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第三話「今度は、理由を問う」 ――現行刑法・正当防衛規定・振り子の帰還――

鎌倉・戦国時代に「理由を問わない割り切り」を見た律たち。今回の跳躍先は……なんと現代、令和の東京都内!?

警察署の取調室で刑事が行っていたのは、防犯カメラの映像をもとに「どっちが先に手を出し、反撃がやり過ぎでなかったか」を1秒単位で精査する作業でした。「理由を問わない」から「理由を問う」へ、法と思想の振り子が戻ってきた理由とは?

「Unit-LEX、今回はどこへ?」

律が席に着くなり尋ねた。心なしか、声に余裕が戻っている。

〔Unit-LEX〕「今回は跳躍先が異なります。時代ではなく、現代――令和の日本です」

「現代?」

律が目を瞬かせた。

「珍しいですね。私たちが調べるのは、いつも過去のはずでは」

〔Unit-LEX〕「御成敗式目第三条の調査終了時、神条調査官は『現行刑法は理非を問う方向へ回帰している』と指摘しました。この仮説を検証する必要があります」

陣内が口の端を上げた。

「自分の発言が、次の宿題になって返ってくるってわけだ」

律は少し居心地悪そうに咳払いをした。

〔Unit-LEX〕「対象条文を表示します」

律の網膜に、見慣れた現代日本語の条文が浮かび上がった。

「刑法第三十六条 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない」

律はその文字を、御成敗式目の古めかしい文言と見比べるように、じっと見つめた。

「……『理非を論ぜず』ではなく、『急迫不正の侵害』『やむを得ず』。理由を、細かく問うている……」

〔Unit-LEX〕「跳躍先を設定します。令和某年、東京都内」

床が発光し、空間が歪んだ。


蛍光灯の白い光と、消毒液の匂い。

律たちが降り立ったのは、警察署の一室――取調室の隣、マジックミラー越しに様子を窺える小部屋だった。今回は姿を偽装する必要すらない。現代の服装に着替えた律たちは、記録係を装って壁際に立っていた。

ガラスの向こうでは、一人の若い男が、疲れた顔で刑事と向かい合っていた。

「もう一度聞くぞ。お前が先に殴られたのか、それとも、お前が先に手を出したのか」

刑事の声は淡々としていたが、その一言一言が、慎重に選ばれているのが分かった。

「先に殴られたんです! 俺は避けようとしただけで――」

「防犯カメラの映像だと、お前の方が先に相手の胸を突いてるように見えるんだが」

「そ、それは、あいつが先に胸ぐらを掴んできたから、振り払っただけで……!」

律は思わずマジックミラーに顔を近づけた。

「……これは。まさに、先に手を出した方が悪いのか、後に反撃した方が悪いのか、という――」

「そうだよ。今度は御成敗式目と違って、ちゃんと決着つけようとしてるみたいだな」

陣内が腕を組んで画面を見つめた。

刑事が手元の資料をめくりながら続けた。

「防犯カメラの映像、目撃者の証言、双方の負傷の程度――全部照らし合わせて判断する。お前の行為が『やむを得ない』ものだったかどうか、な」

律は食い入るように見つめた。

「……鎌倉の役人は『理由なんか関係ない』と言い切っていました。でも、この刑事は、まさに『理由』そのものを、丹念に、一つ一つ調べ上げている……」

〔Unit-LEX〕「補足します。正当防衛の成立要件は、判例上、次の三点に整理されます。第一に、急迫不正の侵害が存在すること。第二に、防衛の意思をもって行われたこと。第三に、防衛行為が相当な範囲にとどまること。いずれも、当事者の主観と客観的状況の双方を、事後的に精査する必要があります」

律は呆然と呟いた。

「……これは、途方もない作業ですね。誰が先に手を出したか、どんな意図だったか、反撃がやり過ぎだったかどうか……全部、後から再現しなければならない」

「それの何が引っかかるんだよ、先生」

陣内が怪訝な顔をした。

「だって……」

律は言葉を選びながら続けた。

「御成敗式目は、まさにこの『再現の困難さ』を理由に、理非を問うこと自体を放棄したはずです。当事者は皆、自分に都合のいい話をする。因果関係なんて、後からじゃ誰にも分からない、と。なのに、現代の法は、その困難を承知の上で、あえてそこに踏み込んでいる……」

〔Unit-LEX〕「指摘の通りです。現代法は、防犯カメラ、鑑識技術、証言の裏付け調査など、鎌倉期には存在しなかった手段によって、『再現の困難さ』を部分的に克服しています。技術的基盤の変化が、法の設計思想そのものを変えたと考えられます」

