第二話「先に手を出した方が悪い」 ――御成敗式目第三条・喧嘩両成敗の原型――
今川仮名目録の「私闘禁止」に感銘を受けた律でしたが、Unit-LEXから「その条文、鎌倉幕府の御成敗式目
の使い回しですよ」と衝撃の事実を告げられます。
オリジナルを確かめるべく跳躍したのは貞永年間(1232年)の鎌倉!「理非を論ぜず双方処罰」という喧嘩両成敗の現場で、正当防衛で反撃した者まで一律処罰される理不尽に、律の法哲学が試されます。
報告書を提出してから三日後、律の端末に着信音が鳴った。
「Unit-LEX、これは……」
〔Unit-LEX〕「今川仮名目録第十条の関連案件を選定しました。御成敗式目第三条。制定は貞永元年、西暦一二三二年」
律の顔が輝いた。
「御成敗式目! 日本で初めての武家法……!」
「また出張かよ」
陣内が椅子にもたれたまま、うんざりした声を出した。
〔Unit-LEX〕「対象条文を表示します」
律の網膜に、古めかしい文言がホログラムで浮かび上がった。
「喧嘩を致すの輩においては、理非を論ぜず、両方ともに処罰に処すべし」
律はしばらくその文字を見つめてから、静かに呟いた。
「……理非を論ぜず。理由の如何を問わず……。これは……」
「今川の条文と、そっくりだな」
陣内の一言が、律の喉元に刺さった。
「そ、そんな……偶然でしょう! 今川氏親公が、まさか鎌倉の法を……」
〔Unit-LEX〕「今川仮名目録の起草にあたり、御成敗式目が参照された可能性は八十四パーセントと推定されます」
律の手から端末が滑り落ちそうになった。
「わ、私が感動したあの条文は……オリジナルでは、なかった……?」
「先生、法律なんてのは大体そういうもんだよ。ゼロから作るより、前からあるものを使い回す方が楽だからな」
律はしばらく言葉を失っていたが、やがて奥歯を嚙みしめ、顔を上げた。
「……いいでしょう。ならば、この目で確かめてやろうじゃないですか。御成敗式目第三条が、現場でどう機能していたのかを!」
〔Unit-LEX〕「跳躍先を設定します。貞永年間、鎌倉」
床が発光し、空間が歪んだ。
湿った潮の匂いと、馬糞の臭気が入り混じった空気が鼻を突いた。
律たちが降り立ったのは、鎌倉の街道沿い、市が立つ広場の片隅だった。行き交う商人、埃を被った旅装束の武士、荷を担ぐ人夫たち――今川の農村とは違う、ずっと猥雑で人の密度が高い光景が広がっていた。
「うるせぇ! てめえがぶつかってきたんだろうが!」
怒声が響いた。律たちが振り返ると、広場の中央で、二人の男が睨み合っていた。一人は商人風の身なりで額から血を流し、もう一人は人足らしき体格のいい男で、こちらも頬を赤く腫らしている。
「はぁ? てめえが先に押しのけたから、俺は殴り返しただけだろうが!」
商人風の男が唾を飛ばして叫ぶ。
「押しのけたのは、てめえの荷車が道を塞いでたからだろうが! 俺は文句を言っただけだ、それをいきなり殴りやがって!」
人足の男も負けじと怒鳴り返す。
野次馬が瞬く間に集まり、その周りを取り囲んだ。中には既に「先に手を出したのはどっちだ」と囁き合う声も聞こえる。
律は目を輝かせた。
「これは……まさに『喧嘩』の現場! 御成敗式目第三条が、どう適用されるのか、この目で――」
そこへ、烏帽子をかぶった侍が数人、野次馬をかき分けて現れた。この地域を治める地頭の配下らしい。
「双方、神妙にいたせ! 御成敗式目の定めにより、理非を論ぜず両成敗と相成る!」
商人風の男が血相を変えた。
「ま、待ってくれ! 俺は悪くねえ! 先に殴ってきたのはあの男だ! 理由も何もねえだろ、あいつが先に手を出したんだ!」
人足の男も譲らない。
「いいや、先に道を塞いで因縁つけてきたのはそっちだ! 俺は正当防衛だ!」
侍の一人が面倒くさそうに二人を見比べた。
「理非を論ぜず、と申しておろうが。どちらが先に手を出したかなど、この際、関係ない」
「関係ないわけあるか!」
