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俺だけ自分のステータスが見える 〜回復だけバグった最弱候補生、時速70kmのプロ競輪で年収二億を目指す〜  作者: 猫の飼い主
第一部 養成所編

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第10話 どっちなんだよお前は

「御影。先行役、やってくれ」


 朝五時のバンクで頼むと、天才は目を輝かせた。


「お前が捲る側で、俺が逃げる側? ……いいよ! 面白そう!」


 無償で了承された。この男の行動原理は「面白いかどうか」の一軸しかない。扱いやすいのか扱いにくいのか、いまだに判定できない。


 実験内容は、ロング捲りの発射距離のスイープだ。


 御影に一定ペースで逃げてもらい、俺が残り一周、一周と四分の一、一周半——と発射地点を変えて追う。各パターンで、捕捉までの距離と自分の消耗を計測する。理科の実験と同じだ。変数を一個ずつ動かして、表を埋める。


 三本目で、実験は根本的な欠陥にぶち当たった。


「御影。お前、垂れろよ」


「は?」


「本番の相手は終盤で垂れる。垂れた奴を捕まえる練習がしたいんだ。お前、全然垂れないから実験にならん」


「……垂れ方が、わかんねえ」


 天才は真顔で言った。垂れ方がわからない。この世で一番贅沢な悩みを聞いた。結局、御影の「垂れたフリ」は棒読みの学芸会みたいなペースダウンにしかならず、実験台としては欠陥品と判明した。天才は、凡人の練習台にすらなれない。


 だが、この欠陥のおかげで、俺は本質に気づいた。


 発射距離は、固定値じゃない。


 「残り何メートルで行く」と決め打ちする数字じゃなくて——前(・)を(・)行(・)く(・)奴(・)が(・)、(・)い(・)つ(・)垂(・)れ(・)る(・)か(・)に連動する変数なんだ。


 つまり、必要な式はこうなる。


 発射地点 = 相手の垂れ始め予測地点 − 俺が捕捉に要する距離。


 右辺の後半は、朝練の実験で埋まる。そして前半は——観察ノートだ。


 敗北の夜に作った俺製の他人ステータスと、御影の授業で生まれたロング捲りが、ここで一本に繋がった。相手の垂れ始めを読む目が、そのまま照準器になる。発明品同士が勝手に合体するの、発明した本人が一番びっくりする。


---


 五組、三戦目。


 真壁は、対策してきた。


 号砲後、俺が後方に構えたのを一瞥して——早(・)め(・)に(・)、(・)上(・)げ(・)始(・)め(・)た(・)。


 鐘のずっと手前から、自分でペースを引き上げていく。狙いは明白だ。先に速度を上げてしまえば、後方の俺は「追いつくための速度差」を作れない。ロング捲りは、助走の距離ごと圧殺される。


 的確すぎる対策だった。観察ノートの真壁のページに「学習速度: 速い」と追記が必要だ。


 俺は後方で、選択肢を数えた。ロング捲り——死んだ。早駆け——もう真壁が先にやっている。席が埋まっている。


 ……待てよ。


 席が埋まっている、ということは。


 風(・)を(・)払(・)う(・)係(・)は(・)、(・)も(・)う(・)真(・)壁(・)が(・)や(・)っ(・)て(・)く(・)れ(・)て(・)い(・)る(・)、ということだ。


 俺は静かに位置を上げて、真壁の真後ろに——番手に、収まった。


 生まれて初めての、特等席だった。初レースで矢部が座っていた場所。ずっと俺が「ずるい」と思っていた場所。目の前の大きな背中が、風の壁を全部受け止めてくれて、俺の周りだけ、空気がぬるい。


 なるほどな。ここは、こんなに静かなのか。


 真壁は早上げの代償を、一周ぶん先払いで削られ続けている。俺は無風で、満タン。鐘。最終コーナー。真壁の巡航が、わずかに緩んだ——


 今だ。……いや、今か?


 最終直線。俺は外に持ち出して、温存した持久を解き放った——つ(・)も(・)り(・)だ(・)っ(・)た(・)。


 出るのが、半拍、遅れた。


 いつ出る。どこから出る。内か、外か。無風の席で脚を残すところまでは、計算どおりだった。だが「残した脚を、どの一瞬で使うか」——その判断だけは、俺の頭のどこにも入っていなかった。迷った半拍のあいだに、真壁が最後のひと踏みで合わせてくる。並びかけた前輪が、届かないまま——


 ゴール。


 二着。


 真壁が、勝った。


---


「——どっちなんだよ、お前は!!」


 流し走行で、勝ったはずの真壁が吠えた。涼しい顔じゃなかった。


「前から来たり、後ろに回ったり!! 勝っても気色わりぃんだよ、お前と走ると!!」


「奇遇だな。俺も今、自分の脚質を探してる最中だ」


 真壁は深いため息をついて、吐き捨てた。


「……面倒くせえ。五組で一番面倒くせえ」


 勝者からいただく賛辞は、二割増しで響いた。


---


 夜、ノートで敗因を解剖した。


 番手は、静かで、ぬるくて、脚が残る席だった。そこまでは、計算どおり。だが席(・)に(・)座(・)る(・)こ(・)と(・)と(・)、(・)席(・)で(・)仕(・)事(・)を(・)す(・)る(・)こ(・)と(・)は(・)、(・)別(・)の(・)技(・)術(・)だ(・)っ(・)た(・)。矢部は七冊の手帳をかけて「いつ出るか」を磨いてきた。俺はそれを、即興でやれると思った。思い上がりだ。データのない領域で勝負した。俺らしくもない。


 翌朝、俺は矢部に頭を下げた。


「矢部。差しのタイミング、どうやって測ってる」


 矢部は珍しく、少しだけ得意げな顔をした。


「感覚だ」


「お前もか!!」


「……七冊ぶんの、感覚だ」


 積み上げた者だけが使っていい言葉だった。


「なんで、そこまで書くんだ」


 聞くと、矢部は少し黙って、遠くの手帳を思い出すような目をした。


「一冊目の一ページ目に、中学で一度も勝てなかった奴の名前がある。研究して、研究して、卒業まで一回も勝てなかった。そいつはもう、自転車を辞めた。……俺の帳簿には、あいつへの黒星だけが、精算されずに残ってる」


「……それで、まだ書いてるのか」


「ああ。二(・)度(・)と(・)、(・)精(・)算(・)で(・)き(・)な(・)い(・)負(・)け(・)を(・)作(・)ら(・)な(・)い(・)た(・)め(・)だ(・)」


 矢部は手帳をぱたんと閉じて、こう付け足した。


「片瀬。悪いことは言わない。お(・)前(・)は(・)、(・)前(・)の(・)人(・)間(・)だ(・)。後ろの技術は、俺たちに任せろ」


 前の人間。


 妙に、腑に落ちた。番手の席は静かで合理的で——レースの間じゅう、俺の身体はずっと「前に行きたい」と喚いていた。俺の勝ち筋は、あの席にはない。風の中にある。


 夜のノートに、戦法の棚卸しをした。


 早駆け。沼。ゼロ距離の沼。ロング捲り(未完成)。差し(未(・)遂(・))。


 武器庫に、初めて「未遂」の棚ができた。いい。失敗のデータは、成功のデータより情報量が多い。今日の半拍の迷いは、丸ごと明日の設計図だ。


 そして来週は、昇組戦。相手は、今日勝った真壁。あいつは今、俺の捲りを殺す方法と、俺の差しが未熟なことの、両方を知っている。


 なら、教えてやろう。未完成のロング捲りを、一週間で完成させたらどうなるか。


 借りは、利子をつけて返す主義だ。

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