第26話 六十九人のトーナメント
十一月。掲示板に貼り出された要項を、俺は三回読んだ。三回とも、いい要項だった。
第一回トーナメント競走。全候補生参加、七車立て、勝ち上がり式。日程——三日間。
一日目に一回戦、二日目に二回戦、三日目に準決勝と決勝。勝ち残る限り、毎日走る。
「三日連戦……」隣で読んでいた日野が呻いた。「二日目とか、脚残ってるのかよ」
「残ってるぞ」
「お前は黙ってろ回復お化け!!」
俺は黙らなかった。だってこれは、黙っていられる要項じゃない。プロの開催は三日制だ。予選、準決勝、決勝。つまりこのトーナメントは、俺たちが出ていく世界の予行演習で——そして三日制は、回復が年収になる俺の本丸だ。入所前の夜に電卓が指した「競輪」の核心部分が、ついに行事になってやってきた。
しかも、だ。今までの競走訓練は組内戦だった。四組の俺は、四組としか走れなかった。トーナメントは全組シャッフル。三組も、二組も、一組も、同じ山に入る。
つまり——全所生六十九人のレースデータが、三日間で採り放題。
観察ノートの新章のページを、俺は前夜のうちに六十九人ぶん作った。作りながらニヤけていたらしく、熊井に「こわ」と言われた。七か月ぶり二回目の「こわ」だった。
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一日目。一回戦、十レース。
俺の組は、四組の俺に、三組がふたり、二組がひとり、あとは五組と六組。初めて浴びる上位組の空気は、なるほど、位置取りの一手目から大人だった。無駄な動きで脚を使わない。全員が省エネの達人だ。
だが、省エネの達人が集まると、レースはぬるくなる。
ぬるいレース、大好物だ。
残り二周半、俺はスローの隙間からするりと先頭をもらって、そのまま切れ目なく上げた。ゼロ距離の沼、全組シャッフル版。気づいた誰かが「早ッ……!?」と叫んだときには、鍋はもう煮えていた。一着。
二回戦進出。まずは一勝。全国の適性組に、いい報せだ。
他の連中の結果も、続々と入ってきた。
御影——圧勝。二着に半周近い差。同じ競技に見えなかった、と同組だった六組の子が真っ白な顔で証言した。だろうな。俺は毎朝あれの後ろにいる。
真壁——力で押し切って一着。矢部——きっちり番手から差して一着。手帳の男はトーナメントでも手帳の男だった。
そして、この日一番のどよめきは、第七レースから上がった。
「熊井が!! 一組の白カバー食った!!」
駆けつけると、バンクの上で熊井が雄叫びを上げていた。聞けば、最終コーナーの混戦で接触が起きて、周りがバランスを崩す中、熊井だけが一ミリも揺るがず、開いた内をまっすぐ突き抜けたらしい。
「片瀬ぇ!! ぶつかられたけど、なんともなかった!!」
「知ってる!! お前はそういう男だ!!」
接触に強いというたった一つの才能が、七車の混戦という舞台を得て、初めて白星に化けた。柔道十年、二勲章目だ。
一方で、散っていく者もいた。日野はダッシュで先手を取ったが、最終直線で三人に差されて四着。「くそー! 来年……じゃない、三月の卒記で獲る!!」と叫んでいた。切り替えが早い。いいことだ。瀬川と大峰も一回戦で敗退。適性組の生き残りは、俺と熊井の二人になった。
女子トーナメントも並行開催されていて、廊下の速報ボードによれば、風見澪、一回戦一着。相手に影も踏ませなかったらしい。知ってる。あいつはそういう女だ。
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夕方、二回戦の組み合わせが貼り出された。
俺の組の枠に、一つ、白い名前があった。
檜山。
……あの、間違いのない数字の男か。昇組の日に成績表で引っかかり、色授与の日に丸を足した名前が、ついに俺の枠に入ってきた。
背後から、真壁の声がした。
「二組の檜山。……今大会、御影の次に厄介だって言われてる男だ」
「数字は前から引っかかってた。実物は、どう厄介なんだ」
「見てりゃ分かる。あいつは——間違えない」
間違えない。真壁がそういう言い方をする相手は初めてだった。
俺は観察ノートの檜山のページを開いた。名前だけ書いて半年寝かせた、あのページだ。一回戦の観察メモも、既に足してある。あるのだが——他の誰のページとも、様子が違った。
癖の欄が、空白なのだ。
仕掛けの距離、模範的。位置取り、模範的。コーナーワーク、模範的。減点が、どこにもない。俺のノートは他人の「歪み」を集めて武器にしてきたのに、この男には、拾える歪みが一個も落ちていない。
……面白いじゃないか。
初めての「書けない男」。観察ノート、開設以来の難敵だ。よし、明日までに何か書いてやる。白紙のページってのは、埋めるためにあるんだ。