商人風の男が地面を叩いた。
「先に殴った奴と、殴られて殴り返しただけの奴が、同じ罰だってのか! そんな理不尽が――」
律の頭の中で、何かが軋んだ音を立てた。
「……ちょっと待ってください。理非を論ぜず、というのは……つまり、先に手を出した側の責任も、正当防衛で反撃した側の責任も、区別しない、ということですか……?」
〔Unit-LEX〕「肯定します。御成敗式目第三条の運用記録によれば、加害の先後や動機の正当性は考慮対象外とされる例が多数確認されています。目的は個別の因果関係の追及ではなく、私闘そのものの抑止にあると推定されます」
律は愕然とした。
「で、でも……それでは、正当防衛で殴り返しただけの人間まで、先に殴った人間と同じ罰を受けることになるじゃないですか! これは……あまりにも――」
「先生、よく考えてみろよ」
陣内が腕を組んだまま口を開いた。
「もし『先に手を出した方が悪い』ってルールにしたらどうなる? 現場じゃ絶対に『いや、あっちが先だ』『いいや、そっちが先だ』の水掛け論になるだろ。誰も認めやしねえよ、自分から手を出したなんてな」
律は言葉に詰まった。
「そ、それは……」
「動機や因果関係を調べようとすればするほど、当事者は自分に都合のいい話を作り出す。だったら、いっそ『理由なんか問わない、喧嘩した奴は全員同罪』にしちまった方が、揉め事は早く収まる。乱暴だけどな」
律は震える声で呟いた。
「理を、捨てることで……秩序を守る……?」
〔Unit-LEX〕「補足します。御成敗式目第三条の趣旨は、鎌倉幕府成立以前に横行していた、武士同士の私的な報復の連鎖――いわゆる『自力救済』の抑止にあります。個別の正義を犠牲にしてでも、争いの拡大を止めることを優先した規定と解されます」
律は、殴り合う寸前で取り押さえられている二人の男を見つめた。
商人風の男は、なおも「俺は悪くない」と言い続けている。人足の男も「正当防衛だ」と繰り返している。どちらの言い分にも、一理あるように律には聞こえた。
「……でも、それでは、本当に悪意を持って人を傷つけた者と、身を守っただけの者が、同じ罰を受けることになる。それは……正義と呼べるのでしょうか」
律の問いに、誰も答えなかった。侍たちは二人を縄で縛り上げ、淡々と連行していく。野次馬たちは、もう興味を失ったように散っていった。
〔Unit-LEX〕「神条調査官のショック度、現在七十六パーセント。今回は暴行ではなく、法概念そのものへの懐疑によるものと推定されます」
律は、鎌倉の空を見上げた。
「……今川の条文は、これを参照したんですね。理由の如何を問わず、双方同罪――あの一文の裏には、こんな乱暴な割り切りがあったなんて……」
陣内が肩を叩いた。
「乱暴だけどな、先生。それでも三百年近く、この国の秩序を支えた考え方だ。バカにしたもんじゃねえよ」
律たちが円卓に戻ってきたのは、鎌倉の潮の匂いがまだ鼻に残っている頃だった。
〔Unit-LEX〕「関連法体系との対比を提示します」
律の網膜に、いくつかの条文が並んで表示された。
〔Unit-LEX〕「ゲルマン法における『フェーデ』――私的な報復権を制限しつつも完全には否定しない中間的制度。イスラム法における『キサース』――被害者側に報復の権利を認めつつ、その行使を厳格に手続き化する仕組み。いずれも、御成敗式目のような『理非を問わない一律処罰』とは異なる設計思想が見られます」
律は眉を寄せた。
「……つまり、御成敗式目のやり方は、世界的に見ても、かなり極端な部類だということですか」
〔Unit-LEX〕「肯定します。多くの法体系が『誰が悪いか』を問うことに固執する一方、御成敗式目は『誰が悪いかを問うこと自体をやめる』という、逆転の発想を採用しています」
陣内が口を挟んだ。
「逆に言えば、それだけ鎌倉の連中が、いい加減『犯人捜し』に疲れてたってことじゃねえのか。武士同士の私闘なんて、双方言い分があるに決まってる。裁く側も、いちいち真相なんか突き止めてられなかったんだろうよ」