律は小さく息を呑んだ。

「……技術が、法の哲学を変える……」

刑事が男に向かって、静かに告げた。

「防犯カメラの映像を見る限り、お前の反撃は、相手を殴り倒した後も三発殴り続けている。急迫性は認められるが、相当性に欠ける可能性が高い。正当防衛じゃなく、過剰防衛になるかもしれんぞ」

男は青ざめた顔で俯いた。

律はその光景をじっと見つめていた。

「……正当防衛は認められない。でも、完全な有罪でもない。過剰防衛という、中間的な結論……」

「白か黒かじゃなくて、灰色を認める、ってことだな」

陣内が呟いた。

「御成敗式目の『問答無用の両成敗』でもなく、単純な『先に手を出した方が悪い』でもない。理由を問うた上で、なお、割合で量る」

律は静かに頷いた。

「……振り子は、ただ元に戻ったわけじゃないんですね。理由を問わない時代から、理由を問う時代へ――でも、それは単純な先祖返りではなく、技術と経験を積み重ねた末の、もっと精緻な形になっている」


律たちが円卓に戻った頃には、律の中で何かが静かに定まっていた。

〔Unit-LEX〕「関連法体系との対比を提示します」

〔Unit-LEX〕「英米法における『キャッスル・ドクトリン』――自宅への侵入者に対する防衛は広く認められる一方、公共の場では『退避義務』が課される地域も存在します。ドイツ刑法における正当防衛は、日本法と同様に相当性を要件としますが、その判断基準はより厳格とされています」

律は頷いた。

「国や時代によって、どこまで『やむを得ない』と認めるかの線引きが違う……。でも共通しているのは、皆、理由を細かく問おうとしていることです」

陣内が肩をすくめた。

「まあ、理由を問わない方が楽だけどな。楽だから正しいとは限らねえ、ってことだ」

律は端末を開き、報告書を書き始めた。


時空法制局・調査報告書

案件番号:TLB-0012

対象条文:現行刑法第三十六条(正当防衛)

調査地:令和某年・東京都内


【現場の事実】

暴行事件の取調べにおいて、加害の先後、意図、反撃の相当性が、防犯カメラ映像等の客観的証拠に基づき、詳細に検討されていることを確認した。

【御成敗式目との対比】

御成敗式目第三条が「理非を論ぜず」という一律処罰によって因果関係の追及そのものを放棄したのに対し、現行刑法は逆に、因果関係・意図・相当性を精査する方向を取る。この違いは、鑑識技術・記録技術の発達により「再現の困難さ」が部分的に克服されたことに起因すると考えられる。

【法思想の振り子】

「理由を問わない」から「理由を問う」への回帰は、単純な先祖返りではない。過剰防衛という中間的な評価概念の存在が示すように、現代法は「白か黒か」ではなく、程度による判断を可能にしている。

【今後の調査への示唆】

自力救済禁止という一つの理念が、時代ごとの技術的制約と社会的要請の中で、どのように形を変えてきたかが、本シリーズを貫く軸になり得る。


書き終えて、律は端末を閉じた。

「……今回の調査で、少し分かった気がします。法律は、いつも同じ理想を追いかけているわけではなく、その時代に何ができるか、何ができないかに、ずっと縛られている」

「それが分かっただけでも、十分な収穫だろ」

陣内が伸びをした。

〔Unit-LEX〕「本条文との関連性が検出された未処理案件、三件。次回調査候補として登録します」


関連条文ログ

・大宝律令・闘訟律(御成敗式目以前の古代法における私闘規定)

・刀狩令(天正十六年・武器そのものを取り上げる発想への転換)

・公事方御定書(江戸幕府による量刑の精緻化)


律はログを見つめ、小さく笑った。

「……刀狩令は、気になりますね。『理由を問う』でも『理由を問わない』でもなく、そもそも武器を取り上げてしまう、という、また別の発想の転換ですから」

〔Unit-LEX〕「同意します。次回調査候補として優先度を上げておきます」


ご愛読ありがとうございました!

鎌倉時代には不可能だった「事実関係の再現」が、防犯カメラや鑑識技術の発達によって可能になり、法が

再び「理由を問う」ことができるようになった……。技術と法の深い関係が明かされる回となりました。

これにて基本編が一段落!次回からは第二章「刀狩令編」へ突入します!引き続きよろしくお願いします。


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