【第4部】第10話 嘘で守る場所
宿屋は、城下の外縁にあった。
旅人向けの、ありふれた木造の建物。
看板には、擦れた文字で『白鹿亭』と書かれている。
扉を開けると、
油と酒の匂いが混ざった空気が流れ出た。
帳場にいた主人が顔を上げる。
三人を見て、すぐに口元が緩んだ。
「……三人か?」
「二部屋」
俺は即答した。
主人の視線がスズへ落ちる。
そして、ゆっくりと頷いた。
「人間さんが魔族の子を買うなんてなぁ……」
ニヤリと笑う。
「まぁ、差別はしねぇよ。
金払えば客だ。俺は何も言わねぇよ」
「勘違いするな」
俺は硬貨を置いた。
「俺の兄弟の妻の妹の旦那の親の兄の養子の子だ」
主人の眉が上がる。
沈黙。
背後で、カイムが小さく息を吐いた。
「……言い訳にしか聞こえんぞ」
「泊まれるか?」
俺は主人を見た。
主人は肩をすくめ、鍵を二つ差し出した。
「二階、突き当たりだ」
部屋は質素だった。
木の床。小さな机。
そして、白いシーツの敷かれたベッド。
扉が閉まると、静けさが落ちる。
スズは立ったまま、部屋を見渡していた。
ゆっくりと、ベッドへ近づく。
指先で、布を触る。
少しだけ、撫でる。
「……柔らかい」
小さく呟いた。
靴を脱ごうとして、止まる。
俺は椅子に腰掛けたまま言った。
「靴、脱げ」
「……汚れるよ?」
「洗えばいい」
スズは少し迷ってから、静かに靴を脱いだ。
ベッドに腰を下ろす。
沈み込む感触に、肩がわずかに震えた。
やがて、こちらを向く。
「ねぇ」
「なんだ」
スズは少し笑った。
その笑いは、どこかぎこちなかった。
「お礼にさ……遊ぼうよ」
沈黙が落ちた。
カーテンの隙間から、街灯の光が差し込む。
「体が冷える前に寝ろ」
俺は立ち上がり、カーテンの隙間を閉じた。
「睡眠は体を作る」
振り返らないまま続ける。
「しばらく、まともなベッドで寝てないだろ」
スズは黙った。
しばらくして、小さく答える。
「……うん」
布団を引き寄せる。
頬を埋める。
「……実は、凄く嬉しい」
少しだけ間を置いて、
「……おやすみ」
返事はしなかった。
俺は扉を開け、再び廊下へ出た。
廊下には、 カイムが壁にもたれて立っていた。
「寝たのか?」
「慣れない、安全な寝床だ。
しばらく寝れないだろう……」
カイムは腕を組む。
少しだけ真顔になった。
「……さっきの感染の話だが」
「梅毒の空気感染か?」
「本当に無いんだな」
「無い」
俺は短く答えた。
「体液接触が主だ。
少なくとも、同じ部屋で寝た程度で感染はしない。
今日は俺がスズと同室にいる。ちゃんと記録に書いとけ」
カイムはゆっくり頷いた。
「……分かった」
「お前は、報告を上げろ」
俺は続けた。
「城下の路地裏で客引きに遭遇。
その中の一名に梅毒の疑いあり。
監視対象が腕を引かれ濃厚接触」
カイムが目を細める。
「感染経路遮断のため、対象者と監視対象を隔離。
監視を含め、感染防止と医療経過観察を後方支援部隊として実施」
廊下の灯りが揺れる。
「これなら、上は止めない」
カイムは少し考えた。
「……厄介払いとして処理される可能性は?」
「高い」
「それでいいのか?」
「問題ない。むしろ好都合だ」
沈黙。
カイムは小さく笑った。
「お前、本当に軍人に向いてないな」
「知ってる」
「分かった。行ってくる」
カイムは踵を返した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
軍施設は、夜でも灯りが消えない。
俺は受付を抜け、上官室の扉を叩いた。
「入れ」
書類の山に囲まれた机。
その隙間から、上官が顔を上げた。
「……例の人間の件か?」
俺は一礼し、内容を簡潔に伝えた。
上官は途中で眉を寄せ、
最後まで聞くと椅子にもたれた。
「……隔離か」
「はい」
しばらく沈黙。
やがて、上官は短く言った。
「了承する。
後方支援扱いで処理する。現場判断に任せる」
「ありがとうございます」
俺は敬礼した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
その報告は、さらに上層へ回された。
石造りの会議室。
数人の将校が書類を眺めている。
一人が鼻で笑った。
「……厄介払い出来たな」
別の将校が肩をすくめる。
「評議会に上げずに済む」
「評議会は魔王様との交渉中だ。
余計な問題は俺達の首を絞める」
書類が閉じられる。
「後方支援扱いで固定。
現場判断のまま、進めろ。
何かあっても……監視役はカイムと言ったな?
そいつの責任だ」
誰も反対しなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
俺は宿へ戻った。
階段を上がる足音が、やけに響いた。
廊下の灯りは、さっきより少しだけ暗い。
部屋の前で立ち止まる。
ドアノブに手をかけ、止めた。
そのまま後ろの壁にもたれ、静かに息を吐いた。
「……面倒な任務だ」
小さく呟く。
だが、その声は、
どこか安心していた気がする。
任務という嘘は、
時々、誰かの居場所になる。
廊下の灯りが、静かに揺れていた。