律は俯いたまま、しばらく黙っていた。
「……最初は、腹立たしいと思いました。正当防衛をした人間まで罰するなんて、乱暴すぎると。でも」
彼女は顔を上げた。
「もし『理由による』としたら、当事者は皆、自分を正当化する物語を作り出す。先に手を出した方も、殴り返した方も、自分こそが被害者だと言い張るでしょう。だとすれば……理非を問わないという乱暴さは、実は、水掛け論そのものを未然に断ち切るための、一種の知恵だったのかもしれません」
「お、やっと分かってきたじゃねえか」
陣内がにやりと笑った。
「法律ってのは、正しさを追求する道具であると同時に、揉め事を早く終わらせるための道具でもあるんだよ。両方が同時に成り立つとは限らねえ」
律は端末を開き、報告書の作成に取りかかった。今回は、震える指ではなく、どこか落ち着いた手つきで。
時空法制局・調査報告書
案件番号:TLB-0011
対象条文:御成敗式目第三条(喧嘩両成敗)
調査地:貞永年間・鎌倉
【現場の事実】
市中の喧嘩において、加害の先後を問わず両当事者が処罰の対象となる運用を確認した。当事者双方が「自分は正当である」と主張し、因果関係の特定が事実上不可能であった。
【条文の問題点というより、設計思想】
本条は「誰が悪いか」を追及する規定ではなく、「誰が悪いかを問うこと自体を放棄する」規定である。この点で今川仮名目録第十条とは異なる性質を持つ。今川条文が「私闘の禁止」を目的とするのに対し、御成敗式目第三条はより根源的に「因果関係の追及そのものが紛争を長引かせる」という認識に基づく。
【世界法制史との対比】
ゲルマン法のフェーデ、イスラム法のキサースなど、多くの法体系が報復権を「制限」する方向を取るのに対し、御成敗式目は「理非の追及自体を放棄する」という、より徹底した割り切りを見せる。
【今川仮名目録との関係】
今川仮名目録第十条の文言「理由の如何を問わず」は、御成敗式目第三条の「理非を論ぜず」の直接的な系譜にあると推定される。今川氏親は独自に私闘禁止を発案したのではなく、鎌倉以来の武家法の伝統を継承した可能性が高い。
書き終えて、律は端末から顔を上げた。
「……今川氏親公の独創性が、少し損なわれた気がしていました。でも、今は違います。三百年の時を超えて、正しい知恵を選び取った、ということなんですね」
「そういうことだ」
陣内が伸びをした。
「歴史ってのは、大抵そういうもんだ。何もかもゼロから発明されるわけじゃねえ。前の時代の知恵を、次の時代がどう選び取るか、なんだよ」
〔Unit-LEX〕「補足します。神条調査官の情緒的動揺は収束傾向にあります。良好な学習曲線です」
「褒めてるんですか、それ」
律は苦笑した。
〔Unit-LEX〕「本条文との関連性が検出された未処理案件、四件。次回調査候補として登録します」
関連条文ログ
・大宝律令・闘訟律(御成敗式目以前の古代法における私闘規定)
・刀狩令(天正十六年)
・公事方御定書(江戸幕府の裁定基準)
・現行刑法・正当防衛規定(現代における「理非を問う」法への回帰)
律は最後のログにしばらく目を留めた。
「……現行刑法の正当防衛は、理非を問わない御成敗式目とは真逆の方向性ですね。時代は、また『理由』を問う方向へ戻ってきている」
〔Unit-LEX〕「肯定します。この振り子の動きこそが、次なる調査対象となり得ます」
律は小さく頷き、端末を閉じた。
お読みいただきありがとうございました!
「先に手を出した方」を調べようとすると当事者が言い張りあって水掛け論になるため、あえて「理由を問
わない」ことで揉め事を素早く終わらせる……。正義の追及を捨てることで秩序を守るという、武家社会の
リアルな知恵が描かれました。
次回はなんと時代を一気に跳び、現代の刑法「正当防衛」の現場へ向かいます!お楽しみに!




