【第4部】第16話 帰る場所
森の出口が見えた頃には、
イロハの歩幅は、明らかに小さくなっていた。
右手は回復している。
左手も問題ない。
だが――
「遅いぞ」
俺は隣を歩きながら言う。
「……今の最速だ」
短く返す声に、
いつもの鋭さはなかった。
イロハは腰を押さえていた。
一歩踏み出すたび、
体幹の奥で、鈍い痛みが軋むようだ。
「回復魔法、効かないな」
ぽつりと呟いた。
俺はため息を吐いた。
「外傷には効く。
だが、慢性的な組織損傷や神経系の痛みは別だ」
「……使えないな」
「お前には、もう使わんぞ?」
イロハは顔をしかめた。
「……すみません」
俺は立ち止まり、正面からイロハを見る。
「お前、自分の体を何だと思っている」
「……資本?」
「違う」
間髪入れず否定した。
「責任だ」
沈黙が落ちた。
風が、森の匂いを運ぶ。
「スズに、公園作るって言っただろ」
「……言った」
「なら壊すな。
俺だけで、公園は作れん」
イロハは目を逸らした。
「……理学療法士が腰痛持ちとか、なんか駄目な気がする」
「その理学療法士が何かは知らんが」
俺は歩み寄る。
「もう見てられん」
次の瞬間——
イロハの視界が揺れる。
「……は?」
イロハの体を抱き上げた。
「おまっ、降ろせ!」
「断る」
「やめろ。自尊心が崩れる」
「うるさい。黙れ。落とすぞ」
「脅迫になってない」
俺は翼を広げた。
地面が離れる。
森が、一気に縮んだ。
「……くそ」
イロハは抵抗を諦めた。
腰に伝わる振動が、歩くよりも遥かに楽な様だ。
「次からは――」
カイムが低く言う。
「帰れる範囲で無茶しろ」
「難易度が高い注文だな」
「そういうのを考えるのが、得意だろ」
風が、二人を包んだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
城下から少し離れた場所に、俺は降り立った。
「ここからは歩くぞ。
その方がお前の自尊心にいいだろ?」
「……もう、汚された気分だ」
誰かに守られる側に回った感覚が、
どうにも落ち着かない様だ。
イロハはゆっくり歩き出した。
俺は何も言わず、イロハのペースに合わせる。
「そういえば、この国にもギルドはあるのか?」
「ない。冒険者ギルドは人間世界だけだ」
「なら、買い取りはどこでやる?」
「軍が一括してやっている」
「なら、俺はその辺で待ってる」
「なぜだ?」
「一応、俺、隔離対象だろ?」
「……そうだったな」
――そういえば……
――こいつも、俺も、梅毒の症状は出てない。
――空気感染は、やはり間違いか?
――いや、日が浅いだけか……?
俺達は静かに歩を進めた。
軍駐屯地に到着した瞬間、門番の兵が固まった。
「……その量は、何だ」
俺はマジックバッグの中身を、次々に取り出した。
「査定を頼む」
数分後。
解体場は、静まり返っていた。
並べられたシェルライノ。
兵士達が顔を引きつらせている。
「……七体」
「単独討伐、だと?」
「嘘だろ」
査定官が咳払いした。
「状態にばらつきがある」
六体目の個体を見て、眉を寄せる。
「これは……使えんな。
内臓も骨も外殻も形になっていない。
……どう戦ったらこうなる?」
査定官は俺を一瞥したが、俺は視線を逸らした。
小さくため息を吐き、 査定官は淡々と告げる。
「平均査定……一体金貨百八十〜二百八十枚」
「合計は?」
査定官が計算板を弾いた。
「金貨、千五百四十枚だ」
――目標額は十分に超えたな。
「買い取り、頼む」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
俺はカイムと別れ、
近くのベンチに腰を下ろしていた。
人が流れるように目の前を通っていく。
人間が珍しいのか、嫌悪の対象だからか……
ちらちらと視線が向けられる。
中には、ちょっかいをかけようとした奴もいた。
俺は一言で追い返す。
「俺は梅毒者と濃厚接触した。近づくと、うつるぞ?」
その一言で、人は離れていく。
――やはり、空気感染説が根付いているか。
それにしても……
――予想通り、魔族は全員猫背なんだな。
――やはり、異常発達した前鋸筋のせいか?
姿勢分析。 動作分析。
――理学療法士あるあるだな。
俺は、自分に鼻で笑った。
カイムと宿へ戻る頃には、空は茜色に染まっていた。
宿の裏手。
簡素な調理場。
静かだった。
壁にもたれ、スズが眠っている。
鉄板の上には、半焼きのパティ。
イロハの足が止まった。
「……無事だったか」
小さな声だった。
カイムが横を見る。
「心配、だったのか?」
「ああ」
即答だった。
「こういう子は、
いつ抜け出して同じ事を繰り返しても、おかしくない」
「そんなものなのか」
「そんなものだ」
俺は鉄板の上を見る。
「……少し、野菜を足すか。
カイム、サラダに入れるような野菜を買ってきてくれ」
カイムは少しだけ笑って出ていった。
俺は、起こさないよう隣に座る。
コホッ、コホッ――
スズが咳き込む。
――咳が乾いてるな……
――少し、急ぐか……
数分後。
カイムが戻り、
同時にスズのまぶたが揺れた。
「……ん」
ゆっくり顔を上げる。
二人を見て、目を丸くした。
「……おかえり」
イロハが頷く。
「ああ」
スズは慌てて立ち上がった。
「ま、待って!すぐ仕上げる!」
鉄板に火が入る。
肉が焼ける音が広がる。
脂の匂い。
黒パンを温め直す。
スズの手つきは、まだぎこちない。
それでも――真剣だった。
「おい、スズ。
このトマトとレタスも挟め。余った野菜は少し温める」
カイムが少し首をかしげる。
「そのまま食わないのか?」
「温めた方が消化にいいんだ」
カイムはスズを見て言った。
「病み上がり……みたいなもんか」
皿が並ぶ。
三人分。
スズが恐る恐る差し出した。
「……出来た」
イロハが一口かじる。
沈黙。
スズの肩が震える。
「……どう?」
イロハは咀嚼したまま頷いた。
「めちゃくちゃ美味い」
スズの目が潤んだ。
「また作れ」
「……うん!」
カイムが苦笑する。
「料理番、合格だな」
「スズ。今日からちゃんとした固形食だ。
少しずつ、ゆっくり食べろ。先に温野菜からだぞ?」
「もぉ!うるさいなぁ」
笑みがこぼれる。
三人は黙って食べた。
それで十分だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
夜——
部屋の灯りが揺れている。
俺は寝台に腰掛けていた。
腰をさすっている。
スズが薬箱を抱えて入ってきた。
「ねぇ、イロハ」
「ん?」
「カイムさんから聞いた。無茶したって」
「ああ」
素直に頷く。
「だいぶ無茶した……パップ剤、買えたか?」
スズが息を吐く。
「もぉ……
一応買えたよ。パップ剤と布。
ヤナギの樹皮のやつ、だったよね?
……なんでヤナギなの?」
「鎮痛薬の元だ。ちゃんと痛みに効く」
「ふ〜ん」
スズは丁寧にパップを布に塗り、貼る。
指先は少し震えていた。
「痛い?」
「まあな」
少し沈黙が続く。
スズが小さく言った。
「……でも」
布を押さえながら。
「帰ってきてくれた」
俺は天井を見上げた。
「なぁ、スズ」
「なぁに?」
少しだけ間を置いて。
「ただいま」
スズの手が止まった。
それから。
「……おかえり」
灯りが、静かに揺れていた。




