だったの、見てたからな!」
「奇遇だな。俺も封印しない。お前の納豆、今朝三個だったな」
「見てたのかよ!!」
「同盟は今夜零時で一時停止だ。観測に、聖域はない」
半年間、隣で飯を食い、同じ数字に震え、同じ観音様に祈った男と、明日、初めて本気で潰し合う。
……楽しみで仕方ないの、俺だけじゃないよな? 熊井の口元も、さっきから、にやにやが止まっていない。
第二準決勝。適性組同士の、直接対決だ。




