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俺だけ自分のステータスが見える 〜回復だけバグった最弱候補生、時速70kmのプロ競輪で年収二億を目指す〜  作者: 猫の飼い主
第一部 養成所編

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第14話 観音様への祈りの内訳

 八月の頭、訓練が一日、丸ごと休みになった。


 宝輪観音祭。養成所の敷地には観音様が立っている。競輪が始まったばかりの頃、東京の調布にあった選手養成の施設から、この山へ一緒に越してきた観音様らしい。つまりこの像は、七十年ぶんの候補生を見送ってきた大先輩だ。その名前を借りた祭りが、年に一度、考査明けのこの時期に開かれる。


 候補生主体の、数少ない娯楽行事。模擬店が出て、対抗戦があって、一日だけ、山が緩む。


「片瀬ぇ! 綱引き、出るぞ! 有志チーム戦だ!」


 朝食の席で、熊井が募集の紙を振り回した。同じテーブルには、適性組の残りの三人が揃っている。


 大峰(おおみね)。元砲丸投げ。入所試験の会場で俺の隣にいて、背筋力で俺の倍近い数字を出した男だ。口数は「うす」と「ごちそうさま」で一日の八割が終わる。


 瀬川(せがわ)。元競泳。無口さでは大峰と双璧だが、こっちは静かなタイプの無口。肺活量の化け物で、千メートルの後半だけなら組の上位に食い込む。


 日野。元バレーボール。垂直跳びで適性試験を突破した瞬発番長で、五人の中で唯一よく喋る。喋りの九割が余計なことだ。


「出よう出よう! 適性組チームで! 俺ら未経験組、なめられてるからな、ここらで一発——」


「日野。相手、決まってるのか」


「一組チーム。大将、御影」


 テーブルが静まった。


---


 綱引き会場は、バンク脇の広場だった。


 一組チームは、期のエリートの集合体だ。全員、脚の太さが広告みたいになっている。その先頭で御影が「綱引きって初めてやるわ」と楽しそうに綱を握った。初めてでその余裕か。


 こっちの布陣は、俺が決めた。


「アンカー、熊井。真ん中に大峰と瀬川。日野は先頭」


「片瀬はどこだ」


「掛け声係」


「戦力外通告!?」


「黙れ日野。いいか、綱引きは力の足し算じゃない。同(・)期(・)だ。五人がバラバラに全力を出すより、四人が同じ瞬間に踏み込むほうが強い。俺の声で、全員同時に沈め。それだけやれ」


 号砲。


 結果から言うと、一組チームは、全員がエースだった。


 全員が自分のタイミングで、自分の全力を引く。個々の出力は化け物なのに、力の波が揃わない。綱の上で、五人分の全力が互いを打ち消し合っている。個人競技の天才の集合体は、綱の上では、ただの渋滞だった。


「——今!」


 俺の声で、熊井の百キロが沈み、大峰の背筋が唸り、瀬川が声もなく耐え、日野が跳ねるように踏み込む。四人の力が、一本の波になって綱を走る。


 二引きで、決着した。


 尻餅をついた御影が、綱を見て、自分の手を見て、心底不思議そうに言った。


「……俺、自転車以外で負けたの、初めてかも」


「同期の概念を覚えて出直せ」


「どうき」御影は真顔で復唱した。この男の辞書に、また一語増えた。


 周囲で見ていた連中がどっと沸いて、誰かが「適性組、つえー!」と叫んだ。未経験組と呼ばれてきた五人が、初めて、名前で呼ばれた日だった。


---


 昼過ぎ、俺は屋台の喧騒を抜けて、観音像の前に来た。


 誰かが先客でいた。手を合わせた、定規みたいな背筋。


「……風見」


「片瀬」


 澪は手を下ろして、こっちを見た。祭りの日は、男女の垣根が少しだけ緩む。教官の監視付きだが、敷地内の立ち話くらいは黙認されるらしい。


「何、祈ったの」


「先に聞くな。そっちは」


「企業秘密」


「賞金だろ」


「……半分ね」澪はふっと笑った。教室では見ない、少しだけ柔らかい顔だった。「もう半分は、教えない。あんたは?」


 俺は観音様を見上げた。七十年、候補生を見てきた顔は、今日も何も言わない。


 手を合わせたとき、正直、最初に浮かんだのは金額だった。だが実際に胸の中で唱えた言葉は、自分でも意外なものだった。


「……全員、無事に卒業できますように」


「へえ」


「あと年収二億」


「知ってる」


 澪は笑って、じゃ、と手を上げて、女子の集団のほうへ戻っていった。


 全員無事に、なんて。半年前の俺の祈りには、「全員」なんて主語は存在しなかった。俺の手帳には俺しかいなかったし、俺の画面には今も俺しかいない。


 主語が増えるのは、悪くなかった。


---


 夜。祭りの後片付けを終えて、寮への坂を、適性組五人で登った。


「なあ」日野が言った。「今日さ、俺ら、ちょっと主役だったよな」


「うす」


「……(頷き)」


「白米も三種類あったしなあ」


「熊井、お前の主役の基準それか」


 笑い声が、夜の山に散る。坂の途中で、日野がぽつりと続けた。


「来年の三月、五人ともプロになろうぜ。適性の五枠、全員卒業ってやつ」


 一瞬、誰も茶化さなかった。第二回記録会——初めて全員が考査対象になる九月が、夏の向こうに見えている。規定を割れば、この五人から誰かが消える制度の中に、俺たちはいる。


「……なるだろ、普通に」


 俺が言うと、四人がこっちを見た。


「根拠は」熊井が聞いた。


「俺のノートに、お前ら全員のページがある。全員、四月より強い。数字は嘘をつかない」


「お前のそれ、たまに励ましに聞こえるから不思議だよなあ」


 励ましだよ。俺なりの。


 観音様、聞いてたか。さっきの祈り、二個とも本気だからな。

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