【第4部】第2話 接触
槍の穂先が、俺の喉元を囲んでいた。
「動くな」
低い声だった。
俺は素直に両手を挙げる。
「動かん。というか、動けん」
「黙れ」
背後から腕を掴まれる。
力が強い。
普通に痛い。
カイムが、小さく息を吐いた。
「乱暴に扱わないでくれ。
そいつは恩人なんだ」
「恩人、だと?」
監視塔の隊長らしき魔族が、一歩前へ出る。
魔族特有の羽根。
実戦仕様の鎧。
装飾は一切ない。
「その人間は何だ」
カイムは、ためらわなかった。
事前に打ち合わせた通り、淡々と話し始める。
「怪我をしていたところを助けられた」
「ほう」
「その後、すぐ人間軍に捕まった」
「……」
「だが、こいつは俺を連れ出した」
周囲がざわつく。
「軍船に紛れ込み、ここまで脱出した。害は無い」
沈黙。
隊長の視線が、俺を舐めるように動く。
完全に値踏みだった。
「証拠は?」
「無い」
「……正直だな」
「嘘が下手なんだ」
隊長はしばらく黙り――やがて短く告げた。
「連行する」
「了解した」
「人間は拘束しろ」
縄が腕に食い込む。
「きつい。血が止まる」
「黙れ」
「……はい」
監視塔の内部は、石造りだった。
冷たい。
乾燥している。
だが、整備は行き届いていた。
無駄がない。
俺は椅子に座らされ、
両腕を後ろで縛られた。
目の前には、隊長と副隊長。
横には兵が二人。
カイムは、少し離れた場所に立っている。
「もう一度聞く」
隊長が言った。
「なぜ人間が魔族領へ来た」
俺は少し考えてから答える。
「助けた奴が処刑される。
それは、助けた俺の責任でもある」
「……」
「それに――」
「……それに?」
「魔族が食う飯に興味があった」
事実だ。
魔族がどんな飯を食っているのか。
それを知りたかった。
……あと、観光も。
そんなことを考えている間、室内には沈黙が落ちていた。
副隊長のこめかみに血管が浮く。
「この期に及んで飯とは……
隊長。殴ってもよろしいか?」
「まぁ待て」
隊長の視線が鋭くなる。
「嘘か本当かは定かではない。
だが、同族が信を寄せているのは事実なんだろう」
「……あぁ」
「なら、先に同族を救ってくれた事に感謝を」
隊長は、そう言って頭を下げた。
――ほぅ……
「だが、副隊長の言うことにも一理ある」
――まぁな。
普通なら、命乞いか嘘を吐く場面だ。
「本当の理由を言え」
「……人間の世界は、飯が単純だ」
「貴様ァ!それでも言うか!!」
副隊長が怒鳴る。
だが、俺は気にせず続けた。
「美味くもなく、不味くもない。
高級品も食ったが……
スパイスで誤魔化してるだけだ」
副隊長は苛立ちを隠さない。
隊長だけが、俺の目を見ていた。
「そんな世界、俺はゴメンだ。
だから、コイツと会ったのも何かの縁だ。
魔族の国の食文化を知りたい……それだけだ」
カイムが咳払いをした。
「……そいつの作る飯は美味い」
全員の視線が、カイムへ向く。
「ここに向かう途中、何度も確認済みだ」
副隊長が鼻で笑った。
「飯が何だと言うのだ!」
「おい、副……いや、隊長殿」
「なんだ?」
「美味い飯は兵の士気を高める。
……そうは思わんか?」
「………あぁ」
空気が、少し揺れた。
俺は静かに口を開く。
「一旦、飯にしないか?」
「……は?」
「空腹で話し合いは成立しない」
副隊長が勢いよく立ち上がる。
「隊長!やはり――」
「待て」
隊長が手を上げた。
「何を作る」
俺は少し考えて答える。
「片手で食えるやつだ」
「……続けろ」
「肉とパンとソースを重ねる」
兵の一人が眉をひそめた。
「携行食か?」
「そんな感じだ」
隊長は、しばらく俺を見ていた。
やがて言う。
「材料はある」
副隊長が驚いた。
「隊長?」
「監視塔の備蓄は共有資産だ」
副隊長は舌打ちする。
「……毒味は俺がする」
カイムが言った。
俺は肩をすくめる。
調理場は、塔の下層にあった。
火床。
鉄板。
保存肉。
乾燥パン。
香辛料の匂いが、やたら強い。
「……辛っ」
思わず呟く。
兵が鼻を鳴らした。
「魔族は味が薄いと食えん」
「なるほど」
俺は袖をまくる。
縄は、片手だけ解かれていた。
――信用ゼロか……当然だな。
材料を眺める。
――この色、このサシ……豚肉っぽいな。
――お?卵もある。
――だったら……
肉を薄切りにし、何枚も重ねる。
途中で小麦粉をまぶし、そのまま焼く。
鉄板に肉を落とした瞬間、油が弾けた。
ジュウゥゥ……
音が石壁に反響する。
香りが立ち上る。
その間に黒パンを炙り、目玉焼きを焼く。
兵たちの視線が変わった。
だが、俺は気にしない。
火加減。
脂。
焼き目。
全部を見る。
「ソースは?」
カイムが聞く。
「おたふくソース風もどきだ」
俺は兵に頼み、
マジックバッグから小瓶を取り出してもらう。
「この黒い粘り気のあるのは何だ?」
気になった兵が聞いた。
「ソースだ……美味いぞ?」
焼き上がった肉をパンに乗せる。
さらに肉を追加。
目玉焼き。
ソース。
最後に、もう一枚パンを重ねる。
完成。
「ほら」
カイムへ渡す。
周囲の空気が固まった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
イロハが作ったそれを、俺はためらわず一口。
「!?!?!?」
――重なった薄切り肉の隙間から、
――閉じ込められていた肉汁が、
――時間差で溢れ出す!
