【第4部】第8話 名前のない少女
「お兄さん、遊ばない?」
少女は、慣れた調子でそう言った。
作られた笑顔だった。
目だけが、笑っていない。
俺は、一歩だけ近づいた。
カイムが小声で呟く。
「……やめとけ」
無視した。
街灯の下に、少女は立っている。
近くで見ると、違和感がはっきりした。
頬に浮かぶ赤み。
だが、血色ではない。
皮膚の表面に、淡く散る斑。
袖から覗く手首にも、同じ模様。
そして――
細い。
骨格が浮いている。
筋肉量が、異様に少ない。
「……何歳だ?」
少女は、少しだけ目を見開いた。
「……分かんない」
「大体でいい」
「……十四とか……十五とか……」
声が揺れている。
「飯は食っているか?」
少女は少しだけ笑った。
「食べてるよ。ちゃんと働いてるし」
「そっか……」
俺は一拍置く。
「……最後に、腹いっぱい食ったのはいつだ?」
少女は答えなかった。
沈黙が、答えだった。
俺は視線を落とす。
首元——
鎖骨の内側——
皮膚に浮かぶ斑は、胸元にも広がっていた。
「……おい」
カイムが低く言う。
「まさか、買う訳ではないだろ?」
俺はカイムにだけ聞こえる声で言った。
「……梅毒の可能性が高い」
「っ!?」
「ん?」
「梅毒!? ヤバいぞ!!」
「うるさい。声がデカい」
「……すまん。だが……」
カイムは数歩後退りしながら言った。
――その反応……もしかして……
「おい、カイム。
お前達は、梅毒の感染経路をどう考えてる?」
「……空気感染だ」
「やっぱり、か」
「違う……のか?」
「違う。詳しくは後で話す」
「だが、いや……
国でそう定めてる。簡単には信用できん」
「だろうな。
そもそも梅毒というのも、あくまで“可能性が高い”だ。
俺は医者じゃない」
「……」
「それに、断定材料も足りない」
少女は、二人の会話を不安げに見ていた。
「……私、病気なの?」
「わからん」
俺は言った。
「だが、このままなら死ぬ可能性が高い」
少女の表情が止まった。
カイムが鋭くこちらを見る。
「……言い方があるだろ」
「事実だ」
俺は少女を見る。
「立ちくらみはあるか?」
「……ある」
「夜、息苦しくなるか?」
「……たまに」
「関節は痛むか?」
少女は、小さく頷いた。
俺は息を吐く。
「栄養失調が先だ」
カイムが眉をひそめる。
「……梅毒だけじゃないのか?」
「どちらもあり得る。
だが、先に死ぬのは栄養だ」
少女は戸惑った顔をした。
「……どうすればいいの?
私、まだ死にたくないよ……」
「飯を食え」
「……買えない」
俺は頷いた。
「そうだろうな」
さらに少女へ近づく。
カイムが後ろから声を上げた。
「イロハ、離れろ。
すまんが……俺は空気感染を信じてる」
「……だろうな」
「だったら――!」
「問題ない」
カイムが声を荒げる。
「問題ある!」
「放置すれば死ぬ」
「お前が死ぬ可能性もある!」
俺は少し考えた。
「なら、合理的に考えよう」
カイムは歯を食いしばる。
「……聞こう」
「俺が接触した場合の、
危険性――
観察価値――
軍への有用性――
総合すれば、お前が記録係をやるのが最適だ」
沈黙が落ちた。
「……は?」
「お前は後方支援部隊だ」
「だからって――」
「医学的観察対象になる」
カイムの目が見開かれた。
「俺と、この少女をだ」
少女が怯えた目でこちらを見る。
「……実験?」
「違う」
俺は首を振った。
「生きる確率を上げるだけだ」
少女は黙った。
「……名前、何て言うんだ?」
少女は首を振った。
「その日で変わる」
「……?」
「お客さんが、呼びやすい名前を付けるから」
沈黙が落ちた。
路地の奥で、笑い声が響いた。
俺は少女を見た。
しばらく観察する。
そして言った。
「今日から――スズと名乗れ」
少女が瞬きをする。
「……スズ?」
「スズラン――からだ」
少女は首を傾げた。
「スズ……ラン?」
「この世界でどうかは知らんが……
“聖母の涙”と言われる花だ。小さくて可愛い花なんだ」
俺は少女の頭に手を伸ばした。
少女の肩が、わずかに震える。
触れた瞬間――
ビクッ、と身体が跳ねた。
背後でカイムが声を上げる。
「っおい!!」
俺は気にせず、そっと頭を撫でる。
「ちゃんと意味もある――」
一拍。
「――“苦難の後の幸せ”」
少女は黙った。
やがて、唇が震えた。
「……なんで?」
俺は少し考えた。
「呼びやすいからだ」
カイムは、言葉が出ず狼狽えていた。
少女――スズは、ゆっくりと頷く。
「……分かった」
「来い、スズ」
「……どこに?」
「まず、飯だ」
スズの目が揺れた。
「……いいの?」
「栄養状態が悪い。
まずは……美味い飯を食わせてやる」
スズは、小さく笑った。
その笑顔は、
どこか――初めて見せたもののように見えた。
そして、小さく走って隣に並んだ。
背後でカイムが呟く。
「……お前、本当に、とんでもない奴だな」
「何言ってるんだ?
依頼の報酬だろ?飯はお前が払うんだよ」
「はぁ!?」
俺はスズの頭に手を添えたまま、ゆっくり歩き出した。