――焼けた端のカリカリした部分が、
――香ばしくて最高だ……!
――ヤバいのは、やはりこのソースだ。
――肉の層にしっかり染み込んでいる。
――しかも、目玉焼きは半熟か!?
――黄身のコクが、ソースの酸味を包み込む!
――この粘り気が、
――肉と卵を完璧にまとめている……!!
沈黙。
副隊長が身構え、兵は息を止める。
俺は――
ゆっくり飲み込んだ。
そして。
「……美味い」
言葉が漏れた。
もう一口食う。
――やはり美味い!
――美味いぞ、これは!!
「毒は無さそうだな」
隊長が手を差し出した。
俺は無言で渡す。
――もっと食いたかった!!
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
隊長は、一口食べた。
副隊長が、信じられない顔で見ている。
そして隊長は、静かに言った。
「……手間がかかっている」
俺は頷く。
「毒を入れる奴は、そこまでしない」
隊長はすぐに食べ切った。
副隊長は黙ったままだ。
「……もう一個――いや、
ここにいる人数分、作れるか?」
俺は笑う。
「材料があればな」
食事が終わった頃、
空気は、明らかに変わっていた。
敵意は消えていない。
だが――
殺気は薄れていた。
「失礼致します!」
兵が隊長の元へ駆け寄る。
「隊長。カイム殿の確認が取れました。
後方支援部隊所属と判明。
数ヶ月前より消息不明となっておりました」
「なるほど……」
隊長は顎をさすり、しばらく沈黙する。
そして立ち上がった。
「カイム……いや、カイム隊員」
「はい」
「お前の身元が確認取れた。
これは軍事命令だ。
こいつを本国へ連行しろ」
副隊長が振り向く。
「隊長!?」
「判断は上層に委ねる」
隊長は俺を見る。
「人間」
「ん?」
「問題を起こすな」
「努力する」
「信用はしていない」
「知ってる」
隊長は、わずかに口角を上げた。
「縄を外せ」
副隊長が渋々ほどく。
血流が戻る。
地味に痛い。
カイムが歩き出した。
「行くぞ」
俺は頷く。
監視塔の出口へ向かう。
扉が開く。
外の風が流れ込む。
遠くに――街の影が見えた。
煙。
建物。
人影。
魔族の社会。
俺は小さく呟く。
「……腹減ったな」
カイムが額を押さえた。
「どさくさに紛れて、さっき食ってただろ」
「軽食だ」
「お前は本当に……」
「そう言えば、お前も軍の者だったんだな」
「……まぁな。気にするか?」
「いや。好都合だ」
警鐘は、もう鳴っていなかった。
だが――
視線は、まだ背中に刺さっていた。
それでも俺は歩く。
まるで、知人の家を訪ねるような足取りで。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
監視塔の扉が閉まる。
足音が遠ざかり、静寂が戻った。
副隊長が小さく息を吐く。
「……隊長。よろしかったので?」
私は窓の外を見たまま答える。
「魔王様はな……」
副隊長が顔を上げる。
「人間討伐に、
規制をかけようとしているらしい」
「……本当ですか」
「噂の域は出ん」
私は腕を組み直した。
「だが、いつ戦争が起きてもおかしくない。
そうなれば戦線は長引く。
兵も、物資も、消耗が激しい」
副隊長は黙った。
「人間一人に、何が出来る」
肩をすくめる。
「実績作りみたいなものだ」
副隊長は少しだけ眉を寄せた。
「……上層部が、許すでしょうか」
私は鼻で笑う。
「何だかんだ言ってくるだろうな」
窓の外。
海風が塔を叩く。
「だが、早かれ遅かれ魔王様の耳に入る」
副隊長が視線を落とす。
「そうなれば……」
「上層部の意見など、意味を持たん」
短く言い切る。
副隊長は小さくため息を吐いた。
「……現場は板挟みですね」
私は、カイム達が去った方角を見ていた。
――とはいえ……
内心で呟く。
――評議会が黙るとは思えん。
拳を軽く握る。
――上が決めてくれねば……
――現場が持たんのだがな。
小さく舌打ちした。
「現場判断で排除するより、
本国判断で処理した方が責任が軽い」
「ですが……
あの匂いは嫌いではありませんでした」
「私もだ」
副隊長が少し笑う。
「少しだけ、無事でいてほしいと思うのは……
軍人失格でしょうか?」
「あの味は反則だ」
私は窓の外を見たまま言った。
「次会えたら……私から頼んでやる」




